古典や漢文を学ぶには、幼少期から素読、音読に慣れることが肝要です。
(因みに、英語などの外国語習得にも音読は必須です)
現在ある児童書はひらがなが多用され漢字や漢字熟語がとても少ないのが実情です。
ひらがなの文章が連続していると、語句や文節の区切りが不明瞭になります。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室は、文字の読み書きに音読は必須です。
更に、漢字や漢字熟語は所謂「交ぜ書き」をすると、字義の理解が進まないので、習っていない場合は辞書で確認します。
日本人は江戸期に識字率世界一であったと言われるほど優秀な民族ですから、先人同様に漢字習得の必要性は今後も変わることはありません
さて、江戸期に庶民教育に寄与した心学者、布施松翁の歌のご紹介です。
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「情けは人の為ならず」
この言葉もよく聞かされた言葉です。
後に古典文法を学んだ時に初めてその意味が分かりましたが、幼少時には分かったような分からないような意味合いでした。
子供心に、人に情けをかけることは良いはずなのに、「人の為ならず」とは?と思っていました。
「人の為なり」(断定)・・・「人の為である」の意味の全体を打消しの「ず」で否定している。
つまり、
「人の為である」プラス「ということではない」=「人の為ばかりではない」(ひいては自らの為にもなる)
「人に情けを掛けるのは、その人の為になるばかりでなく、やがては巡り巡って自らに返ってくる。」
日本語の表現は深い意味合いがあります。
「堪忍は 必ず人の ためならず つまるところは 己が身のため」
「堪忍することは、人の為だけにするのではない。結局は、自分の身のためになるのである。」
布施松翁(ふせ しょうおう)の歌。
江戸時代中期(享保~天明)の心学者。
名は矩道,通称は松葉屋伊右衛門。京都の呉服商の子に生れ,京都松原辺に住み,石田梅巌の心学を手島堵庵,富岡以直らに学んだ、とされる。『松翁道話』(話集.のちの人が聞き書きをまとめたもの)
人から我慢ならない仕打ちをされたときには、怒りや憎しみが湧いてくる。
敢えてそれを抑えても、相手を許し受け入れる。
そのような寛容な気持ち、即ち「堪忍」は相手の為ばかりでなく、結局は自分を成長させることに繋がる。
辛さ悔しさを乗り越えれば、相手の思いに至ることができ、自分が受けたものと同じ苦しさを他の人に与えてはならないという思いを持つことができるようになる。
「情けは人の為ならず」と同じように、「堪忍」は自分の為にするものである。ということです。
『松翁道話』とは
『松翁道話』とは、石門心学者である布施松翁から聞いて学んだことをのちの人がまとめた道話集です。
その内容は、
布施松翁の周辺の人々の話を例に取り、生きていく上での心掛けを語った道徳に纏わる話です。子供にもわかるような面白い事例を引いて綴られていて、現代にも通じる人の道を説いています。
布施松翁は、心学開祖の石田梅岩(いしだ ばいがん)の弟子、手島堵庵(てしま とあん)から石門心学を学びました。
石門心学の教えは、正直、倹約、堪忍など現代の日本人が学ぶべき生き方が多く盛り込まれています。
「今日言いたいことを明日まで堪忍し、酒を飲んだり、肴を食うたりするも、少しずつ堪忍し、良い着物を着たいというのも、今日一日の堪忍と思って先に伸ばすのが、己に勝つということである。」
と、堪忍の美徳について述べています。
「堪忍は 必ず人の ためならず つまるところは 己が身のため」