子は国の宝

長崎市五島町の羅針塾学習塾・幼児教室では、子供達の語彙(ごい=ある言語・分野などそれぞれで使われる単語の総体)の量を増やし質を上げていきたいと考えています。
例えば、
現在用いられている漢和辞典では引けない漢字も、五、六〇年前の漢和辞典で引くようにしています。
下記に出てくる言葉「羣下」の「羣」は「群」の本来の漢字です(「群」は俗字)。
現在ある常用漢字は、本来の漢字ではないことも教えます。
例:「學」が本来の字義に適った漢字、「学」は俗字。

漢字や熟語に興味を持つと語彙の量と質が上がります。

    幼學綱要頒賜ノ勅諭

これは、幼學綱要(児童用修身書)を明治天皇から分かち賜る際のお言葉、です。

人として常に守るべき道や道徳は教育の主本(おおもと)であり、我朝(我が国)支那(China)の専ら(もっぱら=主とする様)崇尚(すうしょう=あがめ尊ぶ)する所である。
欧米各国もまた修身の學ありといえども、本朝(我が国)に採用するには未だ要(必要)を得ない。
方今(今日、当今)學科多端(することが多い)本末(ほんまつ)を誤る者鮮(すく)なからず。
年少就學(年少にて学問を始めること)最もまさに忠孝を根本にし仁義を先にすべきである。
因て儒臣(儒学を専らにする家臣)に命じて、この書を編纂し羣下(ぐんか=多くの下々の者たち)に頒賜(はんし=お上から品物を分かち賜る)し、明倫修徳(倫理を明らかにして徳の有る生活を実践すること)の要をここにあることを知らしむ。

幼学綱要*(ようがくこうよう)
*綱要=大本となる大切なところ。基本となる大切なところ。骨子。

明治15年(1882)勅命により侍講(じこう)元田東野(もとだとうや)(永孚(ながざね))が編集した児童用修身書

明治天皇は明治十一年(1878)東山(とうざん)、北陸、東海を巡察、これに基づいて教育方針改善意見を元田に起草させました(「教学聖旨」。明治十二年(1879))。
同年8月、元田に幼少児童へ教学の要を知らせる書を編集すべきことが下命され、元田らはこれを受けて明治14年(1881)夏脱稿、明治15年12月宮内省より『幼学綱要』として刊行されました。
本書は上中下三冊七巻からなり、孝行、忠節、和順、友愛、信義など20の徳目をたて、経書(*)によってその意義を説明し、和漢の歴史事例を引用しつつ絵画によって解説を加えました。
頒布にあたってはとくに、「明倫修徳ノ要茲(ここ)ニ在(あ)ル事ヲ知ラシム」との勅諭*が添えられました。
*上の写真が「幼學綱要頒賜ノ勅諭」

後年の「教育勅語」発布の先駆的な位置にあるものと評価されています。

*経書=(「経」は縦糸。古今を貫く真理を乗せた書物の意から)儒教の経典。四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)五経(「詩」「書」「礼」「易」「春秋」)

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