教科書に載らない歴史上の人物 27 ジャヤワルダナ大統領 3

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏以外にも、様々な人の証言もあります。

「インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」

 1932(昭和7)年にコロンボに生まれ、スリランカ独立後に海 軍兵学校部隊長となったソマシリ・デヴェンドラ氏は、次のよ うに語っている。

 1941年に日本が真珠湾を攻撃し、第2次大戦に参戦した 時には、スリランカ人は日本に対してある種の同情を寄せ ていました。・・・  1942年の初め、強力な日本海軍はインド洋上の敵艦をど んどんと破壊していき、スリランカ島に向かっていきまし た。しかし、その時にスリランカに停泊していたイギリス 軍艦の多くは第一次世界大戦当時に造られた古いものばか りでした。  

4月、日本海軍の航空隊はスリランカの都市を空襲し、 それらの軍艦に攻撃をしかけてきました。この航空隊は真 珠湾攻撃に参加した後にやって来た隊でした。日本軍の爆 撃の命中率は世界で最も正確だったと言われています。  

この空襲の際に、3人が乗った日本軍の攻撃機1機が墜落し た。コロンボのカテッナ市営墓地には、墜落死した日本兵の墓 が造られている。  

日本軍はシンガポールを占領した後、投降したインド兵を集 めて、インドの独立を目指すインド国民軍を組織させた。その 中にはスリランカ人の部隊もあった。  

インド国民軍はシンガポールからインドやスリランカに向かっ て「ラジオ昭南(シンガポール)と呼ばれるラジオ放送を行っ た。  

当時12歳だったデヴェンドラ氏は、このラジオ放送をよく 聞いていた。「こちらはラジオ昭南、インドとスリランカにい る兄弟・姉妹に呼びかけます」という言葉で始まり、「ワン ・デイ・マータラ」という、今でもインドでよく知られている インド国民軍の歌を流した。  

アメリカの情報機関は、このようなインド向けの放送が、イ ンド人の心理に与えた影響は非常に大きかったとしている。

 

・・・「日本が悪かったという史観」からすると、上述の様なお話は都合の悪いことになります。しかし、欧米諸国から隷従されていたアジアの人々からすると、自分たちと同じ有色人種である小さな国の日本が、支配している強大な白色人種の国を打ち破ることは、まるで我が事のように快哉を叫びたい出来事だったのでしょう。

「私達は日本に、このことを感謝しなければなりません」

日本が敗戦した日は「Victory over Japan Day(対日勝利の 日)」と呼ばれ、大きな都市では記念式典が開かれた。

デヴェ ンドラ氏が住んでいたラトゥナプラでも式典が開かれ、イギリ ス側代表の後で、氏の父親がスリランカ側を代表して演説を行っ た。  

この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。し かし、私達は日本によって得られたものがあります。それ は愛国心という心でした。それは、日本によって全てのア ジアの国々にもたらされたのでした。

 戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、ス リランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意 識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなけれ ばなりません。

「対日勝利の日」に、英国側の前で、日本に感謝する演説を行 うとは、まことに大胆な言動である。それだけ強い気持ちが籠 もっていたのだろう。  

1948年2月4日、スリランカは独立を果たした。

日本が設立 を支援したインド国民軍の指導者たちをイギリスが「反逆者」 として軍事裁判にかけようとした事に対して、インド全土に暴 動、ストライキが広まり、それがきっかけとなってインドは独 立を勝ち得た。それとともに、イギリスはスリランカからも撤 退したのである。  

昭和天皇のお召し艦を一目見ようと港に駆けつけた少年ジャ ヤワルダナが、独立政府の要職についていた。そしてサンフラ ンシスコ講和会議で日本を擁護する演説をすることになる。  日本は明治以降、スリランカの人々の独立への希望に灯を点 してきたのだが、今度はそのスリランカが日本の独立を助けて くれたのである。

・・・日本人にとって感動するお話です。我が国の将来を担う子供達には、是非聞かせてあげたいものです。

posted by at 09:00  |  塾長blog

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ
PAGE TOP