教えることは、待つこと。

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、春期講習中にも明るい大きな声で音読をしています。

就学前の姉妹・兄弟の可愛く高い声が塾内を満たしています。

三歳の女の子が年上の塾生と、論語の一節を唱えていたときに、その粒らな瞳に涙が滲み出しました。一所懸命に声を出しているからなのか、論語のリズムに反応してなのか、不思議です。最後までしっかり唱え終わりました。

 

さて、

朝井まかて著「ボタニカ」(祥伝社)の一節をご紹介します。直木賞、中央公論文芸書、柴田錬三郎賞など数々受賞する作家が、「日本の植物学の父」と言われる牧野富太郎氏を主人公として描いた作品です。その一節。

白墨を手にした富太郎は、黒板に桃の実の絵を三つ書いた。

「ここに桃が三つ入った籠がある。これに二を乗じて四つ食ったら、いくつ残るが?」

教場に座した生徒らを見回し、黒々したイガグリ頭に目を留めた。

「岩吉、どうじゃ」

皆が一斉に後ろを振り向く。注視を浴び、岩吉の平たい顔が途端に紅色を帯びた。躰は大人並みで、実際、富太郎と同じ十七歳だ。岩吉が前の席に座れば後列の生徒に掛図や黒板の文字が見えにくくなるので、常に出入り口に近い後方にいる。家の畑仕事を手伝ってから登校するらしく、しばしば授業に遅れるという事情もある。

岩吉は俯いて、肩や腕をもぞもぞと動かすばかりだ。

「ゆっくりでえいぞ」

こういう局面では急かさないことにしている。岩吉はこの程度の計算など簡単にでき、頭の中ではすでに答えを出しているのだ。それはこれまでの授業で察しがつくし、この教室は上等小学の八級だ。皆、下等小学の一級からここまで進んできている。臨時の試験を受ければ飛び級もでき、たしか岩吉も何級か越えているはずだ。しかしこうして皆の前で当てられると狼狽して黙り込んでしまう。人前で答えを述べることに慣れていない。特に百姓の子にそういった性質が多く、岩吉もしかりだ。間違うことを無闇に恐れ、教員に対してもひたすら恐懼の体を取る。

(中略)

「岩吉、どうじゃ」と、再び促してみた。

大きな肩をすくめ、やっと「二つ」と呟くように答えた。「よろしい」とうなずき、富太郎は爪先を回した。黒板に向かい、桃の絵を新たに大きく五つ描く。

「さて、次の問いじゃ。桃を七人で食いたいが五つしかないとする。あと、いくついる?」

前列の女児を当てると、即座に「二つ」と答える。順に訊いていくと、皆が「二」「二個」と答えていく。先ほどよりさらに簡単な計算であるので間違える者はいない。問いをもっと捻るべきだったかと思いつつ、最後に岩吉の番だ。

「あといくつ要る」

すると、首を横に振った。

「要りません」

「ほう、要らぬか」と、富太郎は頬を緩めた。「いくつ要る」と問われて「要らぬ」と答えるのは正解ではないが、不正解は往々にしてサムシングを孕んでいる。

そうじゃ、こういう答えを待っておったがよ。

浮き浮きと弾んでくる。しかし生徒らは顔を見合わせてざわつき、岩吉の顔はまたもや熟柿の如きになった。

「皆、静かにせんか。岩吉、理由を教えてくれ」

岩吉は目をしばたかせ、唇を揉むように動かしてから「うちは」と声を押し出すように言った。

「うちんくじゃ、いっつも桃の木から五つもいで、それを七人で食べよります」

「喧嘩にならぬのか」と訊くと、何人もが笑い声を立てた。それにはかまわず、目で先を促す。

「なりません」

「岩吉の家には工夫がありそうじゃな。絵でもって皆に教えてくれぬか」

前へ出てくるように手招きをした。すぐに立ち上がらぬのはわかっているので、また待った。

「岩吉、わしも教えてもらいたいがよ」

渋々ながらも、ようやく前に出てきた。藍木綿の着物は窮屈そうで、手首や太いふくらはぎが剥き出しだ。ひなたの草の匂いがする。白墨を渡すと、岩吉はしばし黒板の前に佇み、そして三つの桃にのろのろと斜線を引いた。引いていない桃も二つある。

「ほう、これはいかなる分け方じゃ」

「一個まるまるを父ちゃんに食べてもろうて、あとの三つを半分ずつ、祖父ちゃんと祖母ちゃん、わしと弟、妹二人で分けるがです」

「すると、一個余る勘定になるが」

「はい、母ちゃんに供えます。仏前に」

思わず目尻が下がった。「そうか」と何度もうなずき、席に戻るように掌で指し示す。岩吉が腰を下ろすのを見届けてから、「えいことを教えてもろうた」と皆を見回した。

「えい分け方じゃ。それに、皆、この絵をよう見てみいや。五という数は一が五つあるだけでできちゅうわけじゃないことがわかるろう。一と一、それに二分の一が六つあっても、五になる。他にもいろんな数が潜んじょりそうじゃのう、面白いのう」

生徒らはじっと息を詰めて目を凝らし、「うちは四人じゃから」と分け方を考え始めた。

「一つ余るき、それを四分のいちずつ、また分ける。ということは、一が四つに、四分の一が四つでも、五になる」

発見した。そんな目をして、頬を輝かせている。

富太郎は、その感触を忘れてくれるなと願いながら教場を見回した。

最初は伝えることに懸命だったのだ。この世がいかに面白いことどもでできているか、生徒らに知ってほしかった。けれど一方的に言葉を発しても、持っている桶の大きさがそれぞれ異なることに気づかされた。新しいこと三つ学んだら、後はもう溢れてしまう桶もある。そこで、桶が一杯になった時分に、こうやって問いかけることにした。

教えること、すなわち一方的に伝えることではない。教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。

 

・・・牧野富太郎氏は、十五歳から、高知県の佐川小学校の「授業生」すなわち臨時教員としておよそ二年間教鞭を取りました。その頃の教授風景を作家は生き生きと描写し、牧野富太郎氏が植物学への道を踏み出す頃に読者を引き込んでいきます。

お薦めの一冊です。

 

posted by at 17:22  |  塾長ブログ

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