‘ 2016年 10月 ’ 記事一覧

実語教 その三

「実語教」は、大人である私たちでもスラスラ読めて暗記することは結構苦労するぐらいの、漢文の白文(48連、480文字)です。
江戸期には、数えの三歳から七歳(満二歳から六歳)に学び始めます。
素読を通じて暗記する力をつけるには、この年齢期に訓練し始めると効果があると、長い歴史の中で見出してきた経験則なのでしょう。
漢文の素読ですから、ルビもふってあるわけではありません。
しかし、「習うより慣れろ」ということでスラスラ音読することが鍵です(成長するにつれて意味の理解はできるようになります)。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室幼児教室では、
どの科目も音読でスラスラ読めるようにすることが基本です。

  学文に怠(をこた)る時勿れ

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

学文勿怠時 除眠通夜誦
 学文に怠(をこた)る時勿れ。眠(ねぶ)りを除ひて通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ。

忍飢終日習 雖会師不学
 飢へを忍んで終日(ひねもす)習へ。師に会ふと雖も、学ばずんば、

徒如向市人 雖習読不復
 徒(いたづら)に市人(いちびと)に向ふが如し。習ひ読むと雖も、復さざれば、

只如計隣財 君子愛智者
 只隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)ふるが如し。君子は智者を愛す。

小人愛福人 雖入冨貴家
 小人は福人(ふくじん)を愛す。冨貴(ふうき)の家に入(い)ると雖も、

為無財人者 猶如霜下花
 財(ざい)無き人の為には、猶(なを)霜の下の花の如し。

雖出貧賤門 為有智人者
 貧賤の門(かど)を出づると雖も、智有る人の為には、

宛如泥中蓮 
宛(あたか)も泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如し。

<現代文>

学問するときには、怠ることなかれ。

夜眠たくとも夜通し(一晩中)書を声を出して唱えよ。

空腹をも堪えて、昼夜を問わず、もの学びをせよ。

師(師匠)に出会っても、自ら学ばなければ、
単に市人に交わるが如くにして無益である。
(真の師は、弟子から物を学ばざれば何事をも言はぬのであるから、師から善きことを聴かぬのは誠に勿体ないことである)

学問をして習読するも、何度でも繰返して読まざれば、(例えば)隣家の財宝を計算することと同じで何の用にも立たない。

君子(*1)は智者を愛し(親しみ)、小人(*2)はただ経済力のある人と愛する(親しむ)。
(*1君子=徳が高く品位のある人 *2 小人=度量や品性にかけている人)

富貴(*)の家に入りて、俄かに金銀を得ることがあっても、その任に当らざる者は、
(*富貴=資産があり、且つ地位や身分が高いこと)

霜の下で衰え枯れていく花と同じである。

(例え)貧賤(*)に生れても、智恵の有る人は、蓮の花が泥の中より生じて泥に染まらず、清く正しく生きるが如しである。
(*貧賤=貧乏で身分が低いこと)

posted by at 12:37  | 塾長ブログ

実語教 その二

平安末期から明治初期まで広く用いられた初歩教科書ともいえる実語教。
幼童にも朗読しやすいよう経伝などのなか から格言を取り入れ、五言絶句 48連の体裁をとります。

人間の本質なり価値を「智」におき、その無限的価値を強調し、「智」の体得のためには幼童からの読書勉励と、道徳的実践とが必要であることを力説しています。

日本人の識字率は、平安末期から明治初期まで世界に誇れる高さがあるという一つの証左が「実語教」の存在です。

実語教 江戸期

漢文(白文)並びに読み下し文

 

倉内財有朽 身内才無朽
倉の内の財(ざい)は朽つること有り。身の内の才(ざい)は朽つること無し。

雖積千両金 不如一日学
千両の金(こがね)を積むと雖も、一日(いちにち)の学には如(し)かず。

兄弟常不合 慈悲為兄弟
兄弟(けいてい)、常に合はず。慈悲を兄弟とす。

財物永不存 才智為財物
財物(ざいもつ)、永く存せず。才智を財物とす。

四大日々衰 心神夜々暗
四大(しだい)、日々に衰へ、心神(しんしん)、夜々(やや)に暗し。

幼時不勤学 老後雖恨悔
幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老ひて後、恨み悔ゆると雖も、

尚無有所益 故読書勿倦
尚(なを)所益(しよゑき)有ること無し。故(かるがゆへ)に書を読んで倦むこと勿(なか)れ。

<現代文>

倉の内に入れている財(財産)は、その家(家運、家業)の衰ふるによりて朽ち果ることがある。
身の内にあるところの才(才覚、才能)はいかほど使っても朽ることがない。

千両の金を積むといえども、一日の学問の方が価値が高い。
(財貨には価値がないというのではないが、それに執着して心の迷いを持つよりも、日々学問に専心すべきである)

兄弟は(共に父母より分かれたものであるが、しかしながら、)その志が何時でも同じく行われるものではない。
一切のものを愛する慈悲の心となれば、すべての人に対しての交はりは兄弟と同じである。

財物は永い間存することはない(いつの間にか消失してしまう)。
才智こそ(いつまでも消失することがないから)財物とすべきである。

四大(*)は日日に衰へていく(遂に分散すれば死に至る)。
(四大*とは、宇宙の根本の元素である地・水・火・風の四つを指す。この元素が集まって人の身を成す)
人の身が日日に衰えるに従って根気も疲れ、心神(魂)も次第に暗くなるものである。

されば、幼いときに学問しなければ、年老いて後に恨みや悔いても所益(幸福に繋がる利益)あることなし、というのである。

それ故に、書を読み学問するときには殊に励みて怠ること勿(な)かれ、と。

posted by at 14:57  | 塾長ブログ

実語教 その一

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室で9月25日親子セミナーでご紹介しました「実語教」。
なかなか素晴らしい教訓に満ちています。
「童子教」とともに童蒙(*)学習書の筆頭に挙げられ、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書です。江戸期には寺子屋などで修身並びに習字の教本として用いられています。

(*童蒙=幼くて道理の分からないこと。また、其の者や其の様。)

「実語教」は日本人の幼児教育の根本をなすものと思いますので、其の全文を回数を分けてご紹介いたします。

    実語教教本

 

実語教 白文

漢文(白文)や読み下し文は本来縦書きですが、ブログの書式上致し方なく横書きでご紹介いたします。
其の次に現代語訳を記します。

山高故不貴 以有樹為貴
  山高きが故に貴(たつと)からず。樹(き)有るを以て貴しとす。

 人肥故不貴 以有智為貴
  人肥へたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。

 富是一生財 身滅即共滅
  富は是(これ)一生の財(ざい)。身滅すれば即ち共に滅す。

 智是万代財 命終即随行
  智は是万代(ばんだい)の財(たから)。命(いのち)終れば即ち随つて行く。

 玉不磨無光 無光為石瓦
  玉磨かざれば光無し。光無きをば石瓦(いしかわら)とす。

 人不学無智 無智為愚人
  人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。

現代文

山はどれほど高くても、高いのみで貴しとすべきではない。山には様々な樹がある故に貴いのである。

同様に、人もただ肥えたるのみでは貴しとすべきではない。智恵があればこそ貴いのである。

金銀や財産に富んで居るからといつても、それは人人がこの世にある間だけの財である。
命が終れば皆これを捨てて行かねばならぬのであるから、身滅すれば即ち共に滅すというのである。

智、即ち物の道理を知り、正しい判断を下す能力は、万代、即ち永久の宝である。
これは人の命が尽きても、その身に随って行くものである。

玉(宝玉、宝石など)も磨かねば光がない。
光がなければ玉も石や瓦に等しいのである。
(玉は本来石の内にあるもので、石を割りみがきて玉となるのである。)

人も生れながらにして智慧があるわけではない。学問して始めて智恵が出来るのである。
学問をしない人は愚人にして石や瓦に等しいものである。

posted by at 17:15  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 その3

民進党の代表 蓮舫氏の二重国籍問題で話題の所謂「台湾(臺灣)」(現状の正式国名は中華民國)。
学校では政治が絡む時事的なニュースを取り上げることはなかなかありませんが、将来の日本を担う子供達にとっては、ニュースなどで疑問に感じることは、家庭でしっかり応えて頂きたいものです。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、質問があれば、考える糸口を伝え、自ら解決できるよう導きます。

さて、教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 の戦後における活躍について、前提として台湾をめぐる歴史に触れつつ、ご紹介いたします。

明治二十七乃至八年戦役(日清戦争の正式名称※)(明治27年(1894)7月から明治28年(1895)3月)後、日清講和条約が締結され、日本領となり台湾には台湾総督府が置かれていました。

※戦争の正式名称・・・戦争名称は閣議で決められるものです。
日露戦争は「明治三十七乃至八年戦役」、第一次世界大戦は「大正三、四、五、六乃至七年戦役」、
太平洋戦争(国際法ではEast Asia war)は「大東亜戦争」といいます。
(戦後の教科書では、日本国の定めた正式の名称を使うことがありません。)

昭和20年(1945)日本の終戦に伴い、当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入ります。
中国大陸では、蒋介石率いる南京国民政府と毛沢東率いる中国共産党軍との間で昭和21年(1946)には国共内戦が勃発。
ソビエト連邦からの大規模な軍事援助を受けた中国共産党軍が反攻に転じ、南京国民政府軍は各地で大規模な敗北を喫します。
敗勢を挽回できない南京国民政府が崩壊すると、蒋介石を中心とする国民党勢力の一部は、アメリカの援助を受けつつ、拠点を広州、重慶、成都を経て台湾島に移しました。

中国共産党軍は、台湾島を奪取する為、福建省沿岸に位置する金門島を巡り戦いを挑みます。
それを阻止せんとする蒋介石率いる国民党軍の劣勢を挽回する為に、根本博中将が身を賭して日本から台湾に密航をするという壮大なドラマが今回のお話です。

台湾金門島

金門島詳細

「戦神(いくさがみ)」と呼ばれた男

(さらに…)

posted by at 19:50  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 その2

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室の子供達の中に、年相応の知識量や理解力以上の力を示す例があります。
共通することは、
目を見て話を聞いていること。
応答する際に「はい、いいえ」が言えること。

これは、普段のお母さんや家族との会話の影響が大きいと思います。
つまり、相手の話を聞き、何を問われているかを理解し、それに対する自らの答えを自分なりに伝えること、の訓練を日々しているか、です。
ある意味、お母さんと「大人の会話」をしているかのような遣り取りをすることです。
幼いからといって、幼児語を用いるのではなく、一個の男子、女子と会話するようにすることが肝要です。
つまり、幼くとも所謂「子供扱い」をするのではなく、イメージとしては成人した立派な男子、女子として是々非々で接する。すぐにはできなくとも、繰り返すことでどんどん成長していきます。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

***************************

「支那には四億の民が待つ(馬賊の歌の一節)」と、戦前の日本人は支那の奥地や満州にも雄飛していました。
これは、日本人に限らず、欧米人やロシア人も同様です。自国民やその権益を守る為、各国の軍隊は国際法規や条約に則って利害のある地域に駐屯していました。

蒙古聯合自治政府内の張家口は北京の北西約300キロにありますが、張家口の引揚者たちがつくる「日本張家口の会」は、戦後六十周年の引き上げを記念して2005年に『内蒙古からの脱出』を編集。

「この命、義に捧ぐ」-台湾を救った陸軍中將根本博の奇跡 (門田隆将著 集英社)からの引用です。

陸軍中将 根本博

 

 つながれた命
 
 幼児を二人連れて、内地まで引き上げてきた当時二十五歳の早坂さよ子は、こんな体験談を載せている(一部抜粋)。

<張家口はソ連邦が近いのでソ連兵が迫って来るという話にも戦々恐々といたしました。五歳の女子と生後十ヶ月の乳飲み子を連れてとにかく、何とか日本に帰らねばと思いました。そのとき私は二十五歳でした。
五歳の女の子も何か特別のことが起こっていると解るらしく、しゃんとして自分の衣類の入ったリュックを背負い、子供用の布の袋をしっかり持ってくれました。

 駅へ着きますと貨物用の無蓋車が何両も連なって待っており、集まった居留民は皆それに乗り込みました。
張家口から天津迄、普通でしたら列車で七時間位の距離だったと思いますが、それから三日間かかってやっと天津に着くことが出来ました。
 途中、線路は何カ所も壊されていて少し走ると、すぐ止まり、線路の状態を修繕しながら進むのです。途中、列車が止まると近くの農民たちがいろいろと食料品を、持って売りに来てくれました。男性社員の方が会社の金庫から有りったけのお金を全部出して持ってきてくれましたので、食料品等を買い、皆で何とかお腹を満たしました。
 列車は「萬里の長城」にそって走るので、長城の上の要所要所に日本の兵隊さんがまだ警備に着いていて、皆で手を振りました。そして兵隊さん達よ、無事、日本に帰ってと祈りました。
 夏とはいえ無蓋車の夜は寒く、五歳の女の子は下痢をおこして、列車が止まると用をたしに何度も何度も線路へおりました。親子共に、辛いつらい思いを致しました。

 (北海道の)実家へ、やっとやっとたどり着きましたときには両親の顔を見るなり、今迄こらえていた涙が一辺に、どっと溢れて、大声でうわぁうわぁと泣きに泣きました。
 五歳の娘惠は翌日からストーブの前に座ったきり一切口をきかず、食事も何も食べようと致しません。
父が「惠ちゃん、何か食べたい物はないか・・・」と聞きますと小さな声で「お餅のつけ焼き」が食べたいというのです。
 父母達は敗戦の中、配給の、わずかな食糧で暮らしている時ですのに近所の農家の人から、何とか少しばかりの餅米を調達して来てくれて、土蔵から臼と杵を出して来てお餅をつき、孫娘のためにお醤油をつけたお餅のつけ焼きを作ってくれました。親達のありがたさをしみじみ感じました。娘の惠は毎日毎日三度三度そのお餅だけを食べ、次第に元気を取り戻して参りました。>

 兵士達の尊い命と引き換えに幼い命はこうしてつながった。

張家口関係図

昭和20年8月9日から始まったソ連との戦争。日ソ不可侵条約を一方的に破り、怒濤のように攻め込むソ連軍は、満州では蛮行の限りを尽くしていました。満州を守っていた頼みの関東軍は、ソ連の宣戦布告からわずか三日で「総退却」の事態に陥っていました。
日本陸軍北支那方面軍司令官・根本博中將は、専門の支那情報だけでなく、ロシア情報にも通じ、ソ連軍の本質や危険性を知悉(ちしつ)していました。
だからこそ、内蒙古の在留邦人四万人の命を助ける為に敢然と武装解除を拒絶し、ソ連軍と激戦を展開、そしてその後、支那派遣軍の将兵や在留邦人を内地に帰国させる為に奮闘努力したのです。

根本 博とは  (さらに…)

posted by at 18:13  | 塾長ブログ

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