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子供の脳の発達段階に則した子育ての要諦

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

先に、筆者は「自律を促し、自立させるには」という記事を書いていますが、より明確に述べておられる記事に出会いました。東京大学先端科学技術研究センターフェロー小泉英明先生の50年以上にわたる脳科学の研究を重ねてきた中で、子供の脳の発達段階に則した子育ての要諦を2026年7月号の致知に掲載されています。詳細は本誌をお読み頂きたいと思います。

褒めて育てるか叱って育てるか

まず、よく意見が二分する「めて育てるか、しかって育てるか」に関してです。褒めて育てた群とそうでない群では、生後18週、30週、42週の統計的なデータで、社会能力(共感性・意欲・行動力など)の指標に10%以上の差が生じ、乳幼児期は褒めて育てるほうが社会性の発達が促されることが明らかになりました。乳幼児期において、褒めることはプラスに働きますが、叱ることはマイナスに働くということです。

日本には「三つ子の魂百まで」という言い伝えがあります。実は同じような金言が世界の50か国以上にあることをご存じでしょうか。昔は数え年ですから、三つ子というのは満2歳。脳科学の観点から見ても、生後約2年間に脳の一番基礎的な神経回路がつくられ、そこで築かれた土台は変わらないことが分かっています。

満2歳までの乳幼児期にはできるだけ養育者が愛着(アタッチメント)を持って接する。泣いても叱らず、ありのままを受け入れ、何かできるようになったら心から褒め、日頃から赤ちゃんの目を見つめながら言葉をかけたりスキンシップを取ったりすることが脳の発達には非常に重要です。しつけは次の発達段階で初めて必要になってきます。時期によって違うことを理解しておかなければいけません。

もちろん褒めて育てることは何も乳幼児期に限った話ではなく、一生にわたって大切なことです。ただ、乳幼児期を過ぎれば褒めるだけではかえって甘やかすことになってしまいます。

また、過保護や過干渉も問題です。例えば、赤ちゃんがハイハイしている時に、ぶつからないように物をどかしたり、転ばないようにと手を差し伸べたり、必要以上に大人が先回りすることは、神経回路を刺激する機会を阻害することになりかねません。や病気にならないように見守ることは大切ですが、行き過ぎは禁物です。

あ〜あ、やはりそうか。筆者も得心です。私自身3人の子育てをしてきましたので、なるほどそうなのかと納得です。

先ほど満2歳までに脳の基礎的な神経回路がつくられると述べましたが、脳は視覚、聴覚、きゅうかく、味覚、触覚の五感を通して膨大な量の情報を取り入れていきます。その際、情報の正誤や善悪を識別することはできませんので、子供にどのような情報を与えるかが、親の大事な役割だといえます。

自然体験が気づく力を養う

その上で何と言っても欠かせないのが自然体験です。なぜ自然がよいのか。ひと言で表現すると、自然は本物だからです。冒頭の話とも繋がりますが、本物に触れることこそが大切で、偽物やごまかしたものは人間の発達・成長には不要だと考えています。

例えば、本物の植物と造花を比較してみましょう。確かに造花は遠くから見るとれいかもしれませんが、虫眼鏡でのぞくとすべて同じ素材であると分かります。一方、本物の植物は一見似ていても一つひとつが微妙に違う。観察するほど新しい発見がある。本物には本物ならではの深みがあるのです。

そういう複雑で多様な本物の自然の中に身を置き、触れ合うことは神経の発達にこれ以上ない最高の体験ではないでしょうか。

 

・・・自然体験と真逆な現代の弊害にも触れられています。

しかし、最近はスマホやゲームやネットに依存した子供が多く、その弊害は実に恐ろしいものがあります。人間の脳は「快」「不快」を一つの指標にして情報処理をしています。実体験の対極にあるこれらのバーチャル体験は人工的な快を生み出す仕掛けがあり、快を感じるものは生存する上で必要だと脳が勘違いしてしまい、何度でもやりたくなって歯止めがきかなくなってしまう。麻薬中毒やアルコール中毒と同様です。

だからこそ、自然体験を通して本物に触れ、気づく力や生きる力をはぐくんでいくことがいまこそ求められているのです。

そして、自然教育に加えて芸術教育の重要さにも触れられます。

自然体験に加えて重要なのは、芸術教育だと考えています。現在の教育は教科書やマニュアルを使って知識や技術を身につけることに重点が置かれています。もちろんこれらは必要ですが、知識や技術に偏った教育だけでは肝腎の心が育ちません。思いや情熱がなければ、いくら知識や技術があっても、これを駆使してその先に進むことはできない。逆に思いや情熱さえあれば、知識や技術はおのずと高まっていくのです。

AIが進歩する中で、音楽や美術の授業を減らそうとする動きもあるようですが、心の感動を育む教育をないがしろにするのはまさに本末転倒です。目に見えて現れる枝葉や上澄みだけではなく、目に見えない根本、本質的な部分を鍛えていかなければいけません。

 

・・・某有名人が、古典や漢文など学ぶのは時間の無駄だ、と述べた例もありますが、心の感動なしに人は生きていくことはできないと考えます。

更に、小泉英明先生は以下の様に述べられています。

幸せに生きるために最も大切なこと

脳科学の研究を長年続け、そこに私自身の経験をも重ね、人間が幸せに生きるために最も大切なのは、「感謝の心」だとつくづく実感しています。

ドイツの哲学者・カントは最晩年に著した『人倫の形而上学けいじじょうがく』の中でこう説いています。

「幸福を追求することは自己の権利であり、同時に他者の幸福を追求することは自己の義務である」

また以前、ある高名な東洋の宗教指導者が日本を訪問された際、私の研究に興味を持たれ、お目にかかって30分ほどお話しする機会に恵まれました。脳科学に関していろいろとご質問を受けた後、最後に一つ私からどうしても聞きたかったことを単刀直入に投げかけました。「倫理とは何ですか」と。しばらく考え込まれて、英語でひと言、「Warm Heartedness」(温かな心)と明確に答えられました。

私はこの言葉に大変感銘を受け、「温かな心こそが倫理そのものであり、また最も美しい」と折に触れてお伝えしています。カントの言葉とも一致していると思います。

今年(2026年)私は傘寿の節目を迎えますが、これまでの研究者人生を振り返ると、不思議なご縁に導かれてきたとしみじみ感じます。偶然にも素晴らしい人や仕事と出逢い、感謝や感動をしながら懸命に打ち込んでいるうちに、別の素敵な人や仕事とのかいこうが生まれ、どんどん輪が広がっていった。そして、その広がった輪が実は一つに繋がっていることに後々気づく。これもまた、この道を歩み続けてこそ抱くことのできた感慨です。

 

・・・有難いお話です!

人は、年輪を重ねていくと、最終的に行き着く言葉が「感謝」ですね。

posted by at 12:30  | 塾長ブログ

自律を促し、自立させるには

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

幼児期から、小学生、中学生、高校生と学年が上がり、大学受験に臨むとしたら、12年プラス幼児期の年数となります。

では、いつ頃、どの様に「自律」「自立」を促すことができるでしょうか?

多くの親御さんからすると大きなテーマです。

基本的に、幼児期の数年間が最大の機会であると考えます。

つまり、「三つ子の魂百まで」という諺の三つ子、つまり数え歳(※)の三歳頃からです。

※数え年とは、生まれた年を1歳とし、元日(1月1日)を迎えるたびに1歳ずつ年齢を加えていく数え方です。一方、生まれた年を0歳とし、誕生日のたびに1歳ずつ増えていく数え方を満年齢といいます。そのため、数え年は満年齢より1~2歳多くなることになります。

では、具体的には何を、どの様にか。

肌身を離さない赤ちゃんの頃から始まります。

まず、

① 目を見て話しかけること。

② 優しい言葉掛けをすること。

③ 反応があればそれに応えること。

肌身から離す頃、つまり「這えば立て、立てば歩め」の頃

① そばで目を離すことはできませんが、できるだけ自由にさせること。

②できたことは評価すること(但し、褒めすぎないこと)。

言葉が出てくる頃

①幼児語は用いないこと。

② 正しい日本語を用いること。外来語(カタカナ表記の言葉)は避ける。

以上は、「自律」「自立」のための第一歩です。何より言葉が基本中の基本であり、正しい語彙力を身につけることが最重要です。

 

・・・下記に具体的な実例を詳しく紹介しておりますのでご一覧ください。(尚、カール・ヴィッテの教育法は1〜4まであります。)

 

言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法1

posted by at 17:15  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

養育環境によって鬼にも人にもなる

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

致知の特集「人を育てる」(2026年5月号)に掲載されている、体験的教育論「我が矯正人生」ーーSとの出会いが教えてくれたこと、元刑務官・第42代横浜刑務所長 亀井史巠(ふみひろ)氏のお話です。これを一部抜粋しつつご紹介します。今回は昭和40(1965)年ごろ以降の時代背景を踏まえてのお話です。

亀井史巠氏は広島市に居住する元刑務官。85歳。38年間の矯正人生を通して多くの犯罪者を更生へと導いてきた。ここで紹介するSもその一人である。処遇に携わった亀井氏自身が「生きた鬼」と形容し、「生きた鬼に出会ったのは後にも先にもない」と語るほど狂暴だったSは、亀井氏との出会いによって驚くほどの変化を遂げていく。亀井氏はどのような思いでSに向き合ったのか。命を賭した氏の実話は、人を育てる上での要諦を見事に説き尽くすものである。

(中略)

自分の躬行実践以外方法はない  注(自分から実際に行うこと)

私は多くの受刑者の処遇に当たってきましたが、とりわけ心に残っているのが、Sという私よりも5歳年下の男のことです。

昭和40年4月10日の午後10時30分頃、A刑務支所拘置監から「死刑判決を受けた被告人が逃走した。逃走者捜索のため、警備応援の準備をして待機せよ」との第一報が入りました。これがSとの出会いの始まりです。

Sはこの夜、A及びF市内で強盗など3件の重罪事件を起こし地域住民を震え上がらせましたが、翌朝6時過ぎ、ダブダブの学ランに身を包み学生にふんして逃走中のところを捜索に当たっていた警察官に見破られ、多数の警察官によってばくされました。

護送車両が拘置所に到着すると、初めに機動隊の服装をした警察官8名が下車し、乗降口の両サイドに4名ずつ分かれて人垣をつくり、その間を後ろ手錠姿のSが警察官に連行されてきました。私は、その護送警備体制の厳重な様子から、Sの尋常ではない凶暴性を感じ取ったのでした。

入所手続き中、Sは殺気立って全身を激しく揺さぶり、警察官の制止を振りほどいて立ち上がると、我々に唾を吐きかけ、続いて体当たりを仕掛けようとして、これを制止されると辺り構わず周囲にある物をらしながら「なめるなー!」と怒鳴り散らす狂乱状態となりました。

この時の怒り狂ったSのはつてんぎょうそうはまさに鬼、猛獣そのものでした。これがSとの出会いであり、生きた鬼に出会ったのは後にも先にもありません。

期せずしてSの処遇は私が受け持つことになりました。普通、これだけの凶悪犯であれば、手錠を掛けて房に入れておくことだけを考えるものです。しかし、私は刑務官として人をよみがえらせるにはどうすべきかを自問自答し続けました。

その結果、刑務官は法に基づいて職務を執行することが大前提ではあるものの、相手の心の動きをしっかりとつかみ、どのような人間でも同じ人としてそくいんの心を持って接し、魂を込めて処遇に当たらねばならないと考えました。

自分の罪を心から悔い、被害者に謝罪の気持ちを持たないままでは、Sにとって何のための人生だったか分かりません。刑死するまでの残り少ない人生を、この広島拘置所で過ごさなくてはいけないSが、まずはどうしたら心を開いてくれるかを四六時中考え続けました。そして、誰より私自身が自らの意思で実際に行動してみるきゅうこう実践以外の方法はないとの結論に達したのです。

・・・刑務所内での矯正。それも死刑の執行を待つのみの限られた時間の中で、如何に心を開いていくか、という命題です。犯罪を犯して刑務所に収監された人には、一般の人には理解し難い背景があります。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、そこに至るまでの人生に不幸の芽がある場合には、同情すべきことが隠されています。

凄絶を極めるSの養育環境

Sの心情が安定したため早速、逃走事件の取り調べが集中的に行われるようになり、それまで分からなかったSの養育状況が次第に明らかになっていきました。

Sは、女子受刑者の収容施設であったB刑務支所に収容されていた母親から出生し、監獄法に基づく携帯乳児として1年間、この刑務所内で母親に育てられたのです。

その後、祖母に引き取られて養育されましたが、生活苦から学校に行くことができず、十分な教育を受ける機会には恵まれませんでした。こうした養育状況からSはもんもうとなり、社会常識が乏しいまま年齢を重ね、正業にも就けず、年老いた祖母を養うために盗みなどを繰り返し、少年院や刑務所を出入りすることになりました。

しかし、まったく罪の意識を感じることはなく、自分を捕らえ裁く側の人間を逆恨みするばかりで、起こす犯罪も次第に凶悪化していきました。検事や裁判官をいつか自らの手で殺害する。Sの頭の中はその一念だったのです。

そのSに私ができることは毎日30〜40分の運動の時間の一部を利用して、人間としての心を持たせる働きかけを行うことでした。

ちょうどSが運動に参加を許されるようになったばかりの頃のことです。私が大きな声で「S、おはよう」と挨拶したところ「おはようございます」と返事が来ました。「よい返事をしたな」と話すと、「そりゃ、先生が大きな声でおはよう言うてくれたけんよ」と照れ臭そうに答えます。

私は彼の挨拶を褒めながら地面に「挨拶」という文字を書き、「これは心を開いて相手に近づくという意味だ」と説明しました。その上で「何かしてもらったら、必ずありがとうございますと感謝の気持ちを表すのだよ」と伝えました。

興味を示して聞き入るSに「私の話についてこれるか」と質問すると「お願いします」の力強い返事。心を開いた、との感触を得た私は、部下の刑務官と一緒に文盲のSに読み書きを教えるようになりました。せめて本や新聞が普通に読めるようにしてあげたいと、毎日の運動時間中、地面に漢字を書き示しながら読み方や意味を教える毎日がスタートしたのです。

特に、「人」や「命」という字を教える時は、命の尊さや人間の生きる意味を理解させ、人としての道を外さないように生きることが大事だと考えました。

「人という字は、2人の人間がお互いに寄り添い、支え合っている形を表している。また、人の間と書いて人間という。これは人は人々の間でしか生きられないことを意味している。人間は人を幸せにするために、尊い命を授かってこの世に生まれているのだから、どんな人とでも仲よくし、支え合って生き抜くことが大切なのだよ」

私がSに話した言葉の多くは、私が幼少期に両親に教えられたものでしたが、Sの表情は日に日に明るくなり、運動時間に私の姿を見つけると、まるで小犬が飼い主にじゃれつくように喜んで寄ってくるのです。

ある時、S自らの戒めと被害者の供養のために「はんにゃしんぎょう」の写経と読経を勧め、それを日課とするようになったこと、さらに自分の罪深さを自覚し被害者の命日には必ずきょうかいの読経を願い出るようになったのも、忘れ得ぬ出来事です。その頃のSの行状は模範囚のように落ちついていました。

・・・このお話の中には、様々なエピソードがありますが、すべて掲載することが出来ませんから、「致知」をぜひ手に取って頂きたいものです。

結果として、Sさんに対する死刑が執行されます。そして、亀井さんへの遺書が手渡れます。

「まず驚いたのは、あの文盲だったSが書いたのかと思うほど、美しい毛筆の文字と洗練された文章だったことです。その遺書は被害者への謝罪から始まっており、「自分の教養の無さと、身勝手から、取り返しのつかない苦しみを与えてしまいました。私を八つ裂きにされても、お怒りは収まらないと思いますが、どうかお許し下さい」と悲痛なまでのかいの念がつづられていました。

「毎日、毎日亀井先生に会うのが楽しみで、今日は何を教えてもらえるのか、どんな話を聞かせてもらえるのかと、わくわくしながら運動に出ていました。夜、部屋ではお父さんがいたら、あんな優しいお父さんだっただろうかと考え、夢を膨らませて、生きることの幸せを実感していました。

亀井先生。本当にありがとうございました。世の中でもっと早く先生にお会いしていたら、私の人生は変わっていたでしょう。沢山の心の宝を頂いたのにもって行けず、お先に旅立つことをお許しください」と、本心から感謝の気持ちを書いてくれていました。

最後に、「祖母ばあちゃんに、養育してくれた感謝の気持ちとして、『体をいたわり、長生きしてください』」……ここまで涙を我慢して読んできましたが、次の一行で一気に涙があふれ出ました。

posted by at 19:07  | 塾長ブログ

子供へのスマホの弊害

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

都会の電車の中でも地方のバスの中でも、手にスマホ(スマートフォン)を持つ人が多いのが日常の風景となってきました。当然、親と一緒の幼児も親のスマホを見ています。

「スマホの危機から子供たちを救おう」という記事が、致知の特集「人を育てる」(2026年5月号)に掲載されています。これを一部抜粋しつつご紹介します。

近年、大きくクローズアップされてきた社会問題にスマホやタブレットなどデジタル端末の弊害がある。東北大学加齢医学研究所教授・川島隆太氏は脳科学の視点から社会に警鐘を鳴らしてきた。一方、東京いずみ幼稚園園長・小泉敏男氏は半世紀、幼児教育に携わる中でテレビやスマホが子供たちに与える影響をつぶさに目の当たりにしてきた。2人がスマホ依存から脱却する方法として提唱するのが、読み聞かせや読書の習慣化である。その実践を通して、スマホの危機から子供たちを守る具体的な方法が見えてくる。

子供の目を見ない母親が増えてきた

小泉 その後、携帯電話やスマホが普及するようになって、いまから10年以上前、地方に出向いた時、「2歳の幼児が頻繁ひんぱんにスマホをいじるようになった」という新聞記事を目にして驚きましてね。実際、その頃から赤ちゃんを前向き抱っこしながら、まともに赤ちゃんと目を合わせずにスマホばかり見ている若い母親の姿をあちこちで見掛けるようになりました。これはまずいと思って「テレビとスマホには気をつけよう」と、さらに口うるさく注意を促すようになり、それを今日まで根気強く続けているところなんです。

(中略)

親子の愛着関係が出来にくい時代

(中略)

いずれにしてもスマホ中毒の親に育てられた子がスマホ中毒になるというのがいまの親子関係の図式です。そういう環境で育った子は他人とのコミュニケーションを結んできていないので他者の気持ちが理解できない。親との愛着形成が不十分であることから、例えば他の大人をなかなか信じることができず、自分の感情を抑えることができないという傾向が出てくるんです。

・・・記事中に、「文部科学省の全国調査では、2006年には発達障害の児童数は7,000人あまりとされていたのが、2022年には12万人を超えました。16年で約17倍です。」とあります。また、「単にじっと座っていられないばかりか、何も言わずにふらっと教室から出て行ってしまう子なども増えてきているんです。このように集団に馴染なじむことのできない子は、全国どの小学校、どの教室にもかなりの数います。」

長崎市でも、国立、公立問わず「学級崩壊」に近い状態に陥り、先生方がその対応に追われているという話を頻繁に聞くようになってきました。

川島 僕たちの研究所は仙台市教育委員会と協定を結んでいて、10年以上前から市内の公立小中高校に通う年間約7万人の子供たち全員の学力調査と、生活習慣のデータをすべて集積して、とくめいで成長を追いかけられるようなデータベースをつくっています。
教育委員会からのもともとのタスクは子供たちの学習意欲を高める方法を探ることだったのですが、その答えは1年目でパッと解けました。朝ご飯を家族と一緒に食べる。ただそれだけのことが子供たちの学ぶ意欲を高めると分かったんです。
そのうちに子供たちの遊びがゲーム機からスマホ、タブレットに変わってきて、スマホ、タブレットの利用と学習意欲、学力の関係を調べたら、スマホ、タブレットの利用が思った以上に学力を引き下げていることが分かりました。スマホを1日に1時間以上利用している子供たちは、全く勉強しない子供たちよりも学力が低いというデータが出て、いままでの常識では理解できない何かがあることに気づかされたんです。
研究所では子供の発達研究をするチームも持っていますから、3年という間隔を空けて子供の脳のMRIを撮って調査をしていく中で、インターネットを毎日のように使っている子供たちの脳は、言葉や情報伝達をつかさどる領域をはじめとして、かなりの部分で発育が止まるという信じられないデータが出ました。

・・・記事中に、スマホやタブレットが普及している現在でも、「毎日そんなに使っていない」と答える高校生が5~10%の割合で毎年必ずいることが指摘されています。

結論として、川島先生は

「せめて勉強する時、寝る時に電源を切る習慣は、高校生に限らずスマホと向き合う上でとても大事なことだと思います。
自分で自分をコントロールすることを子供に覚えてもらう意味からも、寝る時と勉強する時だけは電源を切る約束をしてもらいたいと思っています。その約束が守れないようなら、スマホは買い与えないという家庭のルールをつくるべきかと。」

posted by at 17:52  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

よい日本人

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

当塾では、小学1年生から各自基本的に15分の音読をします。様々な素材の中から、美しい日本語、正しい文法や敬語の用い方などに留意した文献を用います。塾生の理解力、暗唱力によって進度が異なります。

その中で、「国民の修身(高学年用)」(監修渡部昇一上智大学名誉教授)の第十一課をご紹介します。

 

第十一課 よい日本人 (4年生)

天皇陛下は明治天皇の御志をつがせられ、ますます我が國をさかんにあそばし、又我等臣民(しんみん)を御いつくしみになります。我等はつねに天皇陛下の御恩をかうむることの深いことを思ひ、忠君愛國の心をはげみ、皇室を尊び、法令を重んじ、國旗を大切にし、祝祭日のいはれをわきまえなければなりません。日本人には忠義と孝行が一ばん大切なつとめであります。家にあっては父母に孝行をつくし、兄弟たがひにしたしまなければなりません。

人にまじわるには、よく禮儀を守り、他人の名誉を重んじ、公益に力をつくし、博愛の道につとめなければなりません。

そのほか規律ただしくし、學問にべんきょうし、迷信におちいらず、又常に身體(しんたい)を丈夫にし、克己(こっき)のならわしをつけ、よい習慣を養はなければなりません。大きくなっては志(こころざし)を立て、自律自営の道をはかり、忠實に事にあたり、志を堅くし、仕事にはげまなければなりません。

我等は上にあげた心得を守ってよい日本人とならうとつとめなければなりません。けれどもよい日本人となるには多くの心得を知って居るだけでなく、至誠をもってよく實行することが大切です。至誠から出たものでなければ、よい行のやうに見えてもそれは生氣のない造花のやうなものです。

・・・如何でしょうか。

今から80年以上前の小学4年生は「修身」の教科として、しっかり暗唱するまで音読を繰り返していたのではないかと思います。現在の小学4年生「道徳」の教科では考えられないレベルの違いに驚かれるのではないでしょうか。

皇室を尊崇するのが国民として当たり前の頃ですから、最高敬語の用い方も完璧です。現在の日本人が最高敬語を目にするのは、古文の教科の中の古典にある文言ぐらいでしょう。

このような修身を小学生の頃から日々学ぶことと比べると、現在の教育はどうなんだろう?と素朴に思うこの頃です。

 

 

posted by at 16:34  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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