長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、語彙の充実を図るべく、年齢や理解度に応じて、教材を工夫して活用しています。

なかなか機会が無くて訪っていなかった平戸市の松浦資料博物館。想像以上の松浦藩の歴史を垣間見ることが出来ました、長崎市の歴史資料は出島中心ですが、出島に繋がるそれ以前の興味深い歴史を松浦資料博物館は示しています。http://www.matsura.or.jp

松浦資料博物館

その紹介記事からの引用です。

松浦史料博物館は、鎌倉時代から続き、平戸をはじめ壱岐をふくむ長崎県北を治めた平戸藩主松浦家に伝来した資料を保存・公開する長崎県で最も歴史を有する博物館です。建物は、明治26年(1893)に松浦家の私邸として建てられた「鶴ヶ峯邸」を利用しています。

平戸は地理的環境から古代より海外交流の歴史があります。
対外貿易関係やキリスト教に関係する資料、それらにまつわる貴重な古文書類などがあり、多くの研究者も訪れています。そして、海外交流関係に視点がおかれがちですが、収蔵資料はその範囲にとどまりません。

歴代当主・藩主にも個性豊かな人物がいたため、興味深い歴史資料・美術品も多く収蔵しています。その中でも江戸時代後期の平戸藩主であった松浦静山のコレクションは特別です。静山は平戸城内に楽歳堂(らくさいどう)という現在の博物館のような施設を設置しました。そこに当時としても貴重な文物を収蔵します。対象は国内、海外の様々な分野に及んでいます。

それらの多くが現在の松浦史料博物館に受け継がれています。これらの資料は国内のみならず海外の研究者にもその価値が認められつつあります。
貴重な成果が21世紀の今日でも発信されているのです。

・・・この資料館の収蔵物は約三万点とのこと。一部を見るだけでも、歴史的な興味は尽きません。そもそも平安時代嵯峨天皇第18子 融、姓 源氏・家紋三星(松浦家家紋)を賜い臣下に下ることに始まり、壇ノ浦の戦いに平家方として参戦したこと、元寇にも対峙したこと、室町期に遣明船を許されるなど海外交易に関与、ポルトガル船初めて平戸入港、フランシスコ・ザビエル鹿児島より平戸に来ること、豊臣秀吉の九州平定時に領知安堵の朱印状を発給されること、文禄の役・慶長の役での朝鮮出兵、豊臣氏との関係の深かった松浦家の関ヶ原の戦い後の対処、等々、我が国史上名を残す松浦家の系譜です。http://www.matsura.or.jp/rekishi/nenpyo/

江戸時代、平戸藩6万石余りを治めた平戸藩主松浦家は、
その出自が平安時代までさかのぼる大変古い歴史があります。
平家が滅亡した壇ノ浦合戦では水軍を率い平家方として参戦し、
鎌倉時代の蒙古襲来において防戦に参戦した史料があります。

江戸時代の平戸藩領は、平戸島をはじめとして、 おおよそ現在の佐世保市から北松浦半島、壱岐市、五島列島の一部をふくむ範囲です。
鎌倉・南北朝時代における松浦家は、平戸島北部と五島の小値賀(おじか)等を領する「海の武士団」松浦党(まつらとう)の一氏にすぎませんでしたが、室町時代の1400年代半ば頃より松浦党内部において勢力を伸ばし戦国大名となりました。これだけ勢力を伸張させることができた背景には、海外交易による経済的発展と鉄砲等の武器輸入が考えられています。

天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定時に、
当時の領主松浦鎮信(法印:1549-1614)がその領地を認められました。
松浦家は文禄・慶長の役では、朝鮮半島に渡海し足掛け7年にわたる激戦に投入されました。

関が原の戦いにより天下人となった徳川家康により江戸幕府が開かれます。
豊臣氏との関係の深かった松浦家は、その動向を疑われたようです。
慶長18年(1613)には完成したばかりの居城(日の岳城:現在の平戸城同所)を
松浦鎮信(法印)自ら放火し焼き払いました。

しかし、徳川綱吉が5代将軍となってから状況が変化し、平戸藩主は幕府内で厚遇されました。将軍綱吉のもと、平戸藩4代藩主松浦鎮信(天祥:1623-1703)・5代藩主松浦棟(1646-1713)は幕府内部で登用され、特に5代藩主棟は外様大名ではじめてとなる江戸幕府の寺社奉行に任命されました。

江戸時代初期「鎖国」以前には、平戸オランダ商館・平戸イギリス商館を開設させるなど、松浦家は外交に通じた大名家でもありました。また、江戸時代後期の9代藩主静山(清)は「学芸大名」ともいわれ、当時一流の文化人として有名です。12代藩主松浦詮の時代に明治維新を迎えます。
これは、平安時代末期より当地域を治めた松浦家の歴史において大きな転換点となりました。

収蔵資料の一部が、ホーム・ページに紹介されています。平戸周辺には旧石器時代の石斧などの発掘物もあり、辿れば様々に歴史的興味の尽きない地域です。歴史好きには堪らない魅力があります。

御所人形(十二支人形) 幕末、孝明天皇から与えられた品。丸々と太った幼児の人形は、腹掛けを身につけており、十二支をそれぞれ手にしている。

第九代平戸藩主松浦清(松浦静山:随筆集「甲子夜話」著者)十一女・愛子は権大納言・中山忠能(ただやす)に嫁ぎ、その次女慶子(よしこ)は孝明天皇の意を得て祐宮(さちのみや、後の明治天皇)を懐妊。その故もあって、松浦家に上記、御所人形(十二支人形)が伝えられています。

posted by at 18:03  |  塾長blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生のタイプに応じて学び方の助言をしていきます。幼児期にご縁があれば、打つべき様々な手法を活用することが出来ます。小学生、中学生と学年が上がると、日々の課題や宿題の量が増えますから、それをしっかり終えてから、次の段階に進みます。

さて、何故、「学ぶ」のか、について、貝原益軒著『和俗童子訓』(注*)から抜き書きをしてご紹介します。

(注*)『和俗童子訓』は、宝永七年(1710)、益軒が八十一歳のおりに著述されたものです。彼の教育思想が体系的に組み立てられている書物であり、我が国における最初のまとまった教育論書です。総論から始まり、児童心理の発達過程に即する一般教法と、教科内容に即した読書法と手習法とを含み、別に女子教育論をつけ添えたものであり、ほぼ教育活動全分野に説き及んでいます。

 

善に就き悪を去る志を立てよ

いとけなき時より、善をこのんで行なひ、悪をきらひて去る、此(この)志(こころざし)専一(せんいつ)なるべし、此志なければ、学問しても、益をなさず。小児の輩(ともがら)、第一に、ここに志あるべし。此事(このこと)まへにもすでに云(いい)つれども、幼年の人々のために、又かへすがへす丁寧(ていねい)につぐるなり。人の善を見ては、我も行なわんと思ひ、人の不善(ふぜん)を見ては、わが身をかへりみて、其(その)ごとくなる不善あらば、改むべし。かくの如(ごと)くすれば、人の善悪(ぜんあく)、を見て、皆(みな)わが益(えき)となる。もし人の善を見ても、わが身に取て用ひず、人の不善を見ても、わが身をかへり見ざるは、志なしと云(いう)べし。愚(おろか)なるの至(いた)りなり。

父母の恩を、片時も忘れるな

父母の恩はたかくあつき事、天地に同じ。父母なければ、わが身なし。其(その)恩(おん)、報(ほう)じがたし。孝(こう)をつとめて、せめて万一の恩をむくふべし。身の力、財のちから、をつくすべし。おしむべからず。是(これ)父母につかへて、其ちからをつくすなり。父母死して後は、孝をつくす事なりがたきを、かねてよくかんがへ、後悔ならん事をおもふべし。

子供に学問させることをいとう悪風

年わかき人、書をよまんとすれば、無学なる人、これを云(いい)さまたげて、書をよめば心緩(こころゆる)く、病者になりて、氣(き)よはく、いのちみじかくなる、と云(いい)ておどせば、父母おろかなれば、まことぞ、と心得て、書をよましめず。其子(そのこ)は一生おろかにておはる。不幸と云(いう)べし。

習い馴れる力を恐れよ

人の善悪は、多くはなら(習)ひな(馴)るるによれり。善にならひなるれば、善人となり、悪にならひなるれば、悪人となる。然(しか)れば、いとけなき時より、ならひなるる事を、つつむべし。かりにも、あしき友にまじはれば、ならひて、あしき方に早くうつりやすし。おそるべし。

学問する法

師の教えをうけ、学問する法は、善をこのみ、行なふを以(て)、常に志とすべし。学問するは、善を行はんがため也。人の善を見ては、わが身に取りて行なひ、人の義ある事をきかば、心にむべ(宜)なりと思ひかん(感)じて、行ふべし。

・・・「何故、『学ぶ』のかは、上記「学問する法」の一文に、「学問するは、善を行はんがため也」と明確に指し示しています。

人は「学ぶ」ことの意味や、動機を誰かから教えられたり、示されたりするのではなく、年齢に応じて自らが意識していかなければなりません。自得(自分の力で悟ること。自分自身で理解し、会得すること)するしかありませんし、親などの周囲の人もそれまで待ってあげることしかできません。試験や受験の時期があるので、周りはやきもきしますが、当の本人の心に「学び」の火が点かない限り、本当の成績向上には繋がらないのが実情です。

人に『学ぶ」ことをinspire(発奮させる、鼓舞する)するヒントは・・・

見聞を広めること(体験)。

読書。

感動すること。     ・・・でしょうか。

 

 

 

 

posted by at 20:44  |  塾長blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、学ぼう、学びたいという「啐啄の氣(そったくのき:得難い良い時機)」を如何に捉えるか、が指導者の役割だと考えます。勉学に関しては、無理強いは禁物です。要は、「その氣」にさせることが秘訣です。

「何故勉強が必要?」子供への模範回答(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180512-00025119-president-life)(President Online 5/12(土))

引用してご紹介します。

■28歳の救急救命医は中高6年間ずっと最底辺の成績

 【2:「勉強以外に夢中」タイプへのアプローチ法】

 「勉強する意味がわからない」という子供の中には、部活や趣味などを優先する「勉強以外に夢中」なタイプもいる。

 ある進学校での中高6年間のほとんどを自分の趣味(ミリタリー系)に費やしたため、学年の成績順位は常に下位10%だった、という28歳の男性は筆者にこう教えてくれた。

 「成績が悪かったのは、学校の定期試験に熱意を持てなかったからです。勉強することの必要性にどうしても納得感が得られませんでした。教師や親から強制されることに反発してしまう性格だったんですね。ただ、大学受験には必要性を感じたので勉強したって感じです。結局、勉強をする理由を見つけるってことが“受験”や“職業選択”には最も重要なことなのかもしれません。その理由を見つけるにはまず、(趣味など)やりたいことを自由にできる、多様な環境が必要なのだと思います」

 彼は“動機付け”ということを強調したが「必要性」を見いだした彼はその後、医学部に合格し、現在は、大学病院の救急救命医として活躍している。

・・・男子は、この様なタイプは多いように感じます。筆者の大学時代の体育界の同輩は、優秀な人物ですが、おそらく父親との軋轢もあってか高校時代に家出を繰り返していたそうです。男子はタイプにもよりますが、「勉強、勉強、と言わないほうが、それなりに悩み、考えながら「学ぶ」べき時機を決定していることが多いようです。無論、「人を見て法を説け」ですから、尻を叩いた方が良いタイプもいます。その見分けが大切です。

posted by at 22:25  |  塾長blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生が「死ぬまで学び続ける姿勢を保つ」大人に成って欲しいと念じています。と申しますのは、「勉強」と「学び(学習)」とは、字義に差があるからです。文字通り「勉強」は、「強いて勉める」。「学習」は「習って学ぶ、学んで習う」と、ニュアンス(nuance:言葉などの微妙な意味合い)が異なります。

さて、面白い記事が目に付きました。「何故勉強が必要?」子供への模範回答(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180512-00025119-president-life)(President Online 5/12(土))

引用してご紹介します。

この季節、「なぜ勉強をしなければならないのか? 」という根源的な問いにハマる中高生が少なくない。そう子供に問われたとき、親としてどう答えればいいのだろうか。「いい大学にいくためだ」などと答えれば、子供は不登校になりかねない。3つの「模範解答」を紹介しよう――。

■子供に「なぜ勉強をしなければならないのか? 」と問われたら

筆者は仕事柄、中高生と話すことが多い。すると毎年、5月の大型連休後に、いわゆる「五月病」の症状に悩む生徒に出くわす。新学年、新学期の新しい環境への適応がうまくいかずに心身に不調が出てくるのだ。その中には「なぜ勉強をしなければならないのか? 」という“根源的な悩み”にぶち当たってしまう子がいる。

今回は、そういう思春期特有の悩みを持つ子供を3つのタイプに分け、親にできることは何かを探ってみたい。

【1:「秀才煮詰まりタイプ」へのアプローチ法】

ある時、東京大学合格者数ベスト10に入るほどの進学校に通う首都圏の私立中学生にこういう話をされたことがある。

「勉強をやる意味がわからないんです……。学校を辞めたい……」

会社役員である父親にそう告げたところ、その子の父親はこう返したのだそうだ。

「オマエは『駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人』という言葉を知っているか?  オマエは車で言えば、どの座席に座りたいのか、よく考えろ」

つまり、その父親は息子にも自分のように運転手付きの車の後部座席に乗る立場の人間になってほしいのだ。そのために偏差値の高い難関大学に行き、優良企業に就職しろという希望を持っているようだった。

いろいろな世の中の矛盾や理不尽に気が付いていく中で、その進学校の中学生は「勉強をやることは当然」と迫ってくる親や学校に強烈な反発心を持ってしまったのだろう。

残念ながら、その後この中学生は不登校に陥り、併設高校へは進学しなかった。父親の落胆ぶりは相当なものだったが、これは“秀才煮詰まり”タイプへの誘導を親が間違えた結果だと筆者は思っている。

優秀な子供が勉強する目的を見失った時に、大人が「試験のため」「知名度の高い大学へ行くため」「裕福な生活をするため」と言って丸め込もうとすると、親の期待とは正反対のところに着地するケースは少なくない。

そうした大人の意見は、幸せに至るひとつの“手段”であって、人生の“真の目的”ではないから子供の疑問解消には至らないのだろう。

では、このタイプの子供にはどうアプローチすればよいのだろうか?

・・・如何でしょう。親の思いと異なり、賢い子供さんに、親の価値観を強いるとパンクしてしまい、ドロップアウト(dropout:脱落、抜け出すこと、没落)してしまう例です。同学年の子供さんでも、それぞれの子供さんの生年月日や、家庭環境によっても違いがあるのですが、姿・形は親に似ていても、考えや思いは、親とは全く別物であるという根本を理解しておかなければなりません。

■「なぜ勉強が必要か」こじらせ中学生に効くコトバ

彼らは非常に賢く、また繊細なので、親が功利的な答えを下すより、子供自身にあえて問いかけたほうが「悩み」は解決の方向へと進んでいくと思われる。

例えば、以下のような話をして「君はどう思う? 」と問いかけてみるというのはどうだろうか。

筆者は多くの私立中学・高校を訪問し、校長や担当責任者に学校の教育方針などを聞いている。先日、南山大学(名古屋市)の前学長で、いまは聖園女学院中学・高校(神奈川県藤沢市)の校長のミカエル・カルマノ神父と面会した際、「人はなぜ勉強しなければならないのでしょう? 」と問いかけてみた。

神父は次のように答えた。

「勉強は自分の窓を開けるということです。学ぶことで、今まで見ていたものとはまた違う何かを見ることになります。視界を広げるために学ぶのです。例として、『なぜ外国語を学ぶのか』を考えてみましょうか。日本語で『写真を撮る』という言葉がありますね。これは英語では『take a picture』、写真はテイクするものになります。しかしながら、ドイツ語では『写真を作る』と表現するのです」

▼大人の論理・常識で丸め込もうとするのは逆効果

神父は、同じ行為・現象でも“とる”と“作る”という言葉が持つ背景やイメージが異なると説明する。その上で、こう語るのだ。

「だからこそ、物事はその国の文化を持つ言葉でオリジナルを見ないといけません。真実を見るためには、そのものが何かを追究しないといけません。ですから、学校では他国の言語を学ぶという授業がなされるのです」

もし、外国語を学ぶ意味がそうであるならば、数学は?  国語は?  音楽は?  歴史は?  と子供に問いかけ、親も考えてみる。

そして「お父さん(お母さん)はこう思うけど、自分はどう思う? 」と、ある意味“対等な関係”での議論をしたほうが秀才煮詰まりタイプの子供の納得感を得やすいのではないか。すぐには効果が出ないかもしれない。しかし、少なくとも大人の論理・常識によって丸め込もうとするのは逆効果であることは確かだ。

・・・子供さんの人格形成は、お母さんがお腹に身籠った瞬間から始まっている、とお母さんには考えて頂くことが肝要です。

そうであれば、お腹が大きくなることがなく、産みの苦しみを経験し得ないお父さんは、どのような姿勢を持つべきだろうか。筆者の子育ての苦い経験からすると、男親は我が子をなかなか客観視できないという単純な事実があることです。つまり、能書きや理想論を普段物語っても、いざ自分の子供のことになると、合理的な論理が吹っ飛び、こうあるべきだ論が頭をもたげます。「自分はこうだった、親から厳しく育てられた」みたいな。

しかし、親も子も「縁(えにし)」があって出会うという、人類が生まれてからずっと繰り返してきたことに想いを致せば、「健康」でさえあってくれれば、「御の字」であるという、極めて当たり前だけど、非常に大事な根本を常に意識しなければならない、と「男親」の筆者は自戒しております。

posted by at 01:31  |  塾長blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生に書物は一字一句間違わずに読むことを日々指導します。

至極当然のことですが、正確に読むことが正確に理解することです。幼児期から正しい日本語で読む。正確な発音、読み、文法など、過たずに読まなければなりません。

その為の第一歩は、素読です。良書を手本に、指導者(親であれ、先生であれ)の音読の通りに、鸚鵡返しに読むことが出来ることです。その前提として、鼻で正しい呼吸が出来なければなりません。口で息をしているようでは、滑らかに一文(長短を問わず)を素読できません。素読を正確に出来る子供さんは、何度か繰り返すと、暗唱(空で覚えていることを口に出して唱えること)ができるようになります。

次に、音読です。これは他人に迷惑をかけない限り、大きな声で朗々と読むことです。一般の書物のみならず、小学生以上ならどの科目であれ同様です。教科書は勿論、参考書、問題集も、理解するまで繰り返し音読します。その際、句読点は当然「間」(息継ぎの)を空けます。「読書百遍意自ずから通ず(注*)」と言われる如く、繰り返し音読をする習慣を付けると、子供達はよく考えて読むようになります。

注* 「読書百遍意自ずから通ず」「読書百遍義自ずから見る」   「読書百遍(どくしょひゃっぺん)義(ぎ)自(おの)ずから見(あらわ)る」とは、どんなに難解な書物であっても、繰り返し読むうちに意味が自然に理解できるようになるものである、ということ。出典は、『三国志』魏志。魏の学者董遇が弟子入りを願う者に対して言った「読書百遍義自見」から。この意には、多くの書物を読めば良いというものではなく、良い書物を熟読することに意味がある、ということも含む。英語では、Repeated reading makes the meaning clear.(繰り返し読むことは、その意味を明確にする。)

posted by at 00:37  |  塾長blog
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