英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 6

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com/wp では、しっかりと聞き取ることができる態度を身につけて欲しいと考えています。例えば、論語の素読を行う際に、耳を澄まして集中する塾生さんは的確に音読で返してくれます。これは、幼児さんであれ、高学年の塾生であれ、基本は同じです。意味は判らずとも、聞こえる「音」をそのまま返すことができるのも、一つの才能です。

さて、「歴史」を苦手にされているお母さん達からすると、「歴史」は単純に暗記だけをしなければならない、と感じておられる方がほとんどです。しかし、「歴史」は無数の人々が営々と築き上げてきた人生の集積だと考えれば、「歴史」を学ぶことは、無数の人々の喜怒哀楽や人生に真摯に向き合ってきた努力の結果を省みる、と言えるのではないでしょうか。無論、「歴史」に残る業績を上げた人が「歴史」に名を残しますが、その家族や関係者の支えがあってこそできるわけですから、その人々の代表者と見れば、様々なドラマがその陰にあると考えることができます。

「歴史」の陰にある人々の営為を想像すると、「歴史」の面白さを感じることができます。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Section 3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%203,%204.pdf

「近代の日本と世界(I)―幕末から明治時代」

Section 3 – Constitutionalism and the wars with China and Russia

立憲国家と日清・日露戦争

Topic 58 – The struggle to revise the unequal treaties

58ー条約改正への苦闘

What strategies did Japan employ in order to renegotiate the unequal treaties signed with the Western powers during the final years of the shogunate?

 幕末に欧米諸国と結んだ不平等条約を、日本はどのように改正しようとしたのだろうか。

The problem of the unequal treaties

不平等条約の問題点

The treaties that the shogunate signed with the Western powers in its final years were humiliating to the Japanese people due to the unequal terms they forced upon Japan. Firstly, any foreign national who committed a crime against a Japanese person was tried, not in a Japanese court, but in a consular court set up by the nation of the accused criminal.1 Secondly, Japan lost the right, just as many other Asian countries had, to set its own import tariffs. The Japanese people of the Meiji period yearned to end this legal discrimination imposed by the Western powers, and revision of the unequal treaties became Japan’s foremost diplomatic priority.

*1=The exclusive right held by foreign countries to try their own citizens in consular courts for crimes committed against Japanese people was referred to as the right of consular jurisdiction, which was a form of extraterritoriality.

 幕末に日本が欧米諸国と結んだ条約は、日本人の誇りを傷つける不平等条約だった。第一に、日本人に対して罪を犯した外国人を裁く権利は、日本の裁判所にはなく、相手国の領事裁判所にあった(領事裁判権)。第二に、他のアジア諸国と同様、関税自主権を日本に与えていなかった。欧米諸国との法的な差別を解消する条約改正は、明治の日本人の悲願であり、日本外交最大の課題となった。

*1=外国人が犯罪を行なったとき、その外国の領事が犯罪者を裁判にかける権利を領事裁判権という。治外法権の一つである。

In 1872 (Meiji 5), the Iwakura Mission attempted to discuss the revision of the unequal treaties with the United States, but was rebuffed on the grounds that Japan had not reformed its legal system, particularly its criminal law.

 1872(明治5)年、岩倉使節団はアメリカとの間で条約改正の予備交渉を行おうとした。しかし、刑法などの法律が整備されていないことを理由に、相手にされなかった。

For this reason, Japan set aside the issue of consular jurisdiction and made recovery of its tariff autonomy the focal point of its bid to revise the unequal treaties. Though the United States agreed to this, the ensuing negotiations ultimately failed due to the opposition of Great Britain and France. However, in 1877 (Meiji 10), a group of British merchants were caught smuggling the narcotic opium into Japan and were arraigned before a consular court. The British consul ruled that their deeds were not treaty violations, as the opium was being imported for medicinal purposes. This unjust decision outraged the people of Japan and convinced the Meiji Government to switch the emphasis of the negotiations back to the abolition of consular jurisdiction.

 そこで日本は、関税自主権の回復に条約改正の重点を置いて各国と交渉した。アメリカは日本に同意したが、イギリスとフランスが反対し、交渉は失敗に終わった。1877(明治10年)、イギリス商人が麻薬のアヘンを密輸する事件があった。イギリスは領事裁判権を行使し、アヘンは薬として輸入したのだから条約違反ではないとの判決を下した。判決の不公平は日本人を怒らせた。日本は領事裁判権の撤廃要求に交渉の重点を切りかけた。

・・・現在の国際関係とは大きく異なり、明治期の欧米の白人国家は武力を背景としている為、有色人の弱小国家の言い分を全く聞く耳を持ちませんでした。日本の先人たちは、有色人国家が白人国家への抵抗を諦めていた時代に、果敢に切り込んでいきました。何故ならば、一日も早く自立した近代国家を築かなければ、弱肉強食の世界で日本が生存し得ないと強く自覚していたからです。

現在の日本人は、正しい歴史を学ばず、そのような先人の苦労を全く忘却しているかのようです。

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