作文から始まる

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 http://rashinjyuku.com/wp では、塾生に「作文力」をつけてあげたいと日頃から考えて指導しています。幼児期から語彙力をつけつつ、自分の考えや創作を文章にしていく。文字を覚え、用い方を覚え、文章修行をしていく。これは、日々の訓練と修養の賜物が成せる技です。

以下に御紹介する日本の誇る文豪芥川龍之介。該博でなければ素晴らしい文章を書くことはできません。

少なくとも小学校高学年くらいで、以下の芥川龍之介の作品に親しむことが出来るようになってほしいものです。その為には、単なる皮相的な受験勉強では間に合いません。しっかりと国語力を身につけ、歴史や文化にも通じる必要があります。

青空文庫からの引用です。https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html

在りし日の芥川龍之介(1927年)(Wikipediaより)

神神の微笑   芥川龍之介

 

ある春の夕(ゆうべ)、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣ほうえ)の裾(すそ)を引きながら、南蛮寺(なんばんじ)の庭を歩いていた。
庭には松や檜(ひのき)の間(あいだ)に、薔薇(ばら)だの、橄欖(かんらん)だの、月桂(げっけい)だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽(かすか)にする夕明(ゆうあか)りの中に、薄甘い匂(におい)を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本(にほん)とは思われない、不可思議な魅力(みりょく)を添えるようだった。
オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径(こみち)を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬ロオマの大本山(だいほんざん)、リスポアの港、羅面琴(ラベイカ)の音(ね)、巴旦杏(はたんきょう)の味、「御主(おんあるじ)、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛(こうもう)の沙門(しゃもん)の心へ、懐郷(かいきょう)の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須(デウス)(神)の御名(みな)を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。
「この国の風景は美しい――。」
オルガンティノは反省した。
「この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人は、――あの黄面(こうめん)の小人(こびと)よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳(そび)えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市(まち)へ帰りたい、この国を去りたいと思う事がある。これは懐郷の悲しみだけであろうか? いや、自分はリスポアでなくとも、この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたいと思う。支那(しな)でも、沙室(シャム)でも、印度(インド)でも、――つまり懐郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。しかし――しかしこの国の風景は美しい。気候もまず温和である。……」
オルガンティノは吐息(といき)をした。この時偶然彼の眼は、点々と木かげの苔(こけ)に落ちた、仄白(ほのじろ)い桜の花を捉(とら)えた。桜! オルガンティノは驚いたように、薄暗い木立(こだち)の間(あいだ)を見つめた。そこには四五本の棕櫚(しゅろ)の中に、枝を垂らした糸桜(いとざくら)が一本、夢のように花を煙らせていた。
「御主(おんあるじ)守らせ給え!」
オルガンティノは一瞬間、降魔(ごうま)の十字を切ろうとした。実際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂桜(しだれざくら)が、それほど無気味(ぶきみ)に見えたのだった。無気味に、――と云うよりもむしろこの桜が、何故(なぜ)か彼を不安にする、日本そのもののように見えたのだった。が、彼は刹那(せつな)の後(のち)、それが不思議でも何でもない、ただの桜だった事を発見すると、恥しそうに苦笑しながら、静かにまたもと来た小径へ、力のない歩みを返して行った。

 三十分の後(のち)、彼は南蛮寺(なんばんじ)の内陣(ないじん)に、泥烏須(デウス)へ祈祷を捧げていた。そこにはただ円天井(まるてんじょう)から吊るされたランプがあるだけだった。そのランプの光の中に、内陣を囲んだフレスコの壁には、サン・ミグエルが地獄の悪魔と、モオゼの屍骸(しがい)を争っていた。が、勇ましい大天使は勿論、吼(たけ)り立った悪魔さえも、今夜は朧(おぼろ)げな光の加減か、妙にふだんよりは優美に見えた。それはまた事によると、祭壇の前に捧げられた、水々(みずみず)しい薔薇(ばら)や金雀花(えにしだ)が、匂っているせいかも知れなかった。彼はその祭壇の後(うしろ)に、じっと頭を垂れたまま、熱心にこう云う祈祷を凝らした。
「南無(なむ)大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 私(わたくし)はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇(あ)っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯(ひる)まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能(よ)くする所ではございません。皆天地の御主(おんあるじ)、あなたの御恵(おんめぐみ)でございます。が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難(かた)いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居ります。そうしてそれが冥々(めいめい)の中(うち)に、私の使命を妨(さまた)げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 邪宗(じゃしゅう)に惑溺(わくでき)した日本人は波羅葦増(はらいそ)(天界てんがい)の荘厳(しょうごん)を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶(はんもん)に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部(しもべ)、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」
その時ふとオルガンティノは、鶏の鳴き声を聞いたように思った。が、それには注意もせず、さらにこう祈祷の言葉を続けた。
「私(わたくし)は使命を果すためには、この国の山川(やまかわ)に潜んでいる力と、――多分は人間に見えない霊と、戦わなければなりません。あなたは昔紅海(こうかい)の底に、埃及(エジプト)の軍勢(ぐんぜい)を御沈めになりました。この国の霊の力強い事は、埃及(エジプト)の軍勢に劣りますまい。どうか古(いにしえ)の予言者のように、私もこの霊との戦に、………」
祈祷の言葉はいつのまにか、彼の唇(くちびる)から消えてしまった。今度は突然祭壇のあたりに、けたたましい鶏鳴(けいめい)が聞えたのだった。オルガンティノは不審そうに、彼の周囲を眺めまわした。すると彼の真後(まうしろ)には、白々(しろじろ)と尾を垂れた鶏が一羽、祭壇の上に胸を張ったまま、もう一度、夜でも明けたように鬨(とき)をつくっているではないか?
オルガンティノは飛び上るが早いか、アビトの両腕を拡げながら、倉皇(そうこう)とこの鳥を逐い出そうとした。が、二足三足(ふたあしみあし)踏み出したと思うと、「御主(おんあるじ)」と、切れ切れに叫んだなり、茫然とそこへ立ちすくんでしまった。この薄暗い内陣(ないじん)の中には、いつどこからはいって来たか、無数の鶏が充満している、――それがあるいは空を飛んだり、あるいはそこここを駈けまわったり、ほとんど彼の眼に見える限りは、鶏冠(とさか)の海にしているのだった。
「御主、守らせ給え!」
彼はまた十字を切ろうとした。が、彼の手は不思議にも、万力(まんりき)か何かに挟はさまれたように、一寸(いっすん)とは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣(ないじん)の中には、榾火(ほたび)の明(あか)りに似た赤光(しゃっこう)が、どこからとも知れず流れ出した。オルガンティノは喘(あえ)ぎ喘ぎ、この光がさし始めると同時に、朦朧(もうろう)とあたりへ浮んで来た、人影があるのを発見した。
人影は見る間(ま)に鮮(あざや)かになった。それはいずれも見慣れない、素朴(そぼく)な男女の一群(ひとむれ)だった。彼等は皆頸(くび)のまわりに、緒(お)にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。内陣に群がった無数の鶏は、彼等の姿がはっきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨(とき)をつくり合った。同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの画(え)を描(か)いた壁は、霧のように夜へ呑まれてしまった。その跡には、――
日本の Bacchanalia は、呆気(あっけ)にとられたオルガンティノの前へ、蜃気楼(しんきろう)のように漂って来た。彼は赤い篝(かがり)の火影(ほかげ)に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交かわしながら、車座(くるまざ)をつくっているのを見た。そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした体格の女が一人、大きな桶(おけ)を伏せた上に、踊り狂っているのを見た。桶の後ろには小山のように、これもまた逞(たくま)しい男が一人、根こぎにしたらしい榊(さかき)の枝に、玉だの鏡だのが下さがったのを、悠然と押し立てているのを見た。彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根(おばね)や鶏冠(とさか)をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のように、彼の眼を疑わずにはいられなかった。――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋(いわや)の戸らしい一枚岩が、どっしりと聳えているのだった。
桶の上にのった女は、いつまでも踊をやめなかった。彼女の髪を巻いた蔓(つる)は、ひらひらと空に翻(ひるがえ)った。彼女の頸に垂れた玉は、何度も霰(あられ)のように響き合った。彼女の手にとった小笹の枝は、縦横に風を打ちまわった。しかもその露(あらわ)にした胸! 赤い篝火(かがりび)の光の中に、艶々(つやつや)と浮(うか)び出た二つの乳房(ちぶさ)は、ほとんどオルガンティノの眼には、情欲そのものとしか思われなかった。彼は泥烏須(デウス)を念じながら、一心に顔をそむけようとした。が、やはり彼の体は、どう云う神秘な呪(のろ)いの力か、身動きさえ楽には出来なかった。
その内に突然沈黙が、幻の男女たちの上へ降った。桶の上に乗った女も、もう一度正気(しょうき)に返ったように、やっと狂わしい踊をやめた。いや、鳴き競っていた鶏さえ、この瞬間は頸を伸ばしたまま、一度にひっそりとなってしまった。するとその沈黙の中に、永久に美しい女の声が、どこからか厳かに伝わって来た。
「私(わたし)がここに隠(こも)っていれば、世界は暗闇になった筈ではないか? それを神々は楽しそうに、笑い興じていると見える。」
その声が夜空に消えた時、桶の上にのった女は、ちらりと一同を見渡しながら、意外なほどしとやかに返事をした。
「それはあなたにも立ち勝まさった、新しい神がおられますから、喜び合っておるのでございます。」
その新しい神と云うのは、泥烏須(デウス)を指しているのかも知れない。――オルガンティノはちょいとの間(あいだ)、そう云う気もちに励まされながら、この怪しい幻の変化に、やや興味のある目を注いだ。
沈黙はしばらく破れなかった。が、たちまち鶏の群むれが、一斉いっせいに鬨(とき)をつくったと思うと、向うに夜霧を堰(せき)止めていた、岩屋の戸らしい一枚岩が、徐(おもむろ)に左右へ開(ひら)き出した。そうしてその裂(さ)け目からは、言句(ごんく)に絶した万道(ばんどう)の霞光(かこう)が、洪水のように漲(みなぎ)り出した。
オルガンティノは叫ぼうとした。が、舌は動かなかった。オルガンティノは逃げようとした。が、足も動かなかった。彼はただ大光明のために、烈しく眩暈(めまい)が起るのを感じた。そうしてその光の中に、大勢(おおぜい)の男女の歓喜する声が、澎湃(ほうはい)と天に昇(のぼ)るのを聞いた。
「大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴(おおひるめむち)! 大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴! 大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴!」
「新しい神なぞはおりません。新しい神なぞはおりません。」
「あなたに逆さからうものは亡びます。」
「御覧なさい。闇が消え失せるのを。」
「見渡す限り、あなたの山、あなたの森、あなたの川、あなたの町、あなたの海です。」
「新しい神なぞはおりません。誰も皆あなたの召使です。」
「大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴! 大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴! 大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴!」
そう云う声の湧き上る中に、冷汗になったオルガンティノは、何か苦しそうに叫んだきりとうとうそこへ倒れてしまった。………
その夜(よ)も三更(さんこう)に近づいた頃、オルガンティノは失心の底から、やっと意識を恢復した。彼の耳には神々の声が、未だに鳴り響いているようだった。が、あたりを見廻すと、人音(ひとおと)も聞えない内陣(ないじん)には、円天井(まるてんじょう)のランプの光が、さっきの通り朦朧(もうろう)と壁画(へきが)を照らしているばかりだった。オルガンティノは呻(うめ)き呻き、そろそろ祭壇の後(うしろ)を離れた。あの幻にどんな意味があるか、それは彼にはのみこめなかった。しかしあの幻を見せたものが、泥烏須(デウス)でない事だけは確かだった。
「この国の霊と戦うのは、……」
オルガンティノは歩きながら、思わずそっと独り語(ごと)を洩らした。
「この国の霊と戦うのは、思ったよりもっと困難らしい。勝つか、それともまた負けるか、――」
するとその時彼の耳に、こう云う囁(ささや)きを送るものがあった。
「負けですよ!」
 オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を透(すか)して見た。が、そこには不相変(あいかわらず)、仄暗(ほのぐら)い薔薇や金雀花(えにしだ)のほかに、人影らしいものも見えなかった。
 オルガンティノは翌日の夕(ゆう)べも、南蛮寺(なんばんじ)の庭を歩いていた。しかし彼の碧眼(へきがん)には、どこか嬉しそうな色があった。それは今日一日(いちにち)の内に、日本の侍が三四人、奉教人(ほうきょうにん)の列にはいったからだった。
庭の橄欖(かんらん)や月桂(げっけい)は、ひっそりと夕闇に聳えていた。ただその沈黙が擾(みだ)されるのは、寺の鳩(はと)が軒へ帰るらしい、中空(なかぞら)の羽音(はおと)よりほかはなかった。薔薇の匂(にお)い、砂の湿り、――一切は翼のある天使たちが、「人の女子(おみなご)の美しきを見て、」妻を求めに降(くだ)って来た、古代の日の暮のように平和だった。
「やはり十字架の御威光の前には、穢(けが)らわしい日本の霊の力も、勝利を占(し)める事はむずかしいと見える。しかし昨夜(ゆうべ)見た幻は?――いや、あれは幻に過ぎない。悪魔はアントニオ上人(しょうにん)にも、ああ云う幻を見せたではないか? その証拠には今日になると、一度に何人かの信徒さえ出来た。やがてはこの国も至る所に、天主(てんしゅ)の御寺(みてら)が建てられるであろう。」
オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径(こみち)を歩いて行った。すると誰か後から、そっと肩を打つものがあった。彼はすぐに振り返った。しかし後には夕明りが、径(みち)を挟んだ篠懸(すずかけ)の若葉に、うっすりと漂(ただよ)っているだけだった。
「御主(おんあるじ)。守らせ給え!」
彼はこう呟(つぶや)いてから、徐(おもむ)ろに頭(かしら)をもとへ返した。と、彼の傍(かたわら)には、いつのまにそこへ忍び寄ったか、昨夜の幻に見えた通り、頸(くび)に玉を巻いた老人が一人、ぼんやり姿を煙らせたまま、徐(おもむ)ろに歩みを運んでいた。
「誰だ、お前は?」
不意を打たれたオルガンティノは、思わずそこへ立ち止まった。
「私(わたし)は、――誰でもかまいません。この国の霊の一人です。」
老人は微笑(びしょう)を浮べながら、親切そうに返事をした。
「まあ、御一緒に歩きましょう。私はあなたとしばらくの間(あいだ)、御話しするために出て来たのです。」
オルガンティノは十字を切った。が、老人はその印(しるし)に、少しも恐怖を示さなかった。
「私は悪魔ではないのです。御覧なさい、この玉やこの剣を。地獄(じごく)の炎(ほのお)に焼かれた物なら、こんなに清浄ではいない筈です。さあ、もう呪文(じゅもん)なぞを唱えるのはおやめなさい。」
オルガンティノはやむを得ず、不愉快そうに腕組をしたまま、老人と一しょに歩き出した。
「あなたは天主教(てんしゅきょう)を弘(ひろ)めに来ていますね、――」
老人は静かに話し出した。
「それも悪い事ではないかも知れません。しかし泥烏須(デウス)もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」
「泥烏須(デウス)は全能の御主(おんあるじ)だから、泥烏須に、――」
オルガンティノはこう云いかけてから、ふと思いついたように、いつもこの国の信徒に対する、叮嚀(ていねい)な口調を使い出した。
「泥烏須(デウス)に勝つものはない筈です。」
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子(こうし)、孟子(もうし)、荘子(そうし)、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉(ご)の国の絹だの秦(しん)の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙(れいみょう)な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字(もじ)を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿(かき)の本(もと)の人麻呂(ひとまろ)と云う詩人があります。その男の作った七夕(たなばた)の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽(あ)くまでも彦星(ひこぼし)と棚機津女(たなばたつめ)とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天(あま)の川(がわ)の瀬音(せおと)でした。支那の黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)に似た、銀河(ぎんが)の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟(しゅう)と云う文字がはいった後(のち)も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。空海(くうかい)、道風(どうふう)、佐理(さり)、行成(こうぜい)――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟(ぼくせき)です。しかし彼等の筆先(ふでさき)からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之(おうぎし)でもなければ※(「ころもへん+楮のつくり」、第3水準1-91-82) 遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹(いぶき)は潮風(しおかぜ)のように、老儒(ろうじゅ)の道さえも和(やわら)げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子(もうし)の著書は、我々の怒に触(ふ)れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆(くつが)えると信じています。科戸(しなと)の神はまだ一度も、そんな悪戯(いたずら)はしていません。が、そう云う信仰の中うちにも、この国に住んでいる我々の力は、朧(おぼろ)げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
オルガンティノは茫然と、老人の顔を眺め返した。この国の歴史に疎(うと)い彼には、折角(せっかく)の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。
「支那の哲人たちの後(のち)に来たのは、印度(インド)の王子悉達多(したあるた)です。――」
老人は言葉を続けながら、径(みち)ばたの薔薇(ばら)の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅(か)いだ。が、薔薇はむしられた跡にも、ちゃんとその花が残っていた。ただ老人の手にある花は色や形は同じに見えても、どこか霧のように煙っていた。
「仏陀(ぶっだ)の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡(ほんじすいじゃく)の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴(おおひるめむち)は大日如来(だいにちにょらい)と同じものだと思わせました。これは大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中うちには、印度仏(ぶつ)の面影(おもかげ)よりも、大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴が窺(うかが)われはしないでしょうか? 私(わたし)は親鸞(しんらん)や日蓮(にちれん)と一しょに、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰(ずいきかつごう)した仏(ほとけ)は、円光のある黒人(こくじん)ではありません。優しい威厳(いげん)に充ち満ちた上宮太子(じょうぐうたいし)などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」
「まあ、御待ちなさい。御前(おまえ)さんはそう云われるが、――」
オルガンティノは口を挟はさんだ。
「今日などは侍が二三人、一度に御教(おんおしえ)に帰依(きえ)しましたよ。」
「それは何人(なんにん)でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多(したあるた)の教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
老人は薔薇の花を投げた。花は手を離れたと思うと、たちまち夕明りに消えてしまった。
「なるほど造り変える力ですか? しかしそれはお前さんたちに、限った事ではないでしょう。どこの国でも、――たとえば希臘(ギリシャ)の神々と云われた、あの国にいる悪魔でも、――」
「大いなるパンは死にました。いや、パンもいつかはまたよみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だに生きているのです。」
オルガンティノは珍しそうに、老人の顔へ横眼を使った。
「お前さんはパンを知っているのですか?」
「何、西国(さいこく)の大名の子たちが、西洋から持って帰ったと云う、横文字(よこもじ)の本にあったのです。――それも今の話ですが、たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。いや、むしろ、それだけに、御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘(ギリシャ)の神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」
「しかし泥烏須(デウス)は勝つ筈です。」
オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云い放った。が、老人はそれが聞えないように、こうゆっくり話し続けた。
「私(わたし)はつい四五日前まえ、西国(さいこく)の海辺(うみべ)に上陸した、希臘(ギリシャ)の船乗りに遇(あ)いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕(いのこ)にする女神(めがみ)の話だの、声の美しい人魚(にんぎょ)の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇(あ)った時から、この国の土人に変りました。今では百合若(ゆりわか)と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘(ひろ)まっても、必ず勝つとは云われません。」
老人はだんだん小声になった。
「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
その声がとうとう絶えたと思うと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガンティノの上へ、アヴェ・マリアの鐘が響き始めた。
 南蛮寺(なんばんじ)のパアドレ・オルガンティノは、――いや、オルガンティノに限った事ではない。悠々とアビトの裾(すそ)を引いた、鼻の高い紅毛人(こうもうじん)は、黄昏(たそがれ)の光の漂(ただ)よった、架空(かくう)の月桂(げっけい)や薔薇の中から、一双の屏風(びょうぶ)へ帰って行った。南蛮船(なんばんせん)入津(にゅうしん)の図を描かいた、三世紀以前の古屏風へ。
さようなら。パアドレ・オルガンティノ! 君は今君の仲間と、日本の海辺(うみべ)を歩きながら、金泥(きんでい)の霞に旗を挙げた、大きい南蛮船を眺めている。泥烏須(デウス)が勝つか、大日※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)貴(おおひるめむち)が勝つか――それはまだ現在でも、容易(ようい)に断定(だんてい)は出来ないかも知れない。が、やがては我々の事業が、断定を与うべき問題である。君はその過去の海辺から、静かに我々を見てい給え。たとい君は同じ屏風の、犬を曳(ひ)いた甲比丹(カピタン)や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の黒船(くろふね)の石火矢(いしびや)の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。それまでは、――さようなら。パアドレ・オルガンティノ! さようなら。南蛮寺のウルガン伴天連(バテレン)!

芥川龍之介

(大正十年十二月)「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
・・・古事記や日本の宗教史などの知識がないと簡単には理解し得ない作品ですが、若い時には理解し難くとも、慣れ親しむことでいずれ感得できる作品ではないでしょうか。
 一般的に、かっては小中高のいずれかの国語の教科書に芥川龍之介の作品が掲載されていました。しかし、現在では筆者からすると、芥川龍之介などの重みがあり深味のある作家の作品は教科書に掲載されていません。
因みに、芥川龍之介は明治25(1892)年〜昭和2(1927)年(35歳没)の間、以下の作品(13年の間に62作品)を著しています(ウキペディアより)。

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