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言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法4

本日は平成29年の大晦日。「光陰矢の如し」。時の経つのは早いもので、年齢を重ねると、更にその感が強まります。ご縁のある皆様には、本年もお世話になりました。来年もどうぞ宜しく御願い致します。

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、年末年始も冬期講習中です。各人がそれぞれの課題に取り組みます。タイミングが合えば、気分転換の「論語カルタ」(佐賀県多久市 公益財団法人孔子の里発行)で、学年や年齢差のハンディなしのタタカイが始まります。百人一首形式なので、上の句を読むと下の句を自然と覚えてしまいます。

さて、漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」に紹介されているカール・ヴィッテの教育法には様々示唆に富むことが記されています。

 また彼は、教育上大切なことは、子供の頭に知識を詰め込むことよりも、見聞を広めさせることだと考へてゐました。そこで彼はカールを散歩に連れ出し、建物や旧蹟などを説明して聞かせかした。また、買物や音楽会、劇場、博物館、美術館、動植物園などにも連れて行きました。他に工場や病院、養老院などにも連れて行ったさうです。そして、家に帰ると、母親に詳しく報告させました。ここが大事な所で、このためにカールはよく注意して物を見、説明を聞くといふ習慣をつけることが出来たのです。小さい時からかういう習慣があるのと無いのとでは大変な違ひが生まれることは読者の皆さんにもよくお解りでせう。

  もう一つ大切な事は、子供を躾ける時、方針を変へないといふことです。良い事はあくまで良いこと、悪い事はあくまで悪いこととして、最初から方針を決めておかなければいけません。いけない事は初めからいけないことと禁じておけば、子供は苦痛を感じないで済みます。それを、まだ小さいのだから許しておかう、もう少し大きくなれば、解るだろう、と考へるのは誤りだといふのです。これも、親がよく陥りさうな誤りです。「この子はまだ小さいのだから、厳しくしては可哀想だ」といふ親心が、かへって仇になるのです。白紙のやうな子供の心にとっては、善悪、寛厳の区別はありません。親のやることは皆当り前の事だと思ってゐます。だから、最初が肝心なのです。いけないことは最初からいけないと言ってやれば、子供は、さうかと思ひます。最初は悪いと思ってゐなかった事が、途中から悪いと言はれれば、子供の頭は混乱します。真に子供の幸せをねがふなら、最初の躾をきちんとすべきです。そして方針を変へないことです。とかく、人はその時の気分で、子供を叱ったり甘やかしたりしがちです。これは躾にとっては一番いけません。子供の方も敏感にそこを見て取って、「いけないと言っても、前には良いと言ったぢゃないか」と思います。すると親の躾が利かなくなります。これは親子双方にとって大変不幸なことです。

 また、父親と母親の方針が一致してゐるといふことも当然大切なことです。カール・ヴィッテの父親はここに注意して、常に妻と協力して教育しました。ここがうまく行かないと、良い結果が得られないことは、言うまでもないことと思います。

・・・どの指摘も、非常に重要です。子供さんは生まれたときは「白紙」です。正に純粋無垢。例えると、その白紙の心に綺麗な色使いで美しいものを描くのは親の躾や教育次第です。

一般的に、幼児からの早期教育に賛成されないのはお父さんの方が多いようです。基本的に、お父さんはご自分の記憶や経験に照らして、子供の教育を考える傾向が強いようです。つまり、幼い頃には、無理に教育しなくても、その内に自然と時期が来る、自分がそうだったから、と。ところが、そのお父さん方を育てたお母様に尋ねると、適切な時期に為すべきことを為しているから、ここまできていることがわかる筈です。ご自分が様々支えられて育ってきたことが指摘されて初めて分かります。

一方、お母さん方は、本能的にその幼児教育の必要性を感じておられるようです。

最後に、早教育を受けた英才が陥りやすい危険について触れたいと思います。

 知能の優れた子供は、とかく自惚れやすく、傲慢になり勝ちなものです。これをどうやって防ぐかが問題になります。自惚れは、人に嫌われるだけでなく、それ以上の進歩向上の妨げになります。

 カール・ヴィッテの父親は、あらかじめこの危険を見抜いてゐました。そして、カールの勉強ぶりや、善い行ひに対しても、決して褒めすぎるといふことをしませんでした。善い行いを認めないといふのとは勿論違ひます。しっかり勉強すれば、ちゃんとそれは認めます。が、褒め過ぎはしないのです。非常に善い行ひをした時は、最大の褒美として、抱き上げて接吻したそうです。かうして、善行は、その行為そのものが楽しみなのだ、といふことを体得させたといふわけです。褒めることによって子供の能力は引き出されてくるのですが、それも様々な場合に応じて様子を見ながら使ひ分けていかなければなりません。

 また、カールの父親は、自分が褒めるのを控えただけでなく、他人からの賞賛も極力避けるやうに努めました。他人がカールを褒めさうな時は、カールを部屋から出してやって、賞賛が耳に入らないやうにしました。そしてカールを褒めないやうに人に頼み、どうしてもそれを聞き入れず、つい褒めてしまふやうな人には家に出入りすることを謝絶したさうです。このために、人情を知らないとか、頑固だとかいふ悪評まで受けたさうです。そんなことはかまはうともしませんでした。人の評判よりは息子の人格を損ふことを恐れたのです。この点でも、カールの父親は意思の強い立派な人でした。

・・・「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言われるように、徳のある人ほど、謙虚です。カールの父親は、カール・ヴィッテの幼少時から細心の心配りをして、傲慢さや自惚れのない人にするべく努力しました。

私達も、子供さん達の教育について反省することばかりです。やはり、先人の素晴らしい教育については繰り返し学ばなければなりません。

posted by at 12:16  |  塾長ブログ

言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法3

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、かって子供だった現在の大人達が、子供達には機会をつくって、世の中のことを教えるべきだとと考えています。これは子供の親御さんだけで無く、先生方、周りにいる大人達それぞれに言えます。世の中の様々なこと。自然や動植物。地域のこと、国のこと。様々な仕事や国の決まりや法律、社会の仕組み、地域や市町村、日本の歴史等など、枚挙に暇はありません。

さて、

漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」に紹介されているカール・ヴィッテの教育法には様々示唆に富むことが記されています。

 例へば、こんな例があります。これは、カール・ヴィッテの父や自身が書いた『カール・ヴィッテの教育』(この本は、今はアメリカのハーバード大学に一冊だけ残ってゐまして、これを読んで実際に実施したハーバード大学関係者の子女に英才が何人も出てゐるさうです。皆、心身共に優れた若者で、将来が楽しみだといふことです。)といふ本の中で書いてゐることです。

 「息子が無遠慮なことを言った時は、私は即座に叱ることをせず、『息子は田舎者ですから、こんなことを言ふのです。どうぞ悪く思はないでください。』などと言っておく。すると息子は、これは悪いことだと悟って、必ず後になってからその理由を質問する。その時初めて『お前の言ったことは本当だ。お父さんもそれを認める。しかしそれを、人の前で言ふことはよくない。お前があんなことを言ったものだから、〇〇さんは恥ずかしがって顔を赤くしたではないか。〇〇さんはお前を可愛がってゐるし、お父さんに遠慮をしてゐるから、黙ってゐたけれども、よほど気を悪くしたに違ひない』といふふうに説明して聞かせ、子供の判断力を傷つけないやうに務める

  かういうことが大切なのであって、子供の教育といふものは、ただ知識を詰め込むだけでは何にもなりません。かういう父親に教育されたからこそ、カール・ヴィッテは当時の人々に尊敬される大学者になったのです。皆さんも、お子さん方に、かういうふうな態度で接し、その持ってゐる可能性を最大に発揮できるやう、やってみていただきたいと思ひます。

 他にカール・ヴィッテの教育で重要な点を二、三挙げますと、次のやうなことです。一つは、子供の質問に丁寧に答へること。普通、子供といふものは、二、三歳ごろから、うるさいほどいろいろな事を尋ねるものです。それをたいていの親はいい加減に答へたり、うるさがったりして、子供の好奇心を育ててやろうとはしないものです。そして、そんなことはいまに学校で教へてくれるからよい、と思ったりしてゐるわけです。ところが、これが大きな間違ひで、子供の能力は、こんなふうにしてゐると、全く成長できずに枯れてしまひます。ところが、カール・ヴィッテの父親は、質問を奨励し、またそれに丁寧に答へました。そして決してごまかしの説明をしませんでした。カールにも解るやうな平易な説明を心掛け、また、自分も知らないやうなことは、「それはお父さんも知らない」と正直に答へて、二人で本を読んだり図書館に行ったりして調べるやうにしました。これは忙しい親にとって決してやさしいことではありません。カール・ヴィッテの父には牧師としての忙しい務めがありましたから、彼にとってもこれは努力の要ることだったでせう。しかし、彼は息子のためといふ信念から、あへてこれをやったのです。そして結果は大いに酬われたのでした。

・・・カール・ヴィッテの父は、正に父親の鏡である、と言えます。一般に、仕事に専心しているお父さん程、家庭に帰るとゆっくり寛ぎたい、と思う人が大半でしょう。しかし、カール・ヴィッテの父は、自ら考えた独自の教育論を検証する為にも、子供の成長を楽しみに日々接する自分自身を律していくのです。子供との会話を楽しみつつ、謂わば日々教育の実験をしていると言っても過言ではないでしょう。

「爪の垢を煎じて飲む」気持ちで、改めて子育ての基本に戻ることも大事です。

posted by at 16:29  |  塾長ブログ

言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法2

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の年齢や個性に応じて指導することを心がけています。同じ年齢であっても、横並びで一斉に成長するわけでは無いからです。

漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」に紹介されているカール・ヴィッテの教育法には様々示唆に富むことが記されています。

 

そして彼が実践したやり方といふのは、かうでした。赤ん坊のカールの前に指を動かしてみせます。すると、カールは指をつかまうとして手を伸ばします。最初は見当がはづれて、なかなかつかめないのですが、つひには成功し、大喜びで父親の指を口に入れて吸ひ始めます。すると父親はその時、ゆっくりとはっきりとした口調で、「ゆび、ゆび」と何回か言ふのです。

 このやうにして父親は、カールの眼の前に色々なものを出して、その名前をゆっくり、そしてはっきりとした口調で数回発音して聞かせました。するとカールは間もなく、さうした物の名前をはっきりと発音できるやうになりました。

 次には、カールを抱っこして家の内外の物、道具や衣服、草木や花、虫、そして動詞や形容詞などの言葉も、教へました。そして、かういふ物事を教えるときには、皆、カールとの簡単な、しかし楽しい会話の中で教へました。根気よく、しかし、無理矢理に、詰め込まうとするのではなく。

 かうしてカールが少し話を理解するやうになりますと、両親は毎日カールにお話をして聞かせました。そして又、カールにそのお話を繰り返させました。さうしないと、そのお話の効果が十分に上がらないからです。

 この結果、カールは、五、六歳までの間に約三万語の単語をやすやすと覚えることが出来たさうです。そして、これも大事なことですが、カールの父親は、決してカタコトや方言を使ひませんでした。そしてカールが正しく発音した時には「上手だね」と言って頭をなでててほめました。正しく発音できないと妻に「お母さん、カールは何々と言へないよ」などと言ひ、妻の方も「さうですか、そんなことが言へないんですか」などと答へました。すると、幼いながらも、カールは懸命に正しく発音しようと努力して、つひにはそれが出来るやうになったといふことです。かうして、まだ親に抱かれてゐるうちから、カールは言葉を極めて明晰に喋ることが出来たのです。

 又、父親はカールが単純な言ひ回しに満足せず、複雑な言ひ回しを理解したり、自分でも使ったり出来るやうに教育しました。そして、曖昧な言ひ回しをせず、極めてはっきりした言ひ方をするやうに注意しました。これは、頭を明晰にするには、まづ言葉を明瞭にする必要があるとの彼の持論から出た事でした。それで、両親はまづ自分たちが、正しく美しいドイツ語を使ふやうに努力したさうです。

 

 カールが読書を始めたのは三歳半の頃でした。父親のやり方はかうでした。まづ、子供向きの絵本などを買って来ます。そして、それについて、カールに面白く話して聞かせてから「お前が字を読むことが出来れば、こんな事が皆解るんだが」などと言って、好奇心を刺激しました。また、全く話をして聞かせずに「この話はとても面白いのだけれど、とても話してやる暇が無い」などといふこともありました。いづれにせよ、カールとしては何とかして字を読むことを覚えたいといふ気になるわけです。さうなってから、初めて字を教えたといふことが書いてあります。これも非常に大切なことだと思ひます。

 カール・ヴィッテの父親は大変聡明な人でした。そのしつけは厳格ではありましたが、専制的ではありませんでした。子供の判断力を育てることに主眼を置き、叱るときにも一方的に叱ることはせず、なぜそれが悪いのかを納得できるように説明してやりました。         (続く)

子供を抱っこしている段階から、「家の内外の物、道具や衣服、草木や花、虫、そして動詞や形容詞などの言葉も、教へました。そして、かういふ物事を教えるときには、皆、カールとの簡単な、しかし楽しい会話の中で教へました。根気よく、しかし、無理矢理に、詰め込まうとするのではなく。」・・・一日や二日なら誰しも取り組むことはできますが、これを毎日、倦まず弛まずし続けることは並大抵の努力ではできません。

子供の将来を考え、日々精進する親の姿があればこそ、成長した子供が有為の人物となっていくのです。

五、六歳までの間に約三万語の単語」を覚えたということに近い例は、記録に残されてはいなくても、歴史上数多いるのでは無いかと思います。一つ挑戦してみようと思われる親御さんの登場をお待ちします。

posted by at 17:26  |  塾長ブログ

言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法1

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、ご縁のある方々には子育てや家庭教育についての有益な情報も伝えて行こうと考えています。

早教育の例として取り上げられるカール・ヴィッテの教育法について述べられたものがあります。漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」から引用してご紹介します。長文ですから、数回に分けてのご紹介です。

英語版Wikipediaにはカール・ヴィッテは以下のように記されています。

Johann Heinrich Friedrich Karl Witte (born July 1, 1800 ; died March 6, 1883 i) was a German jurist and scholar of Dante.

Witte was the son of pastor Karl Heinrich Gottfried Witte who encouraged a fairly intense program of learning. When Karl Witte was nine, he spoke German, French, Italian, Latin, and Greek, and on April 10, 1814, at the age of 13, he became a doctor of philosophy at the University of Giessen  in Germany. As a result, Witte was listed in  The Guinness Book of World Record as the “youngest doctorate”, a record that still stands; however, The Guinness Book of World Records lists his age as 12.

ヨハン ハインリッヒ フリードリッヒ カール ヴィッテ(1800年7月1日生れ、1883年3月6日亡)はドイツの法学者でダンテ研究者(学者)。ヴィッテはかなり強烈な学習プログラムを奨励したカール ハインリッヒ ゴットフリード ヴィッテ牧師の息子でした。カール ヴィッテが9歳のとき、独語、仏語、伊語、羅甸(ラテン)語、希臘(ギリシャ)語を話し、1814年4月10日13歳の時、ドイツのギーセン大学の哲学博士になりました。その結果、ヴィッテはギネスの未だもって世界記録であると記されている「最も若い博士号の学位」として列せられています。世界記録ギネス本には彼の年齢は12歳とされている。

カール ヴィッテ

カール・ヴィッテは一八〇〇年、ドイツの小さな村に牧師の子として生まれました。牧師だった父は、非常な卓見の持ち主で、当時としては驚くべき独創的な教育論を持ってゐました。それは一言で言えば「子供の教育は、子供の知力が見え始めたと同時に始めるべきだ」といふものでした。さうすれば、大抵の子供は将来非凡な人間になるといふのです。ただし、彼はその著書の中でこう言ってゐます。「自分は天才を作るつもりで、このやうな教育をわが子に施したのではない。ただ円満な人格の人間を育てようとした結果、このやうになったのだ」と。

 とかく早教育や英才教育は批判の的になります。かういふ教育の結果、偏った人格や病気がちの弱い肉体の持ち主になってしまふといふ心配をする人があります。それにカール・ヴィッテの父親は答へたといふわけです。実際には、カール・ヴィッテは偏った人格とはおよそ程遠い円満な人柄で、健康面でも八十三歳といふ当時としては大変な高齢まで元気で法学者としての仕事を続けてゐましたから、かういふ批判は当たりませんでした。

カール・ヴィッテは、幼児期に既に三万語の語彙を持ち、フランス語、イタリア語、ラテン語、英語、ギリシャ語をマスターし、特に数学では将来を嘱望されるほどの才能を示しました。僅か九歳でライプチッヒ大学に入学を許され、十三歳で哲学博士、十六歳で法学博士になり、ドイツの各大学で法学の講義を行ひました。かたわら、イタリア留学中に興味を抱いたダンテについても、その道の専門家も舌を巻くほどの研究があったといふ多方面にわたる学者でありました。

 さて、カール・ヴィッテの父が息子に早教育を施した直接のきっかけは、教育者と牧師とから成るグループの間の議論から生まれました。まだカールが生まれる前のことでしたが、「子供の能力を決めるのは遺伝か、それとも後天的な教育か」といふ議論が、このグループの中で、交されたのです。カール・ヴィッテの父は、以前から、「遺伝より、教育が大事だ、それも生まれた時から五、六歳までの教育の良し悪しによってきまる」といふ意見を持ってゐましたので、それを主張しました。しかし、この説を支持したのはわづか一人だけで、他の人々は皆こぞって反対したので、「では、もし私に子供が出来たら、その子を私の教育で非凡な人間に育て上げてお目にかけませう」と言ったのださうです。

 その後間も無く、子供が生まれましたが、残念なことに、この子は死んでしまひました。次に生まれたのが、カールでした。父親はこの子を自分の信念に従って、細心の心づかひをもって育てたのです。

 ここで注目したい事はカールは決して生まれつき知能の勝れた子供ではなかった事です。反対に、白痴かと思はれるほど、鈍い子供だったさうです。母親でさへ、「こんな子は教育しても駄目です」と諦めてゐたといひます。しかし、父親の方は、諦めませんでした。

 「我々は子供を社会に送り出すにあたって、出来るだけハンディキャップを少なくしてやる義務がある」と考えてゐた父親は、英知の限りを尽くしてカールを教育しました。

 彼の教育の根本理念はかういふことでした。

「子供の生まれつきの可能性を一〇〇とした時、子供を放りっぱなしで育てれば、その能力は発現を見ることが出来ずにどんどん減ってしまふ。五歳になれば八〇に減り、十歳になれば六〇に減り、十五歳になれば四〇に減るといふ具合に。だから子供を育てるのに大切なことは、時期を失はないうちに、潜在的な能力を発達させることである。それには、早くから子供の能力に働きかけてこれを発達させなければならない。つまり、子供の中に少しでも知力が芽生えたと見えたら、ただちに始めなければならない。では具体的にどうすれば良いのか。それは子供に早くから言葉を教へることである。言葉は知識を刈り入れる道具に他ならないから、言葉を早く、多く教へることによって、知識を獲得する能力は、素晴らしく大きなものになるに違ひない。」

(続く)

凡そ200年以上前に、 「我々は子供を社会に送り出すにあたって、出来るだけハンディキャップを少なくしてやる義務がある」と考えていた父親がいたのですね。当時のドイツでは、国民の識字率は相当に低かったし、教育は一部のエリート層のものだったはずです。父親は牧師で謂わば知識人です。しかし、自らの仮説を断固とした意思に基づき、その時代の常識を覆すほどの教育を実践したことが、現在まで語り継がれている教育法の所以です。

posted by at 14:25  |  塾長ブログ

幼児に教える方法 その3

幼児さんの興味をうまく引き出すには、親御さんとの普段の会話がとても重要です。2歳前後から3歳ごろまで片言でも話ができる様になるまでは時間がかかりますが、常に目を見てしっかりと伝える工夫をしていくことです。今は分からなくても、いずれ理解できる様になりますから、焦らず繰り返すことに尽きます。

「幼児に教える方法」に記されている石井式教育法は、仕事を持つお母さん方でも無理なくできる様に、方法を示していますのでぜひ試してみてください。

そのやり方を漢字の例として挙げられています。

初めの一カ月間に、教へるのに適当と思はれる漢字を一例として挙げてみませう。

苺桃柿粟梨口目耳鼻手足顔頭首歯舌胸腹腕指爪犬猫牛馬象猿山川空海雨

是非、この漢字でなければいけない、といふものではありません。他の漢字でも、もちろん良いのです。が、この例のやうに、ある一纏まりのグループ、つまり“ 苺 ”から“梨”までの果物グループや、“口”から “爪”までの体の名称グループといふやうに、何らかの関連をもった漢字を続けて教へるのが良いやり方だと思ひます。子供なりに関連づけ て覚えられますし、うまく行けば「それぢゃあ、あれは? これは?」と、 自分から積極的に質問して来るかも知れません。さうなったら、しめたも のです。質問された時は、必ず答へてやって下さい。ここが、将来、子供が知的好奇心に富んだ人間になるか、ならないかの境目なのですから。

・・・漢字カードは、市販のものもありますが、やはりお母さん(お父さん)の手作りが一番でしょう。子供さんの興味は千差万別ですから、それぞれに合わせた漢字カードを楽しみながら作る。パソコンなどを活用して印字するのも方法ですが、意外に手書きの方が味があります。子供さんと一緒に楽しみながら作れば、鋏などの使い方も覚えて一石二鳥です。

ノーベル賞の受賞者・湯川秀樹博士のお母さんは、子供が何か質問 した時は、どんなに忙しい仕事をしてゐても、その仕事の手を休めて、 子供の目を見つめながら、その質問に答へた、といふ話を聞いたこと があります。天才・湯川秀樹博士を育てたのは、お母さんのその態度だ ったのではないでせうか。

かう言ひますと、皆さんは、天才は遺伝によるもので、後からいくら努 力しても無駄だと思はれるかも知れません。

湯川博士の御両親が頭の良い方だったから、湯川博士等をはじめとするお子さん方が皆、頭が良いのは当り前だらう、と。

しかし、私は「湯川博士の御両親の立派さは、御自身の頭の良さもさることながら、やはり子育ての態度の見事さにある」と思ひます。

最近の遺伝子に関する研究によりますと、遺伝子は特ってゐる膨大な情報量のうち、顕在化するのは、つまり表面に現はれて来る特徴は、全体のわづか一パーセントに過ぎないさうです。また、遺伝子の特って ゐる情報量を文字にすると、三十億字分(この本のおほよそ三万冊分) ださうですが、その中のどの情報が現はれて来るかは、環境によって 決まるとも聞いてゐます。ですから人間の能力や性格は、遺伝よりもむしろ環境に左右されるのではないかと思ひます。

昔の人は観察力が優れてゐて、いみじくも「氏より育ち」と言ってゐます。昔の人はいろいろな例を数多く見て、そのやうな結論を下したのでせうが、それが科学に裏づけされたといふのは面白い事ではありませんか。

・・・カール・ヴィッテの教育の重要な点(言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法3)でも、「子供の質問に丁寧に答へること」と強調されています。

洋の東西を問わず、偉大な学者を生むための幼児期の教育の要諦は、湯川秀樹博士やカール・ヴィッテ博士の母と父の真摯な態度にあったのです。

posted by at 11:49  |  塾長ブログ, 国語力ブログ
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