‘ 学習塾・幼児教育 ’ カテゴリー

天才には幸運がつきもの

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「天才には幸運がつきもの」(読売新聞2004年7月19日)という随筆を引用してご紹介します。

天才には幸運がつきもの

梅雨の一日、東海道線を岐阜県の大垣で乗り換え、樽見鉄道で糸貫に向かった。十数名の客を乗せた一両編成の列車は、まもなく市街地を抜け緑そよぐ田園地帯に入った。田植えを終えたばかりの田が折から雨に打たれていた。

二十余分で糸貫についた。ここは世界的な数学者高木貞治(ていじ)の生地である。明治八年にこの地で生まれた博士は、大正中期に類体論と呼ばれた壮麗な理論を打ち立て、世界を驚倒させた。日本は十七世紀に和算の大輪を咲かせたものの、鎖国のせいもありその後ヨーロッパに大きく水を開けられた。維新以来、西洋数学の輸入に忙しかった後進日本に、突然巨星があらわれたのである。独創には自信が要る。博士の途方もない偉業を見て、日本人でもやれる、と勇気付けられた俊秀が数学各分野に次々とあらわれ、その後三十年ほどのうちに日本は数学における一大強国にまでなった。和算で示された日本人の類稀(たぐいまれ)な数学的才能が、再び花を開いたのである。そしてその伝統は現在に続いている。高木貞治はまさに日本数学の父である。

激しい雨の中、糸貫駅から半時間ほど歩くと、富有柿の畑に三方を囲まれて高木家があった。生家は建て直されていたが、戦災で家を焼かれた博士が一年ほど疎開されていたときの住居はそのままだった。

天賦の才能を生まれながらに持った人は多くいるのだろうが、それが開花するにはいくつかの幸運が重ならなければならない。それがなくて埋もれた天才はいくらもいよう。とくに幼い頃の幸運は重要である。博士の幼年期、両親が暇さえあれば絵草紙を見せたり昔話を聞かせたりしたこと。信心深い母親が幼い博士をお寺参りに連れて行ったこと、その為五歳の時分に親鸞聖人の御伝鈔(おでんしょう)を聞き覚え大方暗唱してしまったこと。たまたま隣に住んでいた医者が、博士四歳の頃より漢籍、書道などを教えたこと。これらはこの上ない幸運といえよう。幼い頃に算数や数学を特別に学んだ形跡はない。むしろ読み聞かせとか暗誦、宗教心、問いた数学とは無関係と見えることばかりである。この特徴は洋の東西を問わず数学の天才の幼児期によく見られるから、独創性と関係があるのかもしれない。

博士には苦節の十二年間がある。ドイツ留学から帰り博士論文を仕上げた二十八歳から、四十歳に至るまで論文を一つも書いていない。留学時代「日本より五十年進んでいる」と世界一のドイツ数学に圧倒された博士に、独創への自信はまだなかったのではないか。ところが四十歳を目前に勃発した第一次大戦により、ドイツの本や論文が入らなくなった。「学ぶ」から「創る」へと切り換えざるを得なくなった博士は、五年間の激しい集中により大戦後間も無く、ドイツ数学を呑み込んでしまうような類体論を完成した。二十世紀数学の巨匠ヒルベルトが予想した理論を遥かに超えるものだった。生まれたものが余りに画期的だったので、本当に正しいのかどうか自信がなく、高木は「どこか間違えているはず」と証明完成のあと、一ヶ月も間違いを探し続けたという。ヨーロッパ最大の悲劇であった第一次大戦は、高木貞治の、そして日本数学の幸運であった。

 

高木貞治1953頃 Wikipediaより

・・・様々、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の著作を読みましたが、このessay(随筆)は秀逸です。この文字数の中で、幾重にも様々な精髄(せいずい:物事の中でもっと優れていること)を織り込み、品性ある言葉を連ねる技は、文章修業には良いお手本です。藤原正彦先生については当ブログで先述していますからご参照ください、→ https://rashinjyuku.com/post-1084/

そして、

天賦の才能を花開かせる出会い、人の縁。これは、正に「天のとき、地の利、人の和(*)」を活かすことができるか、です。

*孟子『公孫丑章句上』一節の「時不如利。地利不如和」(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)

・・・「読み聞かせとか暗誦、宗教心」は、子供を教育する親御さんに必須、と常々筆者も考えます。

「読み聞かせ」は、幼児期には「聞く力」を持たせ、「想像力」の火付け役。

「暗誦」は、そらで覚えていることを口に出して言うこと。「表現力」の水先案内。

「宗教心」は、すべての森羅万象に「感謝」する心持ち。「世の為人の為」となる器(うつわ)。

・・・と、愚考しています。

ベーカー艦長

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

教育者としては人口に膾炙(*)していない人物について、渡部昇一上智大学名誉教授(専攻英語文法史。英語学者、歴史家、評論家)がessay(随筆)を書いておられます。渡辺昇一先生著「人生を創る言葉」(致知出版社)から引用してご紹介します。

*じんこうにかいしゃ=かいしゃ《膾 (なます) と炙 (あぶりにく) とが、だれの口にもうまく感じられるところから》人々の話題に上ってもてはやされ、広く知れ渡る

ベーカー艦長

イギリスのロンドンにあった「ウォースター」という名門商船学校の校長を務めた。船を校舎として使っていたため、艦長でもある。

一番汚いところを徹底的にきれいにする

ロンドンのテームズ河口にウォースターの商船学校がある。ここは東郷平八郎元帥が若い頃に勉強したという有名な学校である。この学校の校舎はウォースターという軍艦で、これは五十門の大砲が積める木造の帆前船(ほまえせん)であった。その後、古くなったので、もっと大きな船に変えたけれど、名前は初代のウォースターをそのまま使っている。

明治三十二年に、東京商船学校の高柳教授という人がこの学校を訪ね、校長兼艦長のベーカー大尉に面会した。この人は予備役の海軍大尉で、この学校の出身者である。

ベーカー大尉が高柳教授に尋ねた。

「日本から海事教育の専門家が訪ねて来たのはあなたが初めてだが、何を見に来たのですか?」

「ウォースター商船学校そのものの見学に来たのですよ」

と答えると、

「それなら実際にウォースターではこういう教育をしていると、いうのを見せてあげましょう」

と言って、高柳教授を艦長の部屋に連れて行った。

どこの船でも艦長の部屋には洗面台がある。ベーカー艦長はその洗面台のところへ行って、ガラスのコップを一つ取りそのコップをポケットに入れた。それからそこにあった提灯みたいなものに灯を点けて、教授を船の中に連れて行った。どこへいくのかと思っていると、いくつもの階段をどんどん下りて、ついに木造船のどん底まで行った。艦の一番底には、家の下水のように、上甲板から来る雨水や船底から染み込む汚水が溜まるところがある。艦長はその蓋を開けて、中の水をコップに汲み、また甲板に上がってきて、それを太陽に照らしてみせた。

「これがウォースターの教育です。飲めるくらいの水で、ゴミ一つないでしょう。これがここの教育です。」

禅問答みたいな話だが、船底に溜まった水が飲めるくらい徹底的に船をきれいにするような教育をやっていたということである。高柳教授は非常に感銘を受けて、なるほどこうした教育を受けているから、イギリスに立派な名士が次々と出てくるのだろうと感じ入った。

その話を高柳教授から聞いたある人は、東郷さんのことを思い出した。日清戦争の前に支那の北洋艦隊が日本にやって来たことがある。定遠・鎮遠といった大軍艦が日本の各地で示威運動をして回った。その頃の日本には大きな軍艦はなかったから、見学した誰もが驚いた。

そうした見物人に混じって、東郷さんが平服でたびたび定遠・鎮遠を見に行っていた。あるとき、東郷さんが定遠を見学していると、大砲の砲身に水兵が洗濯したズボンが引っ掛けて乾してあった。それを見た東郷さんはにっこりと笑っていった。

「もう大丈夫だ。シナの艦隊はいつでも潰すことができるな」

東郷さんは砲身に洗濯物が乾してあるのを見て、水兵の訓練が徹底されていないことに気付いたのである。ウォースターで訓練を受けた東郷さんには、それが意味することがよく理解できた。

かって、ベルギーの商船学校の練習船がビスケー湾で原因不明の沈没をしたことがあったという。その原因を調べてみると、船の中に侵入してくる水をポンプでかい出しているうち、船底にゴミの混じった水が溜まっていたため、途中でポンプが効かなくなって沈んでしまったことがわかった。また日本の軍艦の話として聞いたことがあるが、東郷さんの頃はともかく、この前の戦争の頃になると、艦長は船底まで降りていかないのだそうだ。だから、船底を見ると非常に汚かったという。ウォースターのベーカー艦長が船底に案内したのは、良き時代のイギリスの教育は一番汚いところを徹底的にきれいにすることを教えていると知らせるためだったのである。

 

・・・この逸話は様々な示唆に富むものです。船底に溜まる汚水を水垢(みずあか)・bilge(ビルジ)と言いますが、小さなyacht(ヨット)やboat(ボート)でも、常に汲み上げたり、ウエス(雑巾)で拭き取ったりするのは船乗りの基本です。そうしておかなければ、気付かないうちに水垢が増し、あっという間に沈没の危機に陥ることがあるからです。

これは、学問を勉強する際も同様に考えておかなければなりません。

教科書、参考書、問題集、帳面(ノート)、筆記用具等、全て大事に丁寧に扱う心掛けがまず必要です。ノートの書き方は勿論とても重要。文字や数字の大きさや正確さ。あらゆるところに気配り、心配りが必要です。

筆者も学生時代体育会yacht部で、海の上で競技をしていましたが、陸上での点検整備、海上での確認など、生命・身体に関わることですから、しっかりとしなければなりませんでした。海上に出る船舶は、大小に拘らず、生命に関わる以上、点検・整備、指差し確認、ダブル・チェックなどなど、日々行わなければなりません。

本当の学力をつける為には、海上に出る船乗りの如く、生命に直結しているという緊張感を持って学問に勤しむと、日々の努力が身を結ぶと思います。一問ぐらい間違っても、という心掛けでは、あたかも海の上で命を落とす危険に陥ることになりかねません。

ペスタロッチ

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

世界中で教育界の偉人として取り上げられるヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi)について、渡部昇一上智大学名誉教授(専攻英語文法史。英語学者、歴史家、評論家)がessay(随筆)を書いておられます。引用してご紹介します。

ペスタロッチ

スイスの教育家。親友の死に会って政治家となることを諦め、絶えず子どもと共に生活し、一生を愛の教育に注ぐ。(1746~1827)

 ◎孤児を食に飽かせることは難しい。彼らの胃は空虚であるから。けれど彼らの霊を満たしむることはできる。人性は善であるが故に

スイスの大教育家ペスタロッチは、いつもこういっていた、

「自分は孤児を養うために、自ら乞食のように生きなければならなかった」

スタンツの戦争のために孤児になった少年少女救済に、独力で奮闘していたときのこと。資力もなく後援もない赤貧洗うような彼は、ただ町の人々に寄付を求めるより仕方がなく、朝に夕に町を歩いて、人々の慈悲心に訴えていた。

しかし、同情してくれるものは少ない。一方、孤児の数は日に日に多くなっていく。寄付のお金の代わりに貧しい孤児を連れて帰る日の方が多かった。しかも孤児たちは恐ろしいほどガツガツと食べる。その様子は、胃袋の中に餓えた狼が住んでいるようだった。

「ああ、1日でもかれらに腹一杯食べさせてあげられたら」

とペスタロッチは嘆いた。

しかし、孤児の心は僻(ひが)み、ねじけていた。神のような彼の愛情も、なかなか彼等の心には触れなかった。ペスタロッチはそれを悲しく思ったけれども、自分の愛がまだ足りないから、彼等の心を潤(うるおす)すことができないのだと考えた。そして彼は、孤児達の胃が飢えるよりも、その心が飢えることを恐れ、力の限り愛と誠を注いだ。

ある日、孤児達が隣の街から乞食の少年を何人も連れてきたのを見て、彼は驚いた。どうしたのかと聞いたら、こんな答えが返ってきた。

「先生、この子達も孤児です。可哀想だから連れて来ました。僕たちのパンを半分にして、この子達に食べさせてください」

その可憐な言葉にペスタロッチの目からは熱い涙がとめどなく流れた。

「孤児のお腹を一杯にさせることは難しい。彼等の胃袋は空虚であるから。しかし彼等の霊を満たしてあげることはできる。人の性は善であるが故に」

彼はそう言って小さく賤(いや)しい子ども達の心の奥に愛の気持ちが芽生えたことを神に感謝するのであった。

食べることに賤しく、性格も捻じ曲がってどうしようもないと思っていた孤児達が、もっと貧しい子達を連れて来て、自分達のパンを分けてあげてくれと言った。それを見てペスタロッチは、人の性の善なることを確信したのである。

ペスタロッチは誠心誠意、教育者であったということである。普通の先生に、ペスタロッチのようになれといっても、なれるわけはない。だが、「大教育者といわれる人は、こういう人だったのだ」「子どもというものは、そういう人に触れれば変わるものなのだ」と知ることによって、すぐにペスタロッチの真似はできないにしても、教育の参考にすることはできるのではないかと思う。

ノイホーフで妻アンナと共に子どもたちを教えるペスタロッチ

・・・フランス革命(1789)後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事したペスタロッチの教育の実践は、主として初等教育段階のものでした。その後、フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel, 1782~1852)は、ペスタロッチに啓発され、幼稚園(Kindergarten)を創始しました。(ドイツの教育者、幼児教育の祖)

世界史的には、18世紀末位から「幼児教育」が始まっていますが、

驚く無かれ、日本では平安時代末期には「実語教」(本サイトで紹介→https://rashinjyuku.com/post-211/)などの教材が示すように、12世紀末には幼児教育が行われています。およそ六百年も先駆けていることになります。

やはり、教育にも国柄が反映されているように筆者は思います。古来からある日本の良き教育の精髄を活かしながら、必要に応じて日本の伝統・文化にそぐうものを取り入れるという姿勢で良いと考えます。従って、安易に外来語をカタカナ表記にしている文章が氾濫している風潮は、子ども達の国語力を低下させると思います。

国語力って何??

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です
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令和六年度入学 小学校受験生を若干名募集しております。

「国語力」を磨き
よく聞き、よく考え、よく理解できる子を育てていきます。

小学校受験を考えているんですが・・・と悩まれている御家庭
色々とお話ができます。

小学校受験の詳細、合格実績はトップページに掲載しております
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塾長は、常々「現代文」を学習するだけでは読解力は身につかない。子供達の才能は開花できない。と話しています。

羅針塾では
世の中の一歩か二歩先に
進むためには、古典や歴史に学ぶべきだと考えています。

近来、文部科学省が掲げる学びの
思考力・判断力・表現力につながる
学びを随分前から実践しています。

これまで、沢山の学びを先生達は
創意工夫し積み重ねてきました。

さあ!日本の西の果てで何が?できる??
西の果てから!自分自身の力で
難関大学・難関国立医学部へいける??
いけますよ!!羅針塾の学びだったら絶対に!・・・と思っています。

やっぱり、!!!
『古典・漢文・修身』の素読は基本なのです。

素読を一語も乱すことなくできる子は
賢い!!!

難関大学・難関医学部を狙えます。

「国語力」は

『古典・漢文・修身』の素養からです。

「賢い子」になるために
幼児さんが修身を素読します。
意味がわからない言葉は
時を経て、「先生!!あの時言ってたよ!!」になります。

「本物のトップ!」になるために
「古典・漢文・修身」を知ったなら
国史を白紙の紙に書いてみることです。

国史は
自分の祖先の生きた証
白紙の紙に書き切れないほどの
先人の脈々とした生き様があります。

国史に興味を持ち。日本の伝統や文化を理解し
「思考力・判断力・表現力」を身につけた子は
世界に通用する『国語力』を持つと考えます。

posted by at 11:57  | 学習塾・幼児教育

小学校・中学校選びは大事

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私立小学校・私立中学校の
オープンスクールが始まり
今年度の受験も本格化してきました。

長崎大学教育学部附属小学校の
運動会も参観ができましたので
足を運ばれた方も多いかと思います。

受験を考えている御家庭には
気になる学校があったら
ぜひ行ってみてくださいね。と
お伝えしています。

学校の雰囲気を見たり
児童・生徒達の様子を見たりと
御家庭の教育方針に合っているか
入学した後、我が子の
活躍する姿が描けるかが
大事なポイントとなります。

早速、公開授業を参観された
御家族は
「とてもいい学校でした。我が子には向いていると思います。前向きに検討します。」と
好印象のようでした。

先生達は必ずここを受験しないと!とは
言いません。
御家庭の方針が一番です。
第一希望で
志願する学校には合格させたい!
合格させる!!と考えています。
(合格できる国語力をつけていくので、御縁できると考えています)

「賢い子」になるために
家族一丸で取り組む
小学校・中学校受験
「国語力」をしっかりとつけ
素直に前向きに学んでほしいと
願っています。

「本物のトップ!」になるために
御縁する場所で一所懸命に学ぶ
まずは、クラスで一番!
学年で一番!と
絶対に負けない力を一つ一つ
積み重ねてほしいと願っています。

posted by at 18:23  | 学習塾・幼児教育
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