母の教えと教訓歌 4 上杉治憲(鷹山)

子供達は好奇心が一杯です。

知らない事を知るのには興味津々。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、幼児さんもお兄さんやお姉さん達に交じって勉強しているので、知らず知らずのうちに様々な言葉や知識が耳から入ってきます。

小学校の高学年になると、周りの大人達の言葉やマス・メディア(とくにテレビ番組)の影響でNegative Thinking(ネガティブ シンキング、後ろ向きな考え方、否定的な考え方)になる子供達もいます。

そうではなくPositive Thinking(ポジティブ シンキング、前向きな考え方、肯定的な考え方)で何事にも積極的に取り組む姿勢を、是非身に付けさせたいものです。

物心つき始めた頃から、常に素直に、前向きに考える癖をつけていく事はとても大事です。
「三つ子の魂百まで」は、物事に取り組む姿勢を身につけるのには幼年期が最重要である事を示しています。

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幼い時から繰り返し聞かされた言葉、「成せばなる 成さねばならぬ 何事も」。
どの様な場面で聞かされたか記憶にはないのですが、子供心に同じ様な言葉の繰り返しと不思議なリズムが印象的でした。

多くの人も励ましや激励の意味で耳にしたことがあるのではないでしょうか。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり」

「どんなことでも、やってみれば達成できる。やらなければ達成できない。達成できないのは、人がやらないからだ。」

江戸時代中期、出羽国(現、山形県)米沢藩 第九代藩主 上杉治憲(はるのり)、後、鷹山(ようざん)の言葉です。
当時の米沢藩は、初代から八代までの累積赤字で財政が逼迫し、藩領を返上して領民救済は公儀に委ねようと考えたほど藩財政の立て直しが喫緊の課題でした。
つまり、石高が十五万石でありながら、初代藩主景勝の意向により、移封前の会津百二十万石時代の家臣団六千人を召し放さず、家臣も上杉家へ仕えることを誇りとして離れず、他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高くなっていたのです。そのため、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていたうえに飢饉などが重なり、二進も三進もいかなくなっていたのです。

治憲は、多くの軋轢の中でも改革を断行します。
新田開発や河川改修などの開発事業。「大検約令」を発し、藩士・農民への質素倹約の励行。
また、農政を改革し、教育を進め、「織物業」など産業を発展させていきます。
自ら粗衣粗食に耐え、礼節を守り、身分を問わず学問を学ばせることもしました。

     上杉鷹山公

米国の故ケネディ元大統領やクリントン元大統領が日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として上杉鷹山の名を挙げています。

伝国の辞

上杉治憲(鷹山)は、三十四歳で前藩主重定の実子(治憲の養子後に生まれた)で、治憲が養子としていた治広に家督を譲ります(隠居後逝去まで、後継藩主を後見し藩政を実質指導)。
家督を譲る際に、
伝国の辞(でんこくのじ 三条からなる藩主としての心得)を申し渡します。

 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
 右三条御遺念有間敷候事
     天明五巳年二月七日  治憲 花押
  治広殿  机前

因みに、
この伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されたといわれています。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり」

・・・古今東西に拘わらず、魂の籠った言葉と業績は後世に伝えていかなければなりませんね。

posted by at 14:10  |  塾長blog

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