教科書に載らない歴史上の人物 27 ジャヤワルダナ大統領 1

令和二年(西暦2020)は、後年になって歴史的な転換点だったと言われる年になりそうです。所謂武漢ウィルスが一月以降Chinaから拡散し、世界中に蔓延しましたが、United Nation(連合国、日本呼称:国際連合)の一機関であるWHO(World Health Organization:世界保健機関)が全く機能しなかった事が欧米諸国から非難されています。

かってUnited Nation(連合国、日本呼称:国際連合)を舞台に、日本にとって大東亜戦争(所謂、太平洋戦争)後、国際舞台に復帰するきっかけを作った国と人がありました。

それは、スリランカ(旧セイロン)とその代表ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏です。

伊勢正臣氏主宰「国際派日本人養成講座」(http://blog.jog-net.jp/202006/article_1.html)(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog598.html)からのご紹介です。

サン・フランシスコ講和会議で「日本は自由でなければならない」と説いたスリランカ代表。

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ジャヤワルダナ氏は、鳴りやまない万雷の拍手と歓声のなか、演壇を降りた。・・・オペラハウスの窓という窓が振動した、…ロビーでは、大勢の群衆に取り囲まれて握手攻めとサイン攻めにあい、自分の席にもどるのに、護衛官が出るほどだったという。                                           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

1951年9月、日本と米英ソなど交戦国51カ国とのサン・フランシスコ講和会議で、セイロンのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ代表が行った演説の様子を、現地紙「サン・フランシスコ・クロニクル」はこう伝えました。

 日本代表の吉田茂首相は、気高い演説に涙をあふれさせていました。そして、その日のうちにジャヤワルダナ氏を宿舎に訪問して、心からのお礼を述べました。

 セイロンは現在のスリランカで、この国名は「光り輝く島」という意味です。「光り輝く島」からやってきたジャヤワルダナ氏が、戦後の日本国民に希望の光を投げかけてくれました。

・・・1951(昭和26)年の日本は、第二次世界大戦後のOccupied Japan(米国占領の日本)として、世界的には独立国としての地位を回復していませんでした。

因みに、日本と三国同盟を結んでいたドイツは1945(昭和20)年4月30日にアドルフ・ヒットラー総統の自殺に因り、ドイツ軍は無条件降伏。1945(昭和20)年6月5日のベルリン宣言により、ドイツ中央政府の不在が宣言され、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の4か国による分割占領が開始されていました(連合軍軍政期)。

結果として、日本は独立する際に、東西冷戦の影響下にありながら、幸いにも国家を分断されませんでした。しかし、ドイツでは西側連合国の占領地域は1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)に、ソ連の占領地域はベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)として独立し、分断国家としての道を歩むことになりました。

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ (ウイキペディアより)

舞台は米国サンフランシスコ講和会議である。51カ国からの代表が集まって、日本との講和条約を結び、 日本の独立を認めるかどうかを議論する場であった。米国が中 心となって、日本の独立を認める講和条約案がまとめられてい たが、ソ連は日本の主権を制限する対案を提出し、さらに中国 共産党の出席を求めたりして、審議引き延ばしを図っていた。

 ジャヤワルダナ代表は、自らはスリランカ代表ではあるが、 「日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における彼ら の感情をも述べうる」として、こう語った。

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アジアの諸国、セイロン(旧スリランカ)、インド 及びパキスタンの日本に対する態度を活気づけた主要な理 念は日本は自由であるべきであるということであります。

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「自由であるべき」とは、日本の占領を解いて、独立を回復さ せるべき、という意味である。

・・・我が国の義務教育や高校での歴史に関する授業では、明治以降の日本や世界の近現代史を教える事はありません。つまり、子供達からすると令和の現在に繋がる大正、昭和、平成の時代の世界情勢や日本の状況を知らずに、現在の視点でしか物事を判断するしかないのが実情です。

従って、日本が米国から戦後七年間も占領されていたという事実すら子供達は学校では教えられていません。

つまり、戦後の日本は米国の言いなりにならざるを得ない時期があり、国際社会に復帰する事は至難でした。そのときに応援してくれたのがアジアの国々だったのです。

posted by at 12:57  |  塾長blog

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