教科書に乗らない歴史上の事実 4 人種平等の精神を国是とする大日本帝国

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、夏季講習も終了し、処暑(しょしょ)第四二候 禾乃登(こくもの すなわち みのる)となりました。旧暦とともに二十四節氣の意味合いを考えると、日本人の季節感や感性がよく理解できます。

2017年8月13日付の当ブログでご紹介した「デンマーク人の勇気 ナチスからユダヤ系市民を守った物語」 に引き続き、http://lgmi.jp/detail.php?id=2505

教科書に載らない歴史上の事実を、「国際派日本人養成講座」の「大日本帝国のユダヤ難民救出」を引用しつつご紹介します。http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog257.html

大東亜戦争終戦以前の大日本帝国は、1919年第一次世界大戦後のパリ講和会議で、国際連盟規約の中に「人種平等条項」を入れるよう提案しました。この人種差別撤廃提案(Racial Equality Proposal)は、圧倒的多数の賛成を得ながら、、イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国の上院などが強硬に反対し、議長の米国大統領ウィルソンの策略によって否決されました。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初の国です。

■1.ユダヤ人排斥■

 1933(昭和8)年1月、ヒトラーは首相に就任すると、4月1日にユダヤ人排斥運動声明を行い、ユダヤ人商店のボイコット、ユダヤ人の公職追放、教師・芸術家・音楽家の締め出し、ニュルンベルク法(1935)によるドイツ市民資格剥奪、と矢継ぎ早にユダヤ人排斥政策が打ち出していった。

 急増するドイツ、オーストリアからのユダヤ人難民を救うために、米国のハル国務長官が1938(昭和13)年3月に国際委員会を組織する提案を行い、その第1回委員会がフランスで開かれた。しかし国際社会はユダヤ人に対して冷たかった。米国の議会は自国の政府提案を拒否。ベルギー、オランダ、アルゼンチン、ブラジル等は、移民受け入れの余地なしと回答。カナダは協力の意向あるも、収容能力に限度あり。イギリスは、農業移民ならギニア植民地に収容できるかもしれない、といかにも老獪な事実上の拒否。

 同年11月7日にユダヤ系ポーランド人の一少年が、パリのドイツ大使館書記官を暗殺したのを機に、宣伝相ゲッベルスは報復を呼びかけた。その結果、ドイツ全土のほとんどのユダヤ教会堂が焼討ちや打ち壊しにあい、7千5百のユダヤ人商店が破壊された。街路がガラスの破片で覆われて輝いたので、「水晶の夜」とよばれる。ユダヤ人の死者は91人、強制収容所送りは2万6千人に達したという。この事件を機に、ヒトラーはユダヤ人の大規模な国外追放を始めた。

そもそもユダヤ人とは、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者のことです。旧約聖書にも描かれているように、紀元前から長きにわたり民族的迫害を受け続けています。

フランスでのユダヤ人大量虐殺(1348年)

■2.帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神■

 水晶の夜から1ヶ月も経たない昭和13年12月6日、日本では5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で「猶太(ユダヤ)人対策要綱」が決定された。これはユダヤ人を「獨国(ドイツ)と同様極端に排斥するが如き態度に出づるは啻(ただ)に帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神に合致せざる」として、以下の3つの方針を定めたものであった。

・ 現在日本、満洲、支那に居住するユダヤ人は他国人と同様公正に扱い排斥しない。
・ 新たに来るユダヤ人は入国取締規則の範囲内で公正に対処する。
・ ユダヤ人を日本、満洲、支那に積極的に招致はしないが、資本家、技術者など利用価値のある者はその限りではない。(すなわち招致も可)

 この時、日本はドイツ、イタリアとの三国同盟の前身たる防共協定を結んでいた。その同盟国のユダヤ人排斥を「人種平等の精神に合致せざる」と批判し、かつ世界各国が受け入れを拒否した難民にも、入国規則内で公正に対応する、というのである。
(中略)

 有色人種国家として、ただ一国近代化に成功して、世界5大国の一角を占めるようになった日本にとって、長年戦ってきた人種差別に今また苦しめられているユダヤ民族の苦境は、他人事ではなかった。

■3.陸軍随一のユダヤ問題研究家・安江仙弘大佐■

 5相会議での「猶太(ユダヤ)人対策要綱」策定に大きな力となった人物がいた。安江仙弘*1(やすえのりひろ)陸軍大佐である。安江大佐は幼年学校時代からロシア語を学び、シベリア出兵時に武功をたて、その後、陸軍随一のユダヤ問題研究家となった。

 この前年の昭和12(1937)年12月26日、満洲ハルピンにて、第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、ハルピン陸軍特務機関長の樋口季一郎陸軍少将*2が、ドイツのユダヤ人排斥政策を批判し、「ユダヤ人を追放するまえに、彼らに安住の地をあたえよ!」と演説して、聴衆を感激させた。

 この大会のわずか3日前に樋口少将を補佐するために陸軍中央部から派遣されたのが、安江大佐であった。大会後、翌13年1月21日には、安江大佐が中心となって、関東軍は「現下ニ於ケル対猶太民族施策要領」を策定し、世界に散在せるユダヤ民族を「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合するを理想とする」とした。

 「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中のことで、一宇とは「一つ屋根」を意味する。初代・神武天皇が即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く暮らすことを、建国の理想とされた。英語では、Universal Brotherhood(世界同胞主義)と訳されている。関東軍はこの八紘一宇の精神をもって、ユダヤ民族を助けるべきである、と安江大佐は主張したのである。

 同時に「施策要領」は「ユダヤ資本を迎合的に投下せしむるが如き態度は厳に之を抑止す」とした。ユダヤ難民をあくまで人道的に取り扱うが、ユダヤ資本をあてにするような事はしない、という方針である。

 この後、3月8日から12日にかけて、約2万人(一説には数千人)のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で押し寄せ、吹雪の中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、特別列車を出して救出した。

*1 安江仙弘 松本藩士・台湾総督府官吏、安江仙政の長男として秋田県秋田市の平田篤胤の生家で生れる。1909年5月、陸軍士官学校(21期、同期には石原莞爾、樋口季一郎)を卒業。昭和20年8月23日、大連でソ連軍に逮捕され、昭和25年ハバロフスク収容所で病死。安江は、「日本をこのようにしてしまったのは、我々年配の者達の責任だ。俺はその責任を取る。ソ連が入って来たら拘引されるだろう。俺は逃げも隠れもしない」と言い残したそうです。

陸軍大佐 安江 仙弘

*2 樋口季一郎陸軍少将 1888年生まれ。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルビン特務機関長、第9師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。昭和20年(1945)8月18日以降占守島、樺太における対ソビエト軍への戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与え、防衛戦に勝利した。そのため極東軍事裁判に際し、スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を戦犯に指名。世界ユダヤ人会議はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救出運動が展開された結果、日本占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護した。

北部軍司令官時代の樋口(昭和18年ごろ)

現在の日本の歴史教科書には、このような事実は全く記載されていません。世界の長い歴史の中では、様々な民族の興亡があり、現在の平和な日本に住む私たちから観れば想像を絶する、凄まじい殺戮を繰り返しているのが人間の歴史です。当然絶滅させられた民族もあるわけですから、良い悪いではなく、いかに民族が生き残るかはpower(軍事・経済・資源など)次第であるのが現実です。

(中略)

■7.ゴールデン・ブックへの記載■

昭和16年11月1日、安江大佐に対し、ハルピン市のホテル・モデルンで数百人のユダヤ人列席のもと、世界ユダヤ人会議代表M・ウスイシキン博士署名の「ゴールデン・ブック」への登録証書授与が挙行された。

ゴールデン・ブックは、ユダヤ人の保護・救出で功労のあった人を顕彰するためのものである。この時、吹雪の中で2万人とも言われるユダヤ難民を救出した樋口季一郎少将、および、樋口・安江と力をあわせてきた満洲ユダヤ人社会のリーダー、カウフマン博士もともに記録された。

恐らく同時期であると思われるが、海軍の犬塚惟重大佐*3も、ゴールデン・ブック記載の申し出を受けた。犬塚大佐については、いづれ稿を改めて紹介するが、犬塚機関を作って、安江大佐とも協力しながら、上海のユダヤ人社会を保護した人物である。犬塚大佐は次のように述べて、申し出を辞退したという。

私の哀れなユダヤ難民を助け東亜のユダヤ民族の平和と安全を守る工作は、犬塚個人の工作ではなく、天皇陛下の万民へのご仁慈にしたがって働いているだけである。

私はかつて、東京の軍令部にいた時、広田外相からこんな話を伺ったことがある。広田外相が恒例の国際情勢を陛下に奏上申しあげたうちでナチスのユダヤ虐待にふれたところ、陛下は身を乗り出されて憂い深げにいろいろご下問なさるので、外相は失礼ながら陛下はユダヤ人を日本人と思い間違いあそばしているのではないかと不審に存じ上げたが、陛下は「いやユダヤとわかっているが、哀れなもの」と仰せられて、そのご仁愛のほどに恐懼したというのだ。私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の名を書くように。

■8.もしここに天皇陛下がいらっしゃったらどうなさるか■

ユダヤ人を救出して顕彰せられた日本人としては、「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受けた杉原千畝がいる。ポーランドの独ソ分割によって追われたユダヤ難民6千人(推定)に対して、日本へのビザを発行して命を救ったカウナス(バルト3国の一つ、リトアニアの臨時首都)領事代理である。

大量のビザ発行手続きに関しては、外務省訓令を逸脱していており、これをもって杉原の行為を、国策に反した個人的善行と見なす見方があるが、五相会議決定、安江機関、犬塚機関という一連の流れの中で見なければならない。杉原自身はユダヤ人救出の動機を後年、こう述べている。

それは私が、外務省に仕える役人であっただけではなく、天皇陛下に仕える一臣民であったからです。悲鳴をあげるユダヤ難民の前で私が考えたことは、もしここに天皇陛下がいらっしゃったらどうなさるか、ということでした。陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか。それとも温情をかけられるだろうか。そう考えると、結果ははっきりしていました。私のすべきことは、陛下がなさったであろうことをするだけでした。

もし外務省に(ビザ発給に関する)訓令違反を咎められたら、私が破ったのは訓令であって、日本の道徳律ではないと思えば良いと腹を決めました。

*3 犬塚 惟重(いぬづか これしげ、1890年生れ )は、日本海軍軍人、ユダヤ問題研究家。海軍大佐。

犬塚 惟重大佐

日本人の特性として、人類皆兄弟というような差別意識の無さが挙げられます。これは「一木一草」に命が宿ると考える民族であることが基礎にあるように思います。戦前の日本人の凛々しさを示すのが上に掲載する写真の御顔です。やはり、志の高さと躾や教育の大切さを感じさせる写真ですね。

posted by at 22:45  |  塾長blog

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