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礼に始まり礼に終わる

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

挨拶を交わす際、相手との関係、時や場合によって、その仕方が異なります。塾生には、場面に応じた対応ができるようになってもらいたいと考え指導しています。幼児さんの場合は、何事も基本から始めます。

さて、「動作の作法」の基本について、「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

礼に始まり礼に終わる

日本には「礼」を重んじる風習がある。礼も一瞬の所作だが、正しい礼は美しく、見るものの目を引く。しかし正しく礼ができる人は意外と少ない。品格のある人は、そのような決められた動作、すなわち「型」通りの動作ができる人である。動作の作法の中で、最も重要なのは「礼」ではないだろうか。礼とは会釈やお辞儀のことだが、その一瞬の動作ができるか出来ないかによって、その人の評価が決まってしまうのである。

(中略)

礼には「型」があり、いつどのような礼をするかは、全て慣習によって決められている。その「型」通りにに礼ができるかどうかが問題である。そのためには、礼の決め事を知識として知っておく必要がある。礼自体は決して難しいものではないので、その「型」を知れば誰でも実践できると思う。

礼は相手に対して敬意を表する動作で、代表的には次の四つの場合がある。

①出会いと別れ際の挨拶、②御礼や謝罪などで相手に礼を尽くすとき、③部屋の入退室時、④各種動作の前後、である。部屋の入退室時と動作の前後で礼をすることはあまり実行されていない。ということは、これを行なうかどうかで大きく差が付くのである。動作の前後に礼をする姿は実に美しいものである。

・・・一般論としては上記の通りですが、では具体的には?、ということでお話は続きます。

例えば、家に招かれた場合、次のようなときに礼をする。まず一礼して建物に入り、出迎えてくれた方に挨拶をするに当たって礼をする。そして、応接間に誘導されたなら、一礼してから入室する。主人と会ったら挨拶に当たって礼をして、椅子を勧められたなら、一礼してから着席し、また一礼する。そして、お茶やお菓子を出されたら一礼してお礼の言葉を述べ、頂くときには「一拝一拍手」の作法を行うか、もしくはそれを簡略化して一礼して「いただきます」と述べるのもよい。そして食べ終えたら、また「一拝一拍手」もしくは一礼して「ごちそうさま」と述べる。何かを拝見するときは、その前後に一礼。何か品物を差し出すときや、受け取るときも、その動作の前後で一礼する。そして帰り際は、まず一礼してから席を立ち、また一礼。部屋を出たら寝屋の内部に向かって一礼し、別れ際の挨拶に当たって礼して、最後建物の外に出たら、建物の内部に向かって一礼する。

・・・様々な「礼」をする場面があります。相手を敬う気持ちの表現、招かれたことに敬意を表すること、また、接待を受けることや、接待させていただくことへの感謝の気持ちを表すことなどです。

その「型」を身につければ、何事にも対応することができ、優雅な挙措動作となります。

 

posted by at 15:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

受験に臨む動作の作法

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

小学校・中学校・高等学校・大学と受験の機会にある面接試験。これは面接試験の会場への入退室、面接官との面接へと続く一連の流れがあります。その際に、それぞれの場面に応じた動作があります。それを正しく、美しくできることは、受験の高い評価につながります。

幼児さんが受験する試験も同様です。面接官の前に出る以上、幼いからといってぞんざいに面接に臨めば、良い評価は得られません。

その為に「動作の作法」の基本について、「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

美しい動作には型がある

正しい礼は人を感動させるほど美しいもの 礼には作法の全てがあると言ってよいかもしれない

決まった動作を決められた通りにこなすことは、美しい動作の基本である。例えば、能楽の型付け、歌舞伎役者の見得を切る動作、力士の四股(しこ)を踏む動作などは、「型」という伝統的に決められた動作で、その型にはまった動作が実に美しい。型は先人たちが何百年も研究と改良を積み上げてきた結果であり、一人の浅はかな経験で完成できるものではない。伝統芸能の所作が完成されたものであるのは、型を重んじてきたからである。

そういった「型」という決められた動作は、伝統芸能の中にのみあるのではなく、私たちの日常に溢れている。例えば、人と会った時や別れ際に何気なく交わす会釈や挨拶はその典型で、一瞬のことながら、その人の品格が知れる。とはいえ、型から外れてはいけないということはない。ただし、しっかりと型を持った人があえて型を外すと「型破り」といって肯定されるが、型を持たない人が型を外すとただの「型なし」になってしまう。やはり、まずしっかりと型をおさえておくことが肝要である。

このように、決められた動作を正しくできれば、必ず美しいものになるはずである。そして、型通りの振る舞いができる人は、「常識のある人」として信頼される。日常動作の型を自然体でこなせるようになるためには、①型を知ること、そして②日々その型通りの動作を繰り返して自分のものにしておくことが大切である。儀礼を行う決まった作法を「礼式」という。

・・・立ち振る舞いの「美しさ」は、見るものに清々しさを与えます。日本人の長い伝統の中で培われた「動作の作法」は、代々受け継いでいくべきものです。

当塾では、幼児期からしっかりと動作の作法を伝えます。すぐに出来なくとも、繰り返し練習しつつ過ごすことで、身についていきます。話す相手と正対し、目を見ながら応答することから始まります。

posted by at 15:25  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

和食の心がわかる「忌箸」

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

世の中には約束事や常識があり、日本の社会ではそれらを知ることによって円滑な社会活動を行えます。子供が長じるに従って、それらの知識を両親や祖父母などの身内の方に教えられ学ぶことになります。食事の作法や心持ちも、それぞれの家庭で代々伝えられていきます。

「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、「食事の作法」についての論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

「忌箸(いみばし)」を知れば和食の心がわかる

箸には多くの禁忌(タブー)があり、それらは「忌箸」もしくは「嫌い箸」と呼ばれている。例えば、ご飯に箸を立てるのは「立て箸」もしくは「仏箸(ほとけばし)」といって、死者の枕元にご飯を供えるときの作法であって、日常では忌み嫌われていることはよく知られている。また、食べ物を箸から箸に受け渡すのも「拾い箸」といって、火葬場でお骨を拾う作法なので、やはり日常では禁忌とされている。もしお見合いの席でこれらの禁忌を犯してしまうと、たったそれだけのことで、縁談は壊れるだろう。この二例は有名だが、それ以外にも、上品に食事しているつもりでも、知らず知らずのうちに犯してしまう忌箸は多い。

・・・知っているつもりでも以外に失念していることがあるのが作法です。またその意味合いまでは知らないことがあります。少し長くなりますが、併せてご紹介します。

指し箸

箸で人や物を指し示す行為。食事している相手を箸で指すのはさすがに不作法と誰もが知るところだが、「その皿を取ってくれ」と箸で刺してしまうのは、うっかりやってしまう人も多い。特定のものや人を指さずとも「そう、それそれ」などと言いながら、箸を振って宙を指し示すのも指し箸になる。そのような使い方は箸を踊らせることから、「踊り箸」ともいわれる。

渡し箸

箸休めの時に、箸を横にして器の上に載せること。箸は、箸置きがあればそこに置き、またお膳か折敷(おしき)で供されればその縁に掛けるように置くもの。それを使わずに、箸を皿の上に置くのは禁忌とされる。ただし、箸置き・お膳・折敷のいずれもない場合は、そもそも作法の外なので、作法の外となる渡し橋も許容される。箸袋を折って箸置きを作るのも差し支えないが、これはあくまで作法の外の話。また、茶懐石での八寸などでは、菜箸が渡し箸で供されることがある。これは、八寸が酒の肴であるということであり、作法の外の作法を、作法に組み入れたものである。

寄せ箸

遠くにある食器を、箸を使って引き寄せること。箸は食物をつまんで口に運ぶ道具であることから、それ以外の目的に使用すること自体が作法に反する。 

迷い箸(「惑い箸」とも) 何を食べようかと、料理の上で迷いながら箸を動かすこと。取り分け用の大皿に限らず、銘々の小皿でも迷い箸は禁忌とされる。また、汁椀の底や飾り物の下などに食物が残っていないか、箸で探る行為も「探り箸」という禁忌である。

刺し箸(「突き箸」とも) 

料理に箸を突き刺すこと。楊枝や串といった料理を刺す道具は他にある。突き刺すこと自体が箸の役割を越える。やはり箸をその目的以外に使うことは慎まなければならない。料理人が火の通り具合を調べるために串を用いることがあるが、刺し箸は火の通り具合を疑うかのような行為でもある。ところで、一本の箸を突き刺して、もう一本の箸を添えて食べる人もいるが、それも避けるべきである。また、箸を左右に一本ずつ持って、ナイフとフォークを使うように、食物をちぎる行為は「ちぎり箸」といって、禁忌とされる。箸を楊枝のように使い、歯の間の食物をとる動作も「楊枝箸」として嫌われている。これらの所作も箸の目的外使用にあたる。 

握り箸

箸を鷲掴みに持つのは「握り箸」といわれ、禁忌の一つである。まだ正しく箸を持てない幼児の持ち方であると同時に、相手を攻撃する動作とされる。大人になっても握り箸で食事をする人がいるが、見るに堪えない。

舐り箸(ねぶりばし)

箸を舐める行為。また「捥(も)ぎ箸」といって、箸に付いた米粒などを口でもぎ取るのもいけない。箸を噛む「噛み箸」、箸を咥(くわ)える「咥え箸」も禁忌とされる。

涙箸(なみだばし)

汁が垂れやすい料理を食べる時に、箸から汁をポトポトと垂らしながら運ぶこと。そういった料理を取り皿から取るときは、汁気をしっかりと切ってから運ぶべきである。また、取り皿からそういった料理を頂くときは、上半身を少し前に出して、皿の上で頂けば、机などに汁を垂らさずに済む。また、最も優雅なのは懐紙を用いること。最悪なのは「手皿」という、箸で食物を運ぶ時に左手を受け皿のようにする所作。残念なことに手皿が正しい作法だと思っている人が多く、テレビのグルメ・リポーターなども積極的に手皿をしている。だがよく考えて欲しい。箸からポトポトとした汁を、左手で受けている様子が美しいか美しくないか。これはとてもはしたない行為であるが、習慣になってしまい、無意識の内に手皿をしてしまう人は実に多い。身に覚えのある人は即刻止めるべきである。

諸起こし(もろおこし)

箸と器を同時に持ち上げる行為。ご飯茶碗や汁椀を手にするときは、まず両手で器を持ち上げてから、箸を取るのが正しい作法である。同時にこれを行うのは、早く料理を口にするための、食い意地の悪さの表れとされる。

・・・最後の「諸起こし」は、ついしてしまいがちな動作です。しかし、正しくない作法です。改めて、記している筆者も冷や汗が出た場面を思い起こします。やはり、家庭の中で日々正しい作法で食事をし続けなければ、思わぬところで恥をかきかねません。

 

 

posted by at 16:37  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

箸の上げ下げで人生が決まる

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

学ぶときに、鉛筆の持ち方を正しくすることは基本中の基本です。社会に出て、名前や住所を人前で記す機会がありますが、ペンであれボールペンであれ正しい持ち方で記したいものです。同様に、外食の際に箸で食するときに箸の持ち方は気になるものです。

「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、「箸の上げ下げ」についての論考がありますので、引用してご紹介します。

箸の上げ下げで人生が決まる

「箸の上げ下げでお里が知れる」というが、たかが箸されど箸。箸の扱いひとつで良く見られるのなら、これを身に付けない手はない。「箸の使い方で人生が決まる」といっても過言ではない。私の知る限り、箸が正しく使える人に、おかしな人はいない。

ではなぜ「箸」なのか。食事をするときの箸の使い方は、特に目につきやすい。それでいて、伝統的な日本の家庭教育では、箸の使い方は最も厳しく躾けられた事実がある。つまり、正しく箸を使えば、両親は「伝統を重んじる真っ当な日本人」であることがわかる。だから箸の上げ下げでお里が知れるのである。立ち居振る舞いをこなすには二十年の修行が必要といわれるが、箸の使い方を身に付けるのは、さほど大変ではない。

日本では古くから箸を神事に用いてきた。元々箸は神霊の宿るもの(神の依代:よりしろ)とされ、秋に宮中で行われる新嘗祭(にいなめさい)では、箸は神人共食(しんじんきょうしょく)の祭器とされてきた。例えば、伊勢の神宮では毎日神前にお食事と一緒に箸が供されているように、箸は神聖なものとされてきたのである。

(中略)

なぜ日本人は箸の使い方に美しさを求めるのか。それは、箸はただの食具のみならず、精神的な存在であるからだと思われる。古来、唾液が付く箸には、使った者の魂が宿ると信じられてきた。そのため、箸と茶碗と味噌汁椀などはそれを使う者の分身として大切に扱われてきた。銘々皿や銘々茶碗の文化もその名残である。

(中略)

大和言葉(古代日本語)では「はし」は二つの世界を繋ぐ役割を果たすものを意味した。川の両岸を繋ぐのが「橋」、地面と建物をつなぐのが「階(きざはし)」(階段)、上と下を繋ぐのが「梯(かけはし)、そして、物の隅を「端(はし)」と呼んで次の空間に繋がる部分と観念された。そして「箸」は、神々の息吹を大自然の恵みとして体内に取り込む道具であり、大自然と自己が繋がるものである。つまり、箸は神々と自分を繋ぐ神聖な道具ということになる。そして、その神聖な箸に自分の唾液が付くことで、箸に自分の魂が宿ることになる。

このように、日本人にとって箸はただの食具であるのみならず、特別な意味を持つ神聖な食具であり、したがって箸の使い方には多くの作法がある。正しく箸を使う人はそのような文化の継承者ということになろう。

 

・・・改めてこのような話に触れると、日常の食事の一回一回が、いかに大事なものであるか、また神聖なものであるかがわかります。「神々の息吹を大自然の恵みとして体内に取り込む」道具が「箸」と肝に銘じて大事に取り扱い、正しい持ち方がいかに重要かを改めて理解できました。

これからの日本の子供達に、しっかりと「箸」の持ち方、また作法を伝えていく役割が両親や大人にはあります。

posted by at 16:48  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

食事の作法(神道式の正式な作法)

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

先のブログで略式の食事作法について記しましたが、「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、神道式の正式な作法が紹介されています。とても興味深いものがあります。

神道式の正式な作法

食前感謝の儀

一、静座(心を落ち着けて座る)

二、一拝(一度、礼よりもやや深く頭を下げる動作をする)

三、一拍手(一度、柏手を打つ)

四、歌奏上(食前感謝の和歌を読む) 「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の めぐみえてこそ」

五、「いただきます」と唱える

注:「たなつもの」=田から取れる米、五穀の総称。

食後感謝の儀

一、端座(正く座る)

二、一拝(一度、礼よりもやや深く頭を下げる動作をする)

三、一拍手(一度、柏手を打つ)

四、歌奏上(食後感謝の和歌を読む) 「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」

五、「ごちそうさまでした」と唱える

静座と端座は外見は同じ。静座は心を落ち着けること、端座は正しい座り方に重点を置く。

奏上する歌は、いずれも本居宣長の和歌で、食前の和歌は天照大神への感謝の言葉であり、食後の和歌は豊受大御神への感謝の言葉である。天照大神は伊勢の神宮の内宮(ないくう)に祭られる神で、全ての生命に力を与えてくれる神様。また、豊受大御神は伊勢の神宮の外宮(げくう)に祭られる神で、天照大神の食事を司る神である。

 

・・・・・正式な神道式の作法は、流石に格式があります。「歌奏上」が本居宣長の和歌であることもなかなかのものです。本居宣長は伊勢松坂(今の三重県松阪市)の人で、江戸時代の国学者。『古事記伝』を書き上げ、近世以降の日本人に難解である古事記(当時、漢字による当て字で書かれていたもの)を、宣長の時代の言葉に翻訳・注釈しました。全44巻を医業やほかの研究著作のかたわら、かかった年数は35年。歴史的な大偉業を成し遂げます。これを踏まえて、正式な神道式の作法を家庭で試すのも威儀を正す意味で興味深いものです。

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