「国立大学の入試で記述式が重視」 

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、
常日頃から適宜「音読」・「漢字」(漢字熟語はひらがなとの交ぜ書きではない正しい漢字)・「文法」を幼児期から学ばせます。
大学受験期になって慌てて「記述式」の試験対策をする様では、所詮「付け焼刃」であると考えるからです。
幼い頃からの日々の積み重ねが、作文→記述問題→論文となります。

平成32(2020)年度から国立大などの1次試験にあたる大学入試センター試験に代え、新しい共通テストが実施される予定です。

平成28年12月14日の産経新聞の社説を引用しつつ、筆者の考えを述べます。
http://www.sankei.com/column/news/161214/clm1612140001-n1.html

「主張」
 記述式の入試 人材育てる労を惜しむな

  ようやく国立大学の入試で記述式が重視されることになった。

 よく考えて書くのは思考力、表現力を育む上で欠かせない。大学入試でその機会が少なかったことの方がおかしい。
しっかり学ぶ教育につなげてもらいたい。

 2020(平成32)年度から国立大などの1次試験にあたる大学入試センター試験に代え、新しい共通テストが実施される予定だ。

 これに合わせ、国立大学協会が2次試験では長文で答える問題を課す方針を示した。
国語が中心で原則、全受験生が対象となる。

 新共通テストの国語と数学で記述式問題を加えることが検討されているが、受験者が数十万人規模になるため採点時間などの問題点があった。
80字以内といった短文なら可能だとしても、それ以上の長文の記述式は2次試験に任せる方が現実的だろう。

 センター試験は私大を含め利用大学が増え、定着してきた。
その一方、大学によってはセンター試験に頼りすぎ、個別試験で手を抜いていなかったか。

 現行センター試験は選択で答えるマークシート方式だ。
前身の共通1次試験時代から「考える力が育たない」と批判があった。

 ならば各大学の試験で記述式を重視すべきだが、現在、国立大2次試験で記述式を課しているのは募集人員の4割にとどまるという。
寂しい限りである。

 どんな学生を採り、育てていくかは大学教育の重要な仕事であるはずだ。
記述式は採点の負担が増えるといった考えがあるなら、おかしい。

 それとも、受験生の文章の良しあしが見極められないほど大学教員のレベルは低いのか。
面接など筆記試験では測れない受験生の能力を多面的に評価することも課題だが、記述式の採点を厭(いと)うような教授らに教育を任せられるか。

 これを機会に、受験科目が少ない入試も見直したい。
昭和54年導入の共通1次は当初、5教科7科目を課していた。
センター試験では大学が必要な試験科目を選ぶ形に変わり、科目が少ない大学が増えた。
物理を知らない理工学部生など、基礎知識を持たずに入学する学生の増加を生んでいる。

 入学後に切磋琢磨(せっさたくま)する教育研究の環境やカリキュラムが肝要なことはもちろんだ。
大学の中身の改革を忘れてはならない。

「大学入試改革」に右往左往する必要はない。

昭和54年導入の共通1次試験以降、度々手直しをしつつ現行の大学入試センター試験となりました。

大学入試センター試験は全教科・全科目で設問の解答をマークシートに記入する方式であり、記述式の設問はありません。
科目ごとに決まっている高等学校の学習指導要領に沿って出題されます。

現在の親御さんはご存知ではないでしょうが、昭和54年以前は、国立・公立大学それぞれ独自の試験問題を受験生に課していました。

従って、大学ごとに個性的な出題が可能で、中には新傾向問題・難問題など、大学が求める人材を選抜する意思が感じられる入試問題だったのです。

そうなると、受験生側も自分が是非学びたいと思う大学・学部・学科を探し、入試問題の傾向と対策を自ら考えなければなりませんでした。
余談ですが、実際に「傾向と対策」という各大学別の過去問題集があり、受験生の必携本でもありました。
また、分厚い大学案内本があり、受験生自らが実力と難易度を分析しつつ受験したい大学を研究しなければなりませんでした。

現在でも、二次試験で各大学別の独自試験がありますが、受験生にとってはマークシート方式試験と合わせると、タイプの異なる試験を二度受験しなければなりませんので、昭和54年以前の所謂「一発勝負」の試験より負担が大きいと言わざるをえません。

その結果が、以下の現状です。

 新共通テストの国語と数学で記述式問題を加えることが検討されているが、受験者が数十万人規模になるため採点時間などの問題点があった。

  センター試験は私大を含め利用大学が増え、定着してきた。
その一方、大学によってはセンター試験に頼りすぎ、個別試験で手を抜いていなかったか。

 現行センター試験は選択で答えるマークシート方式だ。
前身の共通1次試験時代から「考える力が育たない」と批判があった。

更に、

どんな学生を採り、育てていくかは大学教育の重要な仕事であるはずだ。
記述式は採点の負担が増えるといった考えがあるなら、おかしい。

 それとも、受験生の文章の良しあしが見極められないほど大学教員のレベルは低いのか。
面接など筆記試験では測れない受験生の能力を多面的に評価することも課題だが、記述式の採点を厭(いと)うような教授らに教育を任せられるか。

結局、
昭和54年導入共通1次試験以前の、各大学ごとに作成実施する大学入試が、一番良かったのではないか。

その当時、東京大学を頂点とした「受験戦争」というマス・メディアの喧しい批判の中で、受験生の負担軽減を図り、全国的な統一問題を導入する方針が大学改革の主眼でしたが、四十年近くかかっても正解を出すことができません。

また、

 これを機会に、受験科目が少ない入試も見直したい。
昭和54年導入の共通1次は当初、5教科7科目を課していた。
センター試験では大学が必要な試験科目を選ぶ形に変わり、科目が少ない大学が増えた。
物理を知らない理工学部生など、基礎知識を持たずに入学する学生の増加を生んでいる。

社会に出た大学・大学院卒の若者が、基礎学力がない、専門知識がない、コミュニケーション能力がない、語彙力がない、等等の社会人の先輩や上司達から指摘される例も多々ある様です。
ある国立大学の医学部付属病院勤務の若い医師が医療現場で使いものにならない例があるということも仄聞します。

現行のセンター試験では、如何に効率よく受験対策をして(科目数も最小で、出題頻度別に丸暗記し、要領よくコナスこと)大学に合格するかを競うかのようです。

中・高校で、自ら主体的に学ぶ姿勢を身につけようにも、魅力ある授業や、志を育むヒントを与えるような先生方の人生論や偉人伝、歴史への造詣などを披瀝する授業など、現在の教室で展開されていません。
更に、
教科書など等閑視したプリント中心の授業。
次から次へと行われる各種試験の数々。
日々の宿題のプリントの山。
専門性や教養を高める教科書や基本書をじっくり読み込む時間を取りたくても、夏休みなどの長期休暇は補習授業で追われている。
先生の意に反すると内申書にマイナス評価される。

・・・これでは、自主性や主体性など育つはずがありません。
子供達や若者の力不足を招いているのは、詰まるところ教育制度や受験制度の仕組みを作る「大人達」です。

かっての「ゆとり教育」は、教科書の内容を少なくし授業時間を削る方向で制度を組み立てたため大失敗に終わりました。
むしろ、
教科書は分厚くても内容を充実させること、
それに基づき児童・生徒の理解や進度に合わせて自主学習できるようにすること、
春・夏・冬の長期休暇は補習授業をせずに、自由に学問に取り組む時間と心のゆとりを与えること、
土曜日に授業を行うこと、
など、充実した授業時間の確保と家庭学習に自由度を持たせ、失敗をしてもやり直しがきく指導体制を作ることが少なくとも必要であると思います。

小学校まではのんびり授業が進み、中・高校では教科書も等閑にして宿題・試験の山では、古典や文学作品など手に取ることなどできません。
そのような状況を作り出している「大人達」が、試験制度に「思考力」を求めるのは如何なものなのでしょうか。

posted by at 19:03  |  塾長blog

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