問題解決能力は古典教育が齎(もたら)す

文科省の「学習指導要領改訂の方向性について」という説明ビデオを観て、疑問を覚えた方のブログがあります。
よく引用する「 国際派日本人養成講座」(伊勢雅臣氏主宰)です。
海外でご活躍されていて日本人を啓発する為の記事を沢山書かれています。

そこからの引用です。

「古典教育が国家を発展させるという逆説」
維新と近代国家建設、奇跡の復興と高度成長を成し遂げた問題解決能力は古典教育がもたらした。
http://blog.jog-net.jp/201703/article_1.html

■1.「プランプランのドードー巡り」

「文科省はゆとり教育、総合学習の反省もないまま、また新しい事を始めようとしている」というのが、文科省の「学習指導要領改訂の方向性について」の説明ビデオを見た感想である。

 その説明パネルでは、「他者と協働しながら、価値の創造に挑み、未来を切り拓いていく力が必要」などと、立派な理念が抽象的な言葉で語られているが、そこに決定的に欠けているのが現状の事実分析である。
今の教育で何が出来て、何が出来ていないのか、という事実の把握と分析がない。

 実業の世界では、仕事の基本はPlan-Do-Check-Actionのサイクルである、と良く言われる。
計画(Plan)を立て、実行(Do)した後で、その結果をチェック(Check)し、必要な修正アクション(Action)をとる。
このPDCAサイクルの要がCheckである。
Plan-Doの後、反省もせずに、次のPlan-Doに行くのは「プランプランのドードー巡り」だと、からかわれる。

 日本の教育行政は、1980年代からの「ゆとり教育」、2000年代からの「総合学習」と、どう見ても成功したとは見えない施策をとってきた。
その評価反省もなく、今回2020年から実施する新しい学習指導要領で「アクティブ・ラーニング」を柱に進めるというが、今回もCheckもActionもない「プランプランのドードー巡り」を繰り返しているのではないか。

(中略)

■3.なぜ下位のアメリカに学ばなければならないのか?

 教育学者の齋藤孝・明治大学文学部教授の著書『新しい学力』には、教育行政のCheckとなりうる事実分析がある。
たとえば、こんな一節だ。
65カ国・地域、51万人の15歳を対象として問題解決能力を評価する「学習到達度調査(PISA)」での2012年の結果では、日本は数学的リテラシー7位、読解力4位、科学的リテラシ-4位だった。

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 ・・・日本はどの分野も比較的上位に位置し、日本より上なのは、主に上海やシンガポールなど、日本より著しく規模の小さい地域、それも東アジアの地域である。

 一方で、問題解決能力教育において「進んでいる」とされ、最も頻繁に参考にされるアメリカは、数学的リテラシーが三十六位、読解力が二十四位、科学的リテラシーは二十八位である。
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 今回の学習指導要領の改訂でも、問題解決型能力の育成が重視されているが、その教育の先進国であるアメリカよりも、日本ははるかに上を行っているのである。

 特定のテスト結果だけではなく、史実も挙げて齋藤氏は言う。

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 歴史をさかのぼってみるとき、例えば明治維新を成し遂げた人々は、「学力」ということでいえば、徹底的に「素読(そどく)」を中心とした伝統的な教育を受けた人々である。
問題解決型学習とは程遠いようにみえる素読を技として身につけた人々が、現実に押し寄せてきた植民地化の波から日本を救い、欧米列強に追いつくという、大きな「問題解決」を成し遂げたのである。

 あるいは、第二次世界大戦後の焼け野原から立ち上がり、世界第二位の経済大国にまで成長を遂げ、同時に平和で民主的な社会を作り上げてきた人々の中心は、戦前の教育を受けた世代の人たちであった。
個性や主体性とはかけ離れた教育を受けたようにみえる人たちが、昭和二十年代、三十年代に、爆発的な学習意欲を示し、これまた「問題解決」を成し遂げた。

 つまり、日本の近代史において、最も主体的に動き問題解決を成し遂げた世代とは、現在でいうところのまさに「伝統的な教育」を受けた人たちであった。
この事実をしっかり確認しておきたい。
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 こういう事実を無視して、わが国よりもはるかに順位の低いアメリカの教育を参考にしようとするのは、どういう料簡だろう。
文科省官僚自身の問題解決能力の再教育が先決ではないのか。

(中略)

思考の持久力 

■4.「思考の持久力」
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・・・明治日本という近代国家を造り上げたのは、江戸時代の素読中心の学習をてきた者たちである。
伝統的な教育の最たるものである素読を中心とした学習によって育てられた者たちが、なぜ世界史上まれにみるほどの急速な近代化をなしとげることができたのか。
この逆説をよく考えてみる必要がある
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 齋藤氏は、その逆説を福沢諭吉のケースを通じて考えている。
諭吉は西洋諸国の文明を学び、科学など役に立つ学問を重んじた。
しかし、幼い頃に受けた教育は「孟子」の素読から始まる漢学だった。

 とりわけ得意だったのは「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」で、「大概の書生は左伝十五巻の内三、四巻でしまうのを、私は全部通読、およそ十一度び読み返して、面白いところは暗記していた」。

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 読書は伝統的な教育の柱であるが、十一回読み返すという常識を超えた行為、これはもはや主体的な、アクティブな活動であるといえるのではないか。
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 春秋左氏伝はシナの紀元前700年頃から250年間の歴史を描いた史書で、岩波文庫版では3分冊で各巻500ページ近い分厚さである。
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 問題解決を行なっていくためには粘り強い思考力が必要となる。
困難を目の前にしてもひるまずに取り組み、持続的な思考を維持する、いわば「思考の持久力」が求められる。
それを養成するためには、名著と呼ばれる「古典」を読むことが効果的である。
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 古典は、最初は良く分からなくとも、何度も読み返していくうちに、人間とは、社会とは何かについて、著者と深い対話をするようになる。
その面白さが11回も呼んだ原動力になったのだろう。

(中略)

■6.松下村塾の「志の教育」

 齋藤氏は、文科省の狙うアクティブ・ラーニングはすでにわが国の歴史の中で優れた実践事例があることを指摘している。
吉田松陰の松下村塾である。

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 松下村塾には、学塾につきものの教卓がなかったといわれている。
松陰は塾生たちの間を移動し、個人指導を行なっていた。
明確な時間割もなく、来るメンバーや時間もばらばらで、教科書も塾生中心に選ばれたという状況の中では、おのずと指導は一斉ではなく個別的になる。

 授業の課題の中には課業作文というものもあった。
これは今でいうレポートであるが、テーマは塾生各人が選ぶことも多かったようだ。
出されたレポートに松陰が丁寧なコメントをつけている。
レポートのテーマは松陰が出題することもあった。
現実の問題に対して、どのような解決策があるかを問うようなレポート課題も出している。
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 たとえば、日米通商条約締結という当時の重大事をテーマとして、塾生がレポートを書き、皆で議論する。
「これはまさにアクティブ・ラーニングであり、問題解決型の学習方法である」と、齋藤氏は喝破する。

 松陰が塾を指導したのはわずか2年半だったが、ここから育ったのが、維新の尖兵となった久坂玄瑞、高杉晋作、さらに近代国家建設の中心人物だった伊藤博文、山県有朋などである。
松陰がこれだけの人物を生み出しえたのは、どうしてだろうか。
齋藤氏は「磨いた学力で、何を考え、何を求めていくのか」、そういう「志の教育」こそが人間性の核であるとしている。

・・・「磨いた学力で、何を考え、何を求めていくのか」、そういう「志の教育」こそが人間性の核である。
まさに我が意を得たり、です。
この世に生を受けた僥倖に感謝し、人生に意義を見出して世の為人の為に活躍できる、そのような人づくりをするのが本当の教育である、ということですね。

posted by at 19:07  |  塾長blog

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