ほめる教育の是非 貝原益軒の説く「幼児教育」其の八

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、幼児期の教育の大事さを日本の様々な先人から学んでおります。

近年、「褒めて育てる」ことの是非が喧(かまびす)しくなっていますが、貝原益軒の説く「和俗童子訓」には、現代人からすると非常に厳しい文言が並んでいます。

『ほめると子どもはダメになる』(榎本博明著/新潮新書)という本も出版され、「褒めて育てる」ことの弊害が縷々述べられています。
曰く、
「叱らない子育て」の弊害として、
打たれ弱い大人になる。
勘違い人間になる。
頑張ることができない人間になる。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

     貝原益軒肖像

<読み下し文>

 凡そ人の悪徳は、矜なり。
矜とは、ほこるとよむ。高慢の事也。
矜なれば、自是として、其悪をしらず。
過を聞きても改めず、故に悪を改て、善に進む事、かたし。
たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。
 凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず
ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをも知らず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人の教えをもとめず。
もし父として愛におぼれて、子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。
其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。
必ず其子をほむる事なかれ。

其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。
親のほむる子は、多くは悪しくなり、学も芸もつたなきもの也。
篤信、かっていへり。
「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる。皆是愛におぼるる也。」

<現代語訳>

一般に、人の悪徳(人の道に背く心や行い)は、矜(誇る、自負する)である。
矜とは、ほこると読む。高慢(自分の才能・容貌などが人より優れていると思い上がって、人を見下すこと)のことである。
矜であるので、自らが正しいとして、その正しくないことに気づかない。
過ちを指摘されても改めず、その故に正しくないことを改めて善い(正しい)方向へ進むことは困難である。
たとえ優れている才能があっても、高慢にして自らの才(生まれつき備わっている能力)を誇り、他の人を侮るならば、これは凶悪(性質が残忍で、ひどい行為をすること、その様)な人というべきである。

一般に、小児の善い行いや、才能があることを褒めてはいけない。
褒めれば、高慢になって心術(心の持ち方、心映え)を損ない、自分が愚かであることも、不徳(身に徳の備わっていないこと)であることも知らず、自分に知(物事の道理がわかること)があると思い、自分の才智(才能と智恵)により物事の用をなすことができると思い、学問を好まないし、人に教えを請うこともない。
もし父として可愛がることにかまけて(溺愛して)、子の悪い点を知らず、性行(人の性質と普段の行い)が良くないのに、君子(学識・人格ともに優れた人)のように褒め、才芸(才智と技芸)は拙いにもかかわらず、優れていると褒めるのは、愚かで分別がつかないのである。
その善(良いこと、道義にかなっていること)を褒めれば、その善を失い、その芸(技能、技術)を褒めれば、その芸を失う。
決してその子を褒めてはいけない。

その子の害となるのみならず、他の人にも愚(愚かであること)であると思われて、大変に残念なものである。
親の褒める子は、多くが悪くなり、学問も技芸(技能)も劣っているものである。
篤信はかってこのように述べたものである。
「人に三つの愚がある。自分を褒め、子を褒め、妻を褒めること。これらはすべて溺愛(盲目的に愛すること)である。」

・・・「凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず。」

現代人が聞くと驚くことを率直且つ断固として論じています。
本来の節度ある謙虚な日本人は、長い歴史の中でこのようにして育まれてきたのでしょう。

戦後の欧米風の教育が、軟弱で辛抱することのできない若者や大人達を生み出してきたことは事実です。

「其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必ず其子をほむる事なかれ。」

叱られることで、
自分の非に気付くことができる。
素直に反省する。
失敗に負けないで精進する。

ということを繰り返して、辛抱しながら成長していくことができます。

やはり、幼児期に素直で前向きな心の持ち方を身につけてほしいものです。

posted by at 18:06  |  塾長blog

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ
PAGE TOP