11歳の塾生との会話。

「最近、何か本を読んでいる?」(筆者)

「はい。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です」(塾生)

「そうなんだ」と言いつつ、速攻検索。(「ああ、新聞の書評欄で斜め読みした本だ、」)と思いながら、

「それで、どんな感想を持ったの。」(筆者)

「まだ全部読んでないのですが、現在のイギリスの世相がよくわかります。」(塾生)、と。

ネット検索して、内容紹介を読むとなかなか面白い。テンポよく11歳の男の子と母親の日常が描かれています。英国の教育事情や階級社会・人種問題の現実が反映され、とても興味深い。

 

話は変わって、二宮翁夜話 巻之一 十四から。

翁曰、万巻の書物ありといへども、無学の者に詮(セン)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(カ)る力なきを如何せん、向ひに米屋ありといへども、銭なければ買ふ事はならぬ也、されば書物を読(ヨマ)んと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小より積(ツミ)初むべし、此外に術はあらざるなり   

・・・二宮翁が仰るには、万巻(ばんかん:多くの書物のこと)の書物があるとはいえ、無学(学問・知識の無いこと)のものにとっては詮(その行為に見合う効果)は無い。隣家に金貸しがあるといっても、我(自分)に借りる力が無いのはどうしようもない。向かいに米屋があるといっても、銭(金銭)が無ければ買うことは出来ない。

然れば(そうであるから)、書物を読もうと思えば、イロハより習い始めるべきである。家を興さんと(打ち立てようと、興隆しようと)思えば、小より積み始めていくべきである。この他には術(方法、手段)はありようがない。

・・・先に述べた塾生は、幼稚園の年長さんの時、正に「いろは」から、倦まず弛まず(飽きたり、気を緩めたりしないで物事をなす心掛け)学びを続けています。漢字検定は既に準二級を高得点で合格し、学ぶ姿勢は真摯(しんし:真面目で直向きな様)そのものです。筆者と交わす会話のレベルも並の高校生以上の語彙力を使いこなすことが出来ます。これも親御さんや祖父母さんの姿勢の賜物のように思います。結果、それを見習って年若の塾生の学ぶ姿勢も立派になってきます。此れも「善の循環」ですね。

 

武漢ウィルスの蔓延で人混みの中に行くことは自粛することが肝要です。考えてみると、日本人は昔から親から子へと、「人混みは避ける」「人混みの中へ行ったら、帰宅すると嗽(うがい)・手洗い」を伝えていました。

春休み期間中ですが、もう直ぐ小学校一年生になる塾生さん達は、就学前の学びを日々行っています。素読・音読をし、レベルに応じて辞書を引き、意味を書き写していきます。身につけていくべき言葉を一つずつ、一つずつ。まさに「千里の道も一歩から」です。

さて、積み重ねることの大事さを説く二宮翁夜話 巻之一 十四から引用してご紹介します。

翁曰(いわく)、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡(およそ)小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず、夫故(それゆえ)、 終(つい)に大なる事をなす事あたはず、 夫(それ) 大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり、 譬(タトヘ)ば 百万石の米と雖(イヘド)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、其(その)業(ワザ)は一鍬づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひトモツコ)の土よりなる事を明かに弁へて、励精(レイセイ)小さなる事を勤めば、 大なる事必(かならず)なるべし、 小さなる事を忽(ユルガセ)にする者、大なる事は必(カナラズ)出来ぬものなり 

・・・二宮翁が仰るには、大事(物事の根本に関わるような重要なこと。大事業)を為そうと欲するならば、小さなること(重要ではない、小さいこと)を、怠らず(途切れなく、中断することなく)勤む(精を出してつとめる)べきである。

凡そ(おおよそ、大体)小人(器量の無い、人徳の無い人)の常(習い、習わし)は、大きな事を欲して、小さいことを怠り(なまける、手落ちがある)、出来難い(可能性がない、仕上がりにくい)ことを憂いて(心配して)、出来易い(可能性がある、仕上げやすい)ことに努力を傾けない。

それ故、終に(最後に、終わりに)大きいことを成し遂げることが出来ない。それは、大は小を積み重ねていくことによって大になるということを知らないからである。

譬えば(例えば)、百万石(石:穀物などを量る単位。1石は10斗、約180リットル。大名・武士の知行高を表す)の米といえども、粒が大きいわけではない。万町(町:区画した田地)の田を耕すといえども、その業(業績、成し遂げたもの)は、一鍬づつの積み重ねの功績である。

千里の道も一歩ずつの歩みの重ねにより到達が出来る。

山を作るにも、一簣(もっこ:縄を網のように四角に編み、石や土を四隅をまとめるようにして担いで運ぶ道具)の土よりなることを明確に弁えて(道理を承知して)、励精(心を励まし努力すること)して、小さなことから精進すれば、大きなこと(大事業)も必ず成就する。小さなことを忽(ゆるがせ:物事をいい加減にする、なおざりにする)にする者は、大きなこ

と(大事業)は必ず出来るわけがない。

 

・・・毎日毎日、一字、一字、一語彙ずつ。漢字帳や帳面に一行ずつ、一頁ずつ。その積み重ねが、一月、半年、一年となります。そして小学校、中学校へと。

筆者の記憶を振り返ると、小・中・高、更に大学へと続く中で、クラスで一番、学校で一番という同級生は、クラスで、また学校で一番努力を積み重ねてきた人でした。

以下は、報徳博物館(https://www.hotoku.or.jp/sontoku/)からの引用です。

報徳博物館から引用

 二宮翁(二宮金次郎、尊徳)は、足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生。幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく家の再興に成功しました。

その手法を生かし近親者の家政再建を行ったほか、奉公に出た小田原藩の家老・服部家で「五常講」という金融互助制度(のちの信用組合のはしり)をはじめ、服部家の立て直しを依頼されるなど、その才覚を表してきました。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が小田原藩主・大久保忠真から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。

金次郎はこれを契機に財政再建・農村復興の仕事(報徳仕法)にまい進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、かたわらすぐれた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。

安政3年(1856)、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。

幼児さんの塾生が一斉にある本の音読をしている際に、「おめずおくせず」という語句が出てまいりました。

「怖めず臆せず」とは、「少しも怖れたり気後れすることなく。堂々と。」の意です。塾生が長じて成人してからも、立派な日本人として怖めず臆せず、其々の行く道を歩んで貰いたいと祈念するばかりです。

さて、「我が道を行く覚悟」について、二宮翁夜話 巻一 十より、引用してご紹介します。

翁曰、 親の子における、農の田畑に於る、我道に同じ、 親の子を育(ソダツ)る無頼(ブライ)となるといへども、養育料を如何せん、農の田を作る、凶歳なれば、肥代(コヤシダイ)も仕付料も皆損なり、夫(それ)此道を行はんと欲する者は此理を弁(ワキマ)ふべし、

・・・二宮翁が仰るには、親が子に対する姿勢、農業の田畑に対する姿勢は、私にとっては同じ「道」である。親が子を育て、無頼(定職を持たず、素行の悪いこと)となるとしても、その養育料をどうしたら良いのか。農業の田を作る際に、凶歳(不作の年)となれば、肥料にかかる費用も仕付け(作物を植え付けること。特に、田植え。)の費用も、皆損をすることになる。そもそもこの道を行おうと欲する者は、この理(物事の筋道。道理。)を弁えて(善悪の区別をして)おかなければならない。

吾始(ハジメ)て、小田原より下野(シモツケ)の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ユダ)ねたり、是則(これすなわち)此道理に基けるなり、

・・・私(二宮翁)は、始めて小田原(現神奈川県の小田原)より下野(旧国名、現栃木県)の物井の陣屋(*)に赴任した。己(自分自身)の家を潰して(犠牲にして)、四千石の復興に一途(一つのことだけに打ち込む事)に身を委ねた(一身を捧げた)。これはすなわちこの道理に基づいていたのである。

(*)物井の陣屋:小田原城主である大久保加賀守忠朝の三男教信が分家して、旗本であった宇津家を再興した。その際下野国桜町領にて四千石を知行し、元禄12年(1699)この地に陣屋を創設した。
その後、五代教成にいたり、領内がすこぶる疲弊し、陣屋役所の頽廃も極度に達したため、財政改革・領地復興のために本家である小田原藩から依頼され、二宮金次郎が文政5年(1822)に赴任することになった。以来26年間、桜町陣屋を中心に活動し、桜町領の復興に成功した。
陣屋は旗本宇津家の知行所三か村(物井・横田・東沼)四千石の統治のために、元禄12年(1699)創設され、明治4年(1871)に至る172年間の役所である。敷地構内は東西約90m、南北約109m、回字形で面積1.1ヘクタール余をはかる。内部には田畑、宅地、池、井戸、神社等がある。周辺に土塁をめぐらし、外周三方に堀が通じている。
その後、二宮金次郎は日光神領の復興を命じられ、今市報徳役所にあって着々成果を上げたが、70歳で亡くなり、如来寺(現在の報徳二宮神社境内)に埋葬された。

二宮尊徳所縁の地(https://www.tochigiji.or.jp/spot/8563/)より引用

 

夫(それ)釈(シヤク)氏は、生者必滅(セウシヤヒツメツ)の理を悟り、 此理を拡充して自ら家を捨(ステ)、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり、只此一理を悟るのみ、

・・・そもそも、お釈迦様は、生者必滅(しょうじゃひつめつ:生ある者は必ず死ぬという事)の理(真理)を悟られ、この理を拡充(広げ、充実させること)して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日の如き「道(仏道)」を弘められた。ただこの一理(一通りの道理)を悟るのみである。

夫(それ)人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり、長生といへども、百年を越(コユ)るは稀なり、限りのしれたる事なり、 夭(ワカジニ)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云(いう)も、 実は毛弗の論なり、譬(タトヘ)ば蝋燭に大中小あるに同じ、 大蝋といへども、火の付(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必(かならズ)死する物と覚悟する時は、一日活(イキ)れば則(すなわち)一日の儲(マフケ)、一年活(イキ)れば一年の益也、故に本来我身もなき物、我家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり、予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」、 夫(それ)此世は、 我(われ)人(ひと)ともに僅(ハツカ)の間の仮の世なれば、 此身は、かりの身なる事明らかなり、 元のあるじとは天を云(いう)、このかりの身を我身と思はず、生涯一途(ヅ)に世のため人のためのみを思ひ、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免(マヌカ)れ富有になり、土地開け道(ミチ)橋(ハシ)整ひ安穏に渡世の出来るやうにと、夫(それ)のみを日々の勤とし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我(わが)此身である、といふ心にてよめる也、是(コレ)我(ワレ)畢生(ヒツセイ)の覚悟なり、我道(ワガミチ)を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず

・・・そもそも、人は生まれ出でたる以上は死ぬことは必定(ひつじょう:必ずそうなることは決まっていること。そうなることが避けられないこと)である。長生きをするとしても、百歳を超えることは稀であり、(所詮は)限りあることである。夭逝(ようせい:年若くして死ぬこと)というも長寿(ちょうじゅ:長生きすること)というも、実は毛弗(もうふつ:わずかな違い)の論である。

たとえば、蝋燭(ろうそく)に大中小あることと同じである。大蝋(大きな蝋燭)といっても、火がついた以上は(燃えている時間は)四時間か五時間しかない。そうであるから、人として生まれ出でた以上は、必ず死すべきものと覚悟(悟りを開くこと)するときは、一日活きれば(生存すれば)則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益(利得)となる。故に、本来(もともと)我が身も無いものと、我が家も無いものと覚悟すれば、跡(あと:人が残したもの)は百事百般(色々なことやいろいろなほうめん、万事万般)は皆儲けである。

予(私)の歌に、

「かりの身を 元のあるじに 貸渡し 民安かれと 願ふ此身ぞ」

そもそもこの世は、私も人も共に僅かの間の仮の世であるから、この身は仮の身であることは明らかである。元のあるじとは、天のことである。この仮の身を我が身と思わず、生涯を一途に(一筋に)世の為人の為とのみ思い、国の為、天下の為に益(役立つこと)あることのみを、勤め(当然しなければならない)れば、一人でも一家でも一村であっても、困窮(貧乏で困ること)を免れ、富有(豊かで富むこと)になる。土地を開墾し、道や橋を整えることができ、安穏(穏やかで無事な様)に渡世(社会の中で働きつつ生きること)出来るようにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕(朝な夕なに)願い祈って、怠り無い私のこの身よ、という心にて詠んだのである。

これは私の畢生(ひっせい:生涯、一生)の覚悟である。

我が道を行わんと思う者は、知らずんば在るべからず(知らずにあるべきでは無い、知らずに居られようか)。

 

・・・私達の御先祖様達は、此のような覚悟を常に心に留めて精進をしていたのです。管見ながら、古典を紐解くことによって、幼児期から倫理観と志を植えつけていくことが肝要では無いか、と。

武漢ウィルスが世界中に蔓延しつつあるこの時期に、久し振りに二宮翁夜話(にのみやおうやわ*)を読んでいますと、改めて感じ入ることがあります。

*二宮翁夜話・・・二宮尊徳の門人福住正兄(ふくずみまさえ)が,師の身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理し,尊徳の言行を記した書。1884‐87年正編5巻刊行。正編には233話,続編(1928)には48話を収める。尊徳の自然,人生,歴史観ならびに報徳思想の実体が,平易に,私心を交えず伝えられた,彼の全貌を知るための手引書である。

二宮翁夜話 巻一 九より引用してご紹介します。

越後国の産(モノ)にて、笠井亀蔵と云者あり、故ありて翁の僕(ボク)たり、翁諭(サト)して曰、 汝は越後の産なり、越後は上国と聞けり、 如何(イカ)なれば上国を去(サリ)て、他国に来れるや、亀蔵曰、上国にあらず、田畑高価にして、田徳少し、江戸は大都会なれば、金を得(ウ)る容易(タヤス)からんと思ふて江戸に出づと、 翁曰、 汝過(アヤマ)てり、 夫 (それ)越後は土地沃饒(ヨクジヤウ)なるが故に、食物多し、食物多きが故に、人員多し、人員多きが故に、田畑高価なり、田畑高価なるが故に、薄利なり、然るを田徳少しと云ふ、少きにあらず、田徳の多きなり、田徳多く土徳(ドトク)尊きが故に、田畑高価なるを下国と見て生国を捨(すて)、 他邦に流浪するは、大なる過ちなり、  過ちとしらば、速(スミヤカ)にその過ちを改めて、帰国すべし、越後にひとしき上国は他に少し、然るを下國と見しは過ちなり、

・・・(筆者現代語訳)

越後国(佐渡島を除く、新潟県全域に相当)出身の笠井亀蔵という者が在り、事情があって翁(二宮尊徳)(おきな:老人の敬称)の下僕(げぼく:召使い、下男)をしておりました。翁が諭して仰るには、

「汝(お前)は越後の出身で、越後は上国(近世、石高の大きな藩、格の高い藩)と聞いている。何故に上国を去って、他国に来たのか。」

亀蔵が言うには、

「上国ではありません。田畑は高価にして、田徳(田の恵、富)は少ないのです。江戸は大都会なので、金を稼ぐには容易であろうと思って、江戸に出て参りました。」

翁が仰るには、

「お前は過っている。其れ越後は土地が沃饒(よくじょう:田畑が肥沃、土地が肥えていて作物がよく採れること)である為に、食物が豊富である。食物が豊富である為に、住む人が多い。住人(人口)が多い為に田畑が高価である。田畑が高価である為に、薄利(利益が少ないこと)であると。然る(そうであること)を、田徳(田の恵、富)が少ないという。(ところが)少なくはなく、田徳は多いのである。田徳は多く土徳(土地の恵み・有難み)は尊いが故に、田畑が高価であることを下国(近世、石高の小さな藩、格の低い藩)と見て、生まれた国を捨て他の邦(くに)を流浪するのは、大いなる過ちである。過ちを悟ったならば、速やかにその過ちを改めて、国に帰るべきである。越後に相当するような上国は他に少しあるだけである。そうであるのに、下国であると見るのは過ちである。」

是を今日、暑気の時節に譬へば、蚯蚓(ミヽズ)土中の炎熱に堪兼(タヘカネ)て、土中甚(ハナハダ)熱し、土中の外に出(いで)なば涼しき処あるべし、土中に居るは愚(グ)なりと考へ、地上に出(いで)て照り付られ死するに同じ、夫(それ)蚯蚓は土中に居るべき性質にして、土中に居るが天の分なり、 然れば何程熱(アツ)しとも、外を願はず、我本性に随ひ、土中に潜みさへすれば無事安穏なるに、 心得違ひして、地上に出(いで)たるが運のつき、迷(マヨヒ)より禍を招きしなり、

・・・これを昨今の暑気の時節(真夏の時期)に喩えれば、蚯蚓(ミミズ)が土中の炎熱(燃えるような暑さ)に耐え兼ねて、土中の甚だしく熱していることから、土中の外に出ていけば涼しいところがあるだろうし、土中に居残るのは愚かであると考え、地上に出て日に照り付けられて死んでしまうことと同じである。そもそも蚯蚓は土中に居るべき性質であるし、土中に居るのが天分(生まれつきの性質)である。然れば(そうであるならば)どれ程熱くても、外に出ることを願わず、自分の本性に従って、土中に潜んでさえいれば無事で安穏な(暮らしができる)のに、心得違い(間違った考え)をして地上に出てしまったら運の尽きである。迷いによって禍(災い)を招いてしまうことになる。

夫(それ)  汝もその如く、越後の上国に生れ、 田徳少し、 江戸に出(いで)なば、 金を得る事いと易からんと、思ひ違ひ、自国を捨(すて)たるが迷の元にして、みづから災を招きしなり、 然れば、今日過ちを改めて速(スミヤカ)に国に帰り、小を積んで大をなすの道を、勤(ツトム)るの外あるべからず、心誠に爰(コヽ)に至らば、おのづから、安堵の地を得る必定なり、 猶(ナホ)迷(まよい)て江戸に流浪せば、詰(ツマ)りは蚯蚓の、土中をはなれて地上に出(いで)たると同じかるべし、 能(よく)此理を悟り過を悔ひ能(よく)改めて、安堵の地を求めよ、 然らざれば今千金を与ふるとも、無益なるべし、我(わが)言ふ所必ず違(タガ)はじ

・・・「それ汝も同様に、越後という上国に生まれ、田徳が少ないので江戸に出れば、金を得ることは非常に容易いのではないかと、思い違いをし、自分の国(故郷)を捨てたのが迷いの元であり、自ら災いを招いてしまっている。そうであるならば、今過ちを改めて速やかに国元に帰り、小を積んで大を為す道に精進する外はない。心素直にこの心持ちに至れば、自然に安堵(あんど:安心する、心が落ち着くこと)の地(場所)を得ることが必ず出来る。猶(なお:まだ)迷ったまま江戸を流浪(さまよい歩くこと)するならば、鯔(トド)の詰まり(物事の行き着くところ)、蚯蚓が土中を離れて地上に出てくることと同様である。能く(手落ちなく)この理屈を悟り、禍を悔いて能く(上手に)改めて、安堵の地(安心して住むことができる土地)を求めなさい。然らざれば(そうでなければ)、今千金(多額の金銭)を与えても、無益(無駄なこと)なこととなってしまう。私が申し述べることは、必ず違う(たがう:一致しない)ことはない。

映画「二宮金次郎」https://ninomiyakinjirou.com

・・・二宮尊徳の具体的でわかりやすい話は時代を超えて説得力があります。

また、長い人類の歴史の中で、様々な警句(奇抜な表現で、巧みに鋭く真理を述べた短い言葉)があります。

The grass is always greener on the other side of the fence.(隣の芝生は青い)

The darkest place is under the candlestick.(最も暗い場所はろうそく立ての下である)

The nearer the church, the farther from God.(教会に近ければ近いほど、それだけ神から遠くなる)

 

羅針塾では、塾生の親御さんと定期的に面談する機会を設けています。ご家庭での様子、幼稚園や学校での先生方からの評価、当塾での様子など、相互に情報交換をして、塾生の健全な成長を促進する縁(よすが:手掛かり、切っ掛け)となるからです。

さて、国際派日本人養成講座2020年03月08日(http://blog.jog-net.jp/202003/article_2.html)に、素晴らしい記事が掲載されていましたので、引用してご紹介します。

アドラー心理学と「和の国」の子育て 

 

子供達が「共同体感覚」を発達させて、共同体に貢献することが幸せへの道、とアドラーは考えた。

■1.「しっかり勉強して、世のため人のために尽くせる人間になりなさい」

 先日、福岡のある保育園で保護者向けの講演をさせていただいた。そこでは石井式の漢字教育[a]を実践されており、4、5歳の幼児たちが先生の示す漢字カードに元気な声で「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」などと唱和している姿を見た。こういう子供たちが立派に成人して、明日の日本を支えてくれるだろうと思ったら、嬉しくなって涙が出そうになった。

 保護者も熱心な方が多く、1時間お話をしたが、5~60人の方々が床の上に直に座り、4~50人の方々が廊下にまで立って、真剣に聞いてくれた。

 話の中で、知的障害者が従業員の7割を占めるという日本理化学工業の事例を紹介した。同社では近所の施設から依頼されて、知的障害者2人に作業を体験して貰ったのだが、いかにも嬉しそうに仕事をする。

「会社で働くより施設でのんびりしている方が楽なのに」と社長の大山さんは不思議に思ったが、この疑問に答えてくれたのが、ある禅寺のお坊さんだった。曰く、幸福とは「人の役に立ち、人に必要とされること」。この幸せとは、施設では決して得られず、働くことによってのみ得られるものだと。

 この事例のあとで、保護者の方々に問いかけた。子どもを幸せにしたかったら「しっかり勉強して、一流大学に行き、一流企業に入りなさい」と言うよりも、「しっかり勉強して、世のため人のために尽くせる人間になりなさい」と言うべきではないか、と。

■2.他者の幸福のために努力すること

 幸福とは「人の役に立ち、人に必要とされること」というお坊さんの指摘は、現代心理学でも「利他心は人間の本能で、それが発揮されると幸福感をもたらす」と裏付けられている。そこから、子育てにおいても「一流企業に入れるよう」と子供の利己心を刺激するよりも、「世のため人のために」と利他心を引き出す教育方法の方が良いはずだと考えた。

 心理学の創始者の一人で同様の主張をしたのが、オーストリアの精神科医・心理学者のアルフレッド・アドラーだ。はじめはフロイトとともに心理学の研究をしていたが、根本的な人間観の相違から袂を分かった。

 アドラーは自著のなかでフロイトの「人間は性欲動を満たそうとする快楽原則に支配される」という人間観を批判して、「他者の幸福のために努力することが、共同体感覚を持った人間にとって、真の『快楽原則』である、と反論している。[Hoffman, 7255]

 両者の人間観の違いは根本的だ。フロイトの暗い、宿命論的な心理学に対して、アドラーの心理学は崇高で明るい。アドラー自身も社交的な人間で、友人たちとウィーンのカフェで毎晩のように夜遅くまで語り合っていた。

 一時は社会を救うためにマルクス主義に傾斜したが、ロシア革命の現実を目の当たりにして、社会を変革して人々を救済するには育児と教育によるしかない、と考えるようになった。そこで研究だけでなく、カウンセリングや教師の育成に一生を尽くしたのである。

■3.「共同体の中で価値ある存在になりたい」という欲求

 アドラーは、人間は共同体の中で生まれ育つことを重視する。

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 人類の歴史上、完全にひとりで孤立した人間というものはいません。人類が発展できたのは、人類が共同体となり、完全を目指しながら理想の共同体へ向けて努力していたからです。[アドラー, 3243]
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 これは人間はもともと「群生生物」、すなわち群れの中で力を合わせて生き延びてきた、という進化人類学の定説と一致する。

 その共同体の中で「価値ある存在」になりたい、という基本的欲求を人間は持つ。これは共同体を維持・発展させるための群生生物としての本能だ。そこで、子供をどのように「価値ある存在」になるように育てるか、が教育上の重要課題となる。

「共同体の中で価値ある存在になりたい」という子供の欲求を正しく充たすアプローチとしてアドラーが主張しているのが、子供がお手伝いをした時などに「ありがとう」と感謝の言葉を伝える、「嬉しい」と素直な喜びを現す、「助かったよ」とお礼の言葉を述べる、などである。

 それによって、子供は自分が他者にとって「価値ある存在」になれることを実感し、その方向に向けて、さらに努力しようとする勇気を持つ。[岸見H25、2593]

 子供の「価値ある存在」になりたいという欲求に正しい方向性を与えるのが「共同体感覚」である。それは同じ共同体に属する他者を「仲間」と感じる所から始まる。そう感じるからこそ、仲間が困ったり、苦しんでいる時に、それを感じとり、何とかしたいと思う気持ちが生ずる。他者への貢献は、この「共同体感覚」によって正しい方向付けがなされる。

■4.「価値ある存在」になりたいという欲求を正しい方向に導く共同体感覚

「勇気づけ」ではなく、甘やかされた子供はどうなるか。他者から与えられる事に慣れた子供は、他者に依存しつつ、他者を「自分のために何かをしてくれる存在」と見なす。これでは共同体感覚が育たない。

 共同体感覚を欠いた「価値ある存在」になりたいという欲求は、他者を自分に奉仕させ、虚栄心を満足させようとする方向に働く。こういう子供が大人になると、地位や名声を求め、他者への思いやりのない、自己中心的な人間になるのだろう。

 また、幼児の頃に甘やかされて、途中から親に構って貰えなくなると、子供は親を自分に向けさせようと、非行に走ったり、不登校になったする。あるいはリストカットまでして、自分に奉仕しない事への復讐をする。どちらにせよ、自己中心的な姿勢である。

 逆に、叱られたり、罰を与えられてばかりだと、子供は家庭や学校で自分の「居場所」を見つけることができず、自分は「価値ある存在ではない」と思い込み、それが劣等感となる。この場合でも健全な共同体感覚は育たず、「他者のために何かしてみよう」という勇気は生まれない。

 家庭や学校は、共同体の中に生まれついた子供が、やがて「他者のために価値ある存在」に育つための場所だ。そこでは子供たちを他者のための思いやりや親切を行うよう勇気づけ、それが多少なりともできた時に、感謝や喜びの言葉によって、子供自身が「価値ある存在」に近づけたことを実感できるようにする。

こういう体験によって、子供の心に共同体感覚が発達し、それが「価値ある存在」になりたいという欲求を正しい方向に導いていく。アドラーはこれこそが本来の教育だと考えた。

 アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)  1870〜1937 オーストリア出身の精神科医・心理学者・社会理論家。精神異常について関心を持ち、精神分析運動の展開において中心的な役割を持った。1911年個人心理学協会創立。フロイトのリピドー理論を批判し、力こそ行為の原動力であり、神経症の原因は劣等感であると説いた。(20世記西洋人名辞典より)

補償compensation(心理学)・・・一般的には、全体としてのシステムが欠如した部分を補い、全体としてよりよい機能を維持しようとする傾向のことをいう。アドラーの個人心理学では、身体的諸器官、たとえば感覚器官の欠陥や弱さは心理的に補償されると考えられる。デモステネスは言語障害であったが雄弁家に、フランクリン・ルーズベルトは小児麻痺(まひ)を克服して大統領になったという。身体的器官に限らず、なんらかの欠点、弱さからおきてくる劣等感は、補償され優越感を求めようとする。劣等感が強すぎると過補償がおこり、かえって問題が生じることになる。(日本大百科全書)

講演の合間に怪我をした少女の手に包帯を巻くアドラー(Wikipediaより)

・・・この後、さらに素晴らしい記事が続きますが、下記ブログをご覧ください。(国際派日本人養成講座2020年03月08日(http://blog.jog-net.jp/202003/article_2.html))

 

 

因みに、筆者が考える教育理念の一つは、

倫理と志」を幼少時から醸成(じょうせい:序々に作り上げていくこと、醸し出すこと)すること、です。

倫理(りんり:人として守るべき道)とは、その人が育まれた家庭の有り様、環境によって人のあるべき崇高な精神として基礎づけられるものです。

志(こころざし:心に決めて目指していること)は、自我が目覚める前後から自然に(じねんに:しぜんに、自ずから、ひとりでに)生じてくるものであり、利己心から離れ、他を利する生き方を厳然と選ぶ、ことです。

所謂(いわゆる)「義務教育」(小学校・中学校)の中で、このような概念は児童生徒には披瀝(ひれき:考えをすべて打ち明けること)されることはないでしょうが、心ある先生方は、何らかの形で伝えようとされていると信じたいですね。

 

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