大学入試改革・・・失敗の連鎖

幼児教育・学習塾の羅針塾では、小学校受験や幼児教育について相談に来られる親御さん方に、「子供さんの未来像」を描いてみて下さいと提案します。

「子供の望む道」へ進ませたい、というのが一般的です。勿論その通りです。その為には、小学校就学前から、小・中学校までは親御さんがレールをしっかりと敷いてあげるべきと考えます。

 

さて、産経新聞(令和二年(2020)11月20日)の特集記事(「戦後75年」第7部教育②)に「大学入試改革」についての記事が掲載されていましたので、引用してご紹介します。

目指す学力 時代の変化で翻弄

(前略)

大学入試の見直し。それは、常に時代の要請を追いかける「未完の改革」となる。戦後の時間軸を遡ると、大きな転換点は、昭和54年の国公立大志願者を対象にした「共通一次試験」の導入だった。

大学入試改革(産経新聞2020.11.20)

 

■「共通一次」導入

高度経済成長期の40年代、「受験地獄」と呼ばれる時代が到来する。ベビーブームの波に乗った大学進学者の増加に伴い競争は激化。当時は大学ごとに独自の入試が行われており、受験生をふるいにかけるため、高校での学習内容が反映されない奇問や難問が頻出し、受験生を苦しめた。

そこで提唱されたのが共通一次試験だった。高校での基礎的な学習内容を出題し、その達成度を共通の尺度で評価する。その上で、受験生は各大学の個別試験(二次試験)に挑む。現在まで続く大学入試の枠組みが形作られた。

共通一次で受験生に求められたのは、五教科七科目をミスなく解答する能力だ。マークシート式の解答が採用されたことは象徴的だった。

「唯一の正解があり、それと寸分違わない答えを導き出す。組織の一員として、高度経済成長を支える人材に要求された力でもあった」。文部大臣補佐官として共通テスト導入を主導した東京大・慶應大学教授の鈴木寛はこう指摘する。

共通一次は平成二年に私立大も参入するセンター試験へと衣替えし、その規模を拡大しながら今年まで継続されることになる。

しかし、革命的なインターネット技術の発明に伴う情報化社会の到来によって、マークシート式の選択問題で測られる学力はすでに時代遅れになっていた。

・・・正直なところ、昭和54年(1979)から41年経っても、「教育改革」という名の「教育改悪」を続け、その「愚」に気付かないという戦後の日本の文部行政の為体(ていたらく:様子、有様)には呆れ果ててしまいます。その時々の、大学を目指す若者が、受験制度の変更に翻弄され続けています。

(中略)

情報科時代において、必要とされる様になったのは、人工知能(AI)などが代替可能な暗記力や計算力ではなく、人間にしかできないクリエーティブな能力だ。

しかし、多くの学校現場では指導要領に沿った学びは浸透していない。

なぜか。

「入試で求められていないからだ」(文科省幹部)

(中略)

国際競争を迫られる中、日本の教育力の真価が問われている。

元文科大臣補佐官の鈴木は断言する。

「高校の授業を変えるしかない。邪道かもしれないが、その為には大学入試を変えるしか手立てはない」

 

・・・「木に竹を接ぐ」(違う性質のものを継ぎ合わせる。前後関係や筋が通らないことの例え。不調和な例え。)という諺(ことわざ)そのものです。

敗戦後の日本の教育は、GHQ占領期の七年間で大きくねじ曲げられています。それを主権回復した昭和27年(1952)に、従前の教育制度に戻すことができていれば、現在の様な教育の劣化を招くことはなかったと考えます。

つまり、江戸時代の幕末に、米国のペリー来航に始まる欧米列強の圧力を跳ね除ける為に、明治維新を断行した近代日本は、明治天皇の精神的統率のもと、「和魂洋才(わこんようさい:日本固有の精神を基本に据え、西洋の優れた学問・知識を摂取し、活用すべきであるということ。)」の考え方に基づき、是々非々(ぜぜひひ:立場に囚われずに、善いことは善い、悪いことは悪いと判断すること)で、欧米列強の長所を取り入れることに努めました。

教育制度も、欧米の優れた科学技術や近代的合理主義は取り入れましたが、安易な西洋崇拝的「ものまね」は忌避しました。全国に小学校を隈無く配置し、各界の指導者となるべき人材教育を、帝国大学、各種専門分野の大学、高等師範学校などを通して、様々な分野に施していきました。

第一次世界大戦後は、「五大国(英・米・仏・伊・日本)」の一つとなります。これは、日本人の勤勉さや誠実さ、努力の賜物ですが、その根幹に優れた教育制度と人格・識見に優れた先生方がおられたからです。

そして、大東亜戦争(教科書的には、太平洋戦争)で米国に負けはしましたが、戦後の日本の復興や高度経済成長を支えてきた人々は、少なくとも戦前の日本や日本人に合った教育を受けていたのです。

戦前の優れた教育制度を米国に否定された占領期の七年間以降、日本人自らが、優れた教育制度を取り戻していないことが、現在の迷走する大学改革失敗のすべての根源ではないか、と愚考します。

 

 

・・・考える力、論理力、思考力、クリエーティブな力、などなどは、母語である日本語で、しっかり考え、話し、論理的に書く力を身につけることが何よりです。

日本の古典に親しみ、日本的な本来の感性を持っていれば、海外の人々から「Japan Cool 」と言われる日本となり、国際的に通用する日本人を生み出していけます。英語などの語学は、本来必要な人が、必要なときに学ぶものである、と考える方が合理的です。

しかしながら、その非合理的な「小学校英語必修化」が制度化された以上、日本の将来を担う子供さん達の為にも、それにより良く対応すべきことは、言うまでもありません。

 

 

 

posted by at 14:27  |  塾長ブログ

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