子供達の為に日本を学ぶ 平仮名の歴史

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com/wp では、幼児期に文字の形をしっかりと覚えることが大事であると考えています。日本語は、片仮名、平仮名、漢字の組み合わせでできています。表音文字の片仮名、平仮名。表音並びに表意文字である漢字を巧みに使うことの出来る民族は世界でも稀有な存在です。

平仮名の成り立ちについて、その意義を歴史を踏まえ丁寧に説明して下さっている書物からのご紹介です。平泉澄著「少年日本史」http://shuppan.kogakkan-u.ac.jp/book/detail/225からの引用です。

平泉澄著「少年日本史」

・・・此の好著は、「少年日本史」(昭和四十五年初版)として子供向けに書かれた日本通史です。総ルビとは言え、現在の高校生レベル以上の日本史の知識、及び豊富な語彙力がなければ内容を理解することは難しいかもしれません。しかし、平泉先生のような方から、此のような日本の歴史や文化、文学的な観点からのお話を伺えれば子供達も幸せではないでしょうか。そこで、原著通り「旧漢字、仮名遣い」のまま(一部変換できない漢字もありますが)ご紹介します。

二四 平假名

(中略)

是(これ)まで我(わ)が國(くに)には獨自(どくじ)の文字は無く、字といえば漢字でありました。ところがその漢字を利用するのに、日本獨特(どくとく)、の方法を用いました。卽(すなは)ち漢字を、支那風(しなふう)に音で讀(よ)む事もありますが、その外(ほか)に今一つ訓(くん)で讀(よ)み、音(おん)と訓(くん)とを自由自在(じゆうじざい)、に使いこなして来たのです。たとえば、「音」という字、「オン」とよめば音讀(おんどく)、「おと」とよめば訓讀(くんどく)です。「山」という字、「サン」とよめば音讀(おんどく)、「やま」とよめば訓讀(くんどく)です。かように音と訓とを自由に使いこなして、支那(しな)の古典(こてん)も、日本風に讀みました。例えば文選(もんぜん)という古い書物を見ても、

「泊湘」を「ささらなみ」とよみ、

「閻閭」を「さとのかど」とよんだのです。

また土佐日記(とさにっき)を見ると、

「棹穿波上月」を、「さをはうがつなみのうへのつき」と読んだとありますし、江談抄(ごうだんしょう)を見ると、

「二月三月日遅々」を、「きさらぎ。やよひ、ひうらうら」と讀むのだとあります。

一層(いっそう)、面白(おもしろ)いのは、音讀(おんどく)と訓讀(くんどく)とを二重(にじゅう)にする讀(よ)み方です。

煙霞(えんか)子細(しさい)とこまやかに、泉石(せんせき)分明(ぶんめい)とあきらかなり、

というのが、その一例で、「仔細」を一度は「シサイ」と音讀(おんどく)した後、も一度「こまやかに」と訓讀(くんどく)しているでしょう。

以上は漢學(かんがく)、詩文(しぶん)の例ですが、佛教(ぶっきょう)の経文(きょうもん)も同様に、音(おん)で読むときは音で讀(よ)みますが、その外(ほか)に訓(くん)で讀(よ)む事も要求せられていました。延暦(えんりゃく)二十五年正月、朝廷(ちょうてい)の規定(きてい)に、僧侶(そうりょ)は、法華経(ほけきょう)と金光明経(こんこうみょうきょう)とを、漢音(かんおん)でも讀(よ)めば、訓でも讀(よ)まねばならぬと定(さだ)めてあります。そこで例(たと)えば法華経(ほけきょう)は、音讀(おんどく)の外に、

そのとき摩訶(まか)伽葉(かせふ)および諸々の大弟子につげたまはく、よきかな、よきかな、伽葉(かせふ)。

と訓讀(くんどく)もしたのです。

このように訓讀はしたものの、假名が無いのですから、その讀み方を覚え、之を傳(つた)えるという事は、大變(たいへん)むつかしく、いろいろ難儀(なんぎ)したでしょう。そこでヲコト點(てん)という事が始まりました。是は、人によって違い、寺によって別々ですが、漢字の周圍(まわり)にいくつか點(てん)を打って、どこに點(てん)があれば、どう讀むという約束を立てたのです。そして大抵は「何」の字の右の肩に點(てん)があれば、「何を」とよみ、右側の中程に點(てん)があれば、「何すること」とよむのです。このような點(てん)をテニハ點(てん)とも云いました。

そのような工夫をこらしても、問題はやはり残り、何か書くのに漢字だけで國語をあらわそうとすれば、古事記(こじき)や日本書紀(にほんしょき)、萬葉集(万葉集)などのように、苦労(くろう)をしなければなりません。

ますらをの 行くといふ道ぞ

おほろかに おもひて行くな

ますらをのとも(九七四)

(勇士の行く道であるぞ、いい加減に考えて、氣樂に、ぞんざいに、行ってはいけないぞ、勇氣ある人々よ)

という歌を作っても、之(これ)を文字に書くとなれば、萬葉人(まんようじん)は、

大夫之 去跡云道會 凡可爾

念而行勿 大夫之伴

と書かねばならなかったのです。これでは書くにも一苦労(ひとくろう)、讀むにはまた大變(たいへん)な苦労、下手をすれば、讀みちがえをするでしょう。

 

そこへ平假名が發明(はつめい)せられたのです。これは漢字を草書體(そうしょたい)で書いているうちに、段々(だんだん)簡単な形となり、また自然に一定の形に落ち着いて出来て来たのです。

 

いー以から、ロー呂から、はー波から、にー仁から、

ほー保から、へー部から、とー止から、ちー知から、

りー利から、ぬー奴から、るー留から、をー遠から、

わー和から、かー加から、よー與から、たー太から、

れー禮から、そー曾から、つー川から、ねー禰から、

なー奈から、らー良から、むー武から、うー宇から、

ゐー爲から、のー乃から、おー於から、くー久から、

やー也から、まー末から、けー計から、ふー不から、

こー己から、えー衣から、てー天から、あー安から、

さー左から、きー幾から、ゆー由から、めー女から、

みー美から、しー之から、ゑー惠から、ひー比から、

もー毛から、せー世から、すー寸から、

 

そして是等の平假名を一つにまとめて覺えさせたものに、古くは「あめつちほしそらやまかはみねたにくもきり」とつづけたものも、ある事はありましたが、結局は「いろは歌」が決定的なものとして勝ちを占め、千年の壽命(じゅみょう)を保って、今日に至っているのです。

 

その「いろは歌」は、誰によって作られたものであるか、不幸にして明瞭ではありません。然しそれは非常な英才でなければ、作れるものではありますまい。すべて四十七字あって、しかも一字も重複していない事を、必要とするのですから、只単語を並べるだけでも、すでにむつかしい作業であるのに、それに意味をもたせて、韻律(いんりつ(リズム))をつけて、假名の手本であると同時に、立派な詩とした手際(てぎわ)は、凡人ではありますまい。

 

色(いろ)は匂’にほ)へど 散(ち)りぬるを

我(わ)が世(よ)誰(たれ)ぞ 常(つね)ならむ

有爲(うゐ)の奥山(おくやま) 今日(けふ)越(こ)えて

淺(あさ)き夢(ゆめ)見(み)じ 醉(ゑひ)もせず

詩の内容から見れば、明瞭(めいりょう)に佛教(ぶっきょう)の思想ですから、僧侶が作ったものとして良いでしょう。僧侶の中でも、よほどの英才(えいさい)で、才氣(さいき)かがやき、詩情溢(しじょうあふ)るる人でなければなりますまい。大江匡房(おおえのまさふさ)は、今より九百年ばかり前の人で、當時(とうじ)第一流の學者として尊敬(そんけい)せられ、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)も、就(つ)いて教(おしえ)を受けた碩學(せきがく)ですが、その大江匡房は「源信(げんしん)僧都(そうず)が、『いろは歌を作られたのは弘法大師(こうぼうだいし)である』といわれた」と人に語っています。源信は空海(くうかい)とは反對(はんたい)に、叡山(えいざん)の名僧ですから、「いろは歌は弘法大師の作」と、叡山でも認めていたことが分かります。然し空海と源信とでは、その間に百数十年のへだたりがあるので、之を決定的な證據(しょうこ)とは出来ませんが、大江匡房といい、源信といい、いずれも第一流の學者が、「いろは歌は弘法大師の作られたもの」と信じていた事は確かです。

 

それに今一つ、證據(しょうこ)として良いものが、凌雲集(りょううんしゅう)という古い漢詩集(かんししゅう)にあります。それは弘仁(こうにん)五年(西暦八一四年)に作られたもので、従って空海の生きているうちのものです。仲雄王(なかおおう)が、空海を閑静(かんせい)、な寺に訪ねて、その人柄(ひとがら)と功績(こうせき)とに感激して作った詩の中に、「字母(じぼ)、三乗(さんじょう)を弘(ひろ)め、眞言(しんごん)、四句(しく)を演(の)ぶ」とあります。その四句は、「いろは歌」をさすものと判斷せられますから、「いろは歌」は、空海の作で、しかも弘仁五年より前(そして大同元年歸朝(きちょう)以後)に出来たものと考えられます。

空海には、いろいろと、功績が澤山(たくさん)ありますが、然(しか)し萬人(ばんにん)がその恩惠(おんけい)にあずかり、千年を經(へ)て盡(つ)きないものは、此の「いろは歌」を作ったという事でしょう。

・・・如何でしょうか。  此の様なお話を幼い頃から聞いて育っていると、その時には分からずとも、必ず長じれば得心すること請け合いです。日本人は古来から曾祖父母、祖父母、父母。また、先学(学問上の先輩)、先生から、連綿と文化・文学・歴史を習い覚えてきた民族です。その素晴らしい伝統を受け継ぐべきではないでしょうか。

posted by at 19:31  |  塾長blog

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