長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。「素読」を繰り返すことで、自ら学ぶ際に「音読」で教科書、参考書を読み、問題集を解いていきます。この習慣が付いてくると、集中力が高まり、理解しにくい時でも、繰り返し「音読」して理解していきます。その結果、自律的な学びを身につけていきます。
さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。
天子自(よ)り以って庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本と為す。其(そ)の本(もと)亂(みだ)れて末(すえ)治まる者は否(あら)ず。其(そ)の厚くする所の者を薄くして、其(そ)の薄くする所の者を厚くするは、未だ之れ有(あ)らざるなり。
(現代語訳) 天子から庶人に至るまでおしなべて自分の身を修めるのが本である。(※近江聖人と称される中江藤樹は十一歳の時この章に感動して聖賢(聖人と賢人)の道を志した。)その本である自分の身が乱れて、家をはじめ国や天下が治まることはない。 要するに、その厚くすべき本をおろそかにして、薄くすべき末の方に力を注ぎ過ぎると、所謂(いわゆる)本末転倒して、長い目で見れば終わりを全うすることはできない。
康浩(こうこう 浩の氵を言偏)に曰わく、克(よ)く徳を明らかにすと。大甲(たいこう)に曰わく、この天の明命を顧みすと。帝典(ていてん)に曰わく、克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。皆、自ら明らかにするなり。
(現代語訳) 康浩(こうこう 浩の氵を言偏:書経の一編)に、「克く徳を明らかにする」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。
大甲(たいこう:書経の一編)に「是の天の明命を顧みる」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。
帝典(ていてん:書経の一編)に「克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにする」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。
昔のこれらの聖天子は、皆自ら努めて明徳を明らかにしたのである。
```古典の漢籍には、上記の例のように同じような意の文を、リズム良く書き連ねていきます。それが素読や音読をしていく際に、繰り返すことで体に染み込んでいくようになるのではないでしょうか。