小学校英語導入に対するある識者の見解

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com/wp では、文部科学省の小学校英語の教科化に対する関心の高まりが、一部マスコミや英語教材関連業者や英語教室などの利害関係者の中では顕著ですが、英語に造詣の深い識者などからは、寧ろ英語の小学校導入に批判的であることを興味深く観察しております。

様々な識者の中で、藤原正彦 お茶の水女子大学名誉教授の書物やエッセイなどに首肯(しゅこう:肯定的に同意すること)することが多々あります。藤原先生は、アメリカ留学記「若き数学者のアメリカ」(1977年)で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞され、「国家の品格」でベストセラーを取られた数学者。エッセイストとしても活動。身辺雑記からイギリス滞在記や科学エッセイ、数学者の評伝に至るまで様々なジャンルに筆を割かれています。

藤原正彦 お茶の水女子大学名誉教授

父は、「太郎・次郎・三郎」と称される、戦後日本の代表的な小説家「司馬遼太郎・新田次郎・城山三郎」のなかの新田次郎です。

新田次郎

また、母藤原ていは、敗戦後の昭和二十年(1945)、日・ソ不可侵条約を一方的に破り、多くの日本の無辜の民を殺戮したソビエト軍の追撃の中で、子供を抱えながら満州から引き上げ、遺書のつもりで書き上げた体験記「流れる星は生きている」を書かれたベストセラー作家です。

藤原てい

藤原先生の英米を含めた諸外国の体験を踏まえての、小学校英語の導入についての以下のエッセイ「管見妄語」(週刊新潮2月第1週)が目に入りました。そのテーマは、ズバリ「愚かなる小学校英語」。あまりに的確、正論故、引用してご紹介します。

 愚かなる小学校英語

二〇〇二年、国際理解教育の一環として英語が小学校で教えられることになった。二〇一一年に小学校五、六年生の必修となり、二〇二〇年にはいよいよ教科に格上げされる。教科になるということは、教科書が作られ、テストが行われ、通知表に成績がつくということである。さらに三、四年生も必修となる。こうなれば私立中学入試にも英語が入り、英語教育が一気に加熱するだろう。日本の初等教育が一変する。

一九九〇年代から英語教育関係者が中心となり、「世論の高まり」を理由に小学校英語の導入を主張し、それに経済界や文科省が乗ったから、導入、必修化、教科化と三段跳びの格上げがなされたのである。実際、ほとんどの世論調査や意識調査で、約八割の国民が小学校英語を支持してきた。しかし世論の中味を精査した研究によると、英語の不得意な人々が小学校英語の主たる支持層という。また、最近の統計では、国民の九十一%英語を不得意に思っているという。私は、海外で活躍した人々や大学の英文科教授で小学校英語を支持する人に、出会ったことは一度もない。彼らは、国語をまずしっかり身に付けることが先決で、英語は中学校から始めても遅くない。国際人になるには流暢な英語より教養、ということを知っているからだ。発音は早期に始めた方が多少はよくなろうが、英語が国際語となった今日、フランス人は仏語訛り、中国人は、インド人は・・・・・と訛り丸出しで話しているのも知っている。小学校英語支持とは、英語に対する漠然とした憧れ、英語を話せないのは小学校から勉強しなかったからという誤解などの反映といって過言ではないのだろう。日本の将来、子供の将来を深く考えた末での世論とはとても思えない。そもそもAIの専門家たちは、十年足らずでスマホに自動音声翻訳機能がつく、と断言している今日なのだ。世論調査とは、個人的感情や自らにとって有利か不利かの計算によって回答されるものである。その世論を大事にする政治のおかげで、英語は我が国の小学校におけるハイライト教科になるだろう。英語導入の当初から反対していた私は、「小学校五、六年で始めても効果が上がらないからいずれ三、四年からとなる。それでも効果が上がらず一、二年からとなる。それでも話せるようにはならない。」と十数年前に書いた。その通りになりそうだ。

 小学校教員で英検準一級以上を持つ者は一%もいないという。三人に一人が過労死ラインを超えている教師に更なる大負担が加わる。先生や生徒が英語にかまけていると、学校の一週間は二十数時間しかないから、肝腎の国語や算数など基礎基本にもしわ寄せが来る。英語塾に通う子も増えるだろうから読書の時間も奪われる。小学校時代とは、童話、物語、偉人伝、詩などをできるだけたくさん読み、感動の涙とともに、惻隠の情、卑怯を憎む心、正義感、勇気、家族愛、郷土愛、祖国愛などを胸に吹き込む時だ。この時期を逃しては取り返しがつかない。このままではやがて、英語の発音が少しばかりよいだけの、無教養で薄っぺらな日本人で溢れることになる。それだけではない。世界中の子供が英語を幼少時から学ぶようになれば、英米文学は世界中で読まれ、日独仏露中などの文学は翻訳でしか読めなくなる。政治経済文化と広範な領域で、英語を母国語とする英米の発信力が飛躍的に高まり、英米文化が覇権を握ることになる。小学校英語はこれに手を貸すのと同じだ。地球は多文化であってこそ美しい。チューリップは美しいが、世界中がチューリップ一色だけの地球なんて爆発してなくなった方が良いのだ。我が国における小学校英語とは、幼い頃から英語を上手に操る人への憧れと劣等感を育み、我が国の欧米崇拝や対米屈従を助長し、日本人を愚民化する、最も適切な方法と言えよう。

・・・我が意を得たり、というエッセイです。

国語をしっかり身につける前に、中途半端な英語への取り組みを始めると、ほんの一部の英語も出来る児童・生徒とほとんどの英語も出来ない児童・生徒の集団に分かれてしまうのではないかと懸念します。「英語も出来ない」ということは、基本の国語や算数は無論、社会科目や理科科目も極めて心配な状態になっている可能性が高い、ということです。そのようにならない為の対策をしっかり親御さんは立てておかなくてはなりません。つまり、英語が始まる前までに、国語の力を十分につけること、です。

posted by at 20:06  |  塾長blog

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