子供達の為に日本を学ぶ 片仮名の歴史1

学習塾・幼児教室 羅針塾(長崎市五島町)では、日本の文化や歴史をしっかり学ぶことが、子供達の国語力並びに知的レベルを上げる要諦だと考えています。

そこで、普段当たり前のように用いている「片仮名」の文化的・歴史的な意義について述べてある著述をご紹介します。度々引用している平泉澄(きよし)先生の「少年日本史」(P.185〜)から引用です。

少年日本史

 

片假名は、漢字の画の一部分を採って作ったもの、初めは人により、時によって、まちまちに作られていたものが、長い間に、段々と統一されて、今のように、決まったのです。

(ア)阿 (イ)伊 (ウ)宇 (エ)江 (オ)於

(カ)加 (キ)幾 (ク)久 (ケ)介 (コ)己

(サ)散 (シ)之 (ス)須 (セ)世 (ソ)曽

(タ)多 (チ)千 (ツ)川 (テ)天 (ト)止

(ナ)奈 (ニ)仁 (ヌ)奴 (ネ)禰 (ノ)乃

(ハ)八 (ヒ)比 (フ)不 (へ)部 (ホ)保

(マ)末 (ミ)三 (ム)牟 (メ)女 (モ)毛

(ヤ)也  ○        (ユ)由  ○         (ヨ)與

(ラ)良 (リ)利 (ル)流 (レ)禮 (ロ)呂

(ワ)和 (ヰ)井  ○         (ヱ)惠 (ヲ)乎

漢字の一部分を採って、その漢字の音や訓を借り、それによって國語を表すという事は、いそいで物を書く場合に、極めて自然に起こる事であって、誰でも思いつきそうなものですが、漢字の影響を受けた國々多い中に、日本に於いてだけかような假名が作られて事は、萬葉假名で見るように、自主的な態度で、氣樂に、外国の文化を消化し、利用してゆく國民性の表れでしょう。然し、本當に偉大であると思われるのは、アイウエオ、カキクケコ以下の、あの五十音圖の作成です。

・・・当たり前のように存在していると思っていた五十音図は、実は偉大な先人たちの創意工夫によって作られていたものであるということを、現代の日本人は殆ど知りません。

「いろは歌」の作者が明白にはわからないと同じように、五十音圖も誰が作ったものか、はっきりしません。然し是は、非常な學者、しかも語學者、それも悉曇(しったん)の學者の作ったものに相違ありません。悉曇というのは、古代印度の文字です。佛教を正しく理解する爲には、古代印度の文字、卽ち悉曇に通じる事が要求され、また重要な經文は、その悉曇から翻譯(ほんやく)せられて漢文になっているのですから、漢字の讀み方と、漢文の法則に通じている事が必要でしょう。つまり、印度や支那の語學を必要とするのです。空海は、悉曇に詳しかったようですが、此の學問は、却って最澄の門下末流に盛(さかん)で、その中から安然(あんねん)は、最澄の一族として生まれ、最澄のあとをついで叡山の座主となった圓仁(えんにん慈覺大師)に就いて、學びましたが、悉曇學に精通して「悉曇藏(しったんぞう)」という書物を作り、佛教界全體(ぜんたい)から尊重せられました。その後、また明覺(めいかく)という學者が出ました。北國(ほっこく)白山(はくさん)の麓(ふもと)、温泉寺に住んでいましたが、安然の學問を受けて更に之を発展させ、いろいろ重要な著作を残しました。大體(だいたい)堀河天皇の御代(みよ)ごろ、つまり今より八百五十年ばかり前の人ですが、此の明覺の書いたものには、語學の説明を、アイウエオの五十音圖によって行なっています。けだし外國語學の知識を本として、之を日本語に應用(おうよう)し、日本語の音韻と構造とを反省して、日本の文法を明らかにするという重大なる研究が、安然から明覺に至る一連の學者によって進められたのです。

・・・日本の義務教育で、此のような「アイウエオの五十音」の成り立ちを教える事がないのは、教育とは長い歴史の上で成り立っているということを、残念ながら教える側が認識していないことから来ています。そして、平泉澄先生は国語教育の欠落している点を指摘されています。

皆さん、慣れるという事は、良い事ですが、同時に、恐ろしい事です。我々は、子供の時から、毎日毎日、國語を使っています。それですから自由自在に話が出来るのですが、その代りに、國語の貴(とうと)さ、國語の正しい姿を忘れ、勝手にこれを崩し、亂雑(らんざつ)なもの、醜(みにく)いものに、して了(しま)ってはいませんか。

外國語を學ぶ時は、一語一語、辭書を引いて、丁寧にしらべてゆくでしょう。國語の方は、分かり切っていると思って、大抵ぞんざいに放置しているのではありませんか。

外國語は、殊にドイツ語などは、男性・女性・中性、現在・未来、単数・複数、それらの間にきびしい差別があって、その法則を覚えなければ、どうにもならないのに、國語は氣樂なもので、法則というものは無いのだ、と思っている人があります。飛んでも無い事で、もともと國語には、きびしい法則があり、その法則に従えば、實に美しい言葉になるのです。

・・・昨今は、大学受験改革の眼目として、寝ても覚めても「英語」教育の重要性を喧伝(けんでん:世間で喧しく言いふらすこと)する人たちがいます。

英語の前に、しっかりとした日本語を身につけるべきなのに、優先順位を間違えた教育が米国から占領されていた七年間にとどまらず、現在も続いてきています。

posted by at 21:58  |  国語力について, 塾長blog

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