長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。
さて、
「言葉は気品の泉源なり」というコラムが「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。
「言葉は気品の泉源なり」
「言葉が変われば人生が変わる たった一言で一目おかれる魔法の言葉とは」
(前略)
言葉遣いは、使い手の品格を決定付ける重要な要素であることに疑問を挟む人はいないだろう。先に箸の上げ下げについて述べたが、それと同様、たかが言葉されど言葉、言葉を変えるだけで人生が変わるなら、美しい日本語を取得しない手はない。
階級社会の英国では、 (中略)
いくら外見を上品に装っても、言葉を変えない限り、簡単に見破られてしまう。外見を装うのは比較的簡単なことだが、言葉を変えるのは、よほど努力しないといけない。
しかし、幸い日本は英国のような階級社会ではないため、アクセント一つで先祖代々の職業を判断されることはない。日本はだいぶおおらかである。誰もが一目を置くような「美しい日本語」を話せるのは、皇族などに限られるわけではない。日本語の正しい知識を持ち、少々訓練をすれば、誰でも「美しい日本語」の使い手になれるのである。
・・・確かに、公共の場や公共交通機関を利用していると、「ヤバイ! ヤバくない!まじぃ、信じられない」などという言葉を頻繁に耳にします。
その場にいても、そのような言葉遣いをする人の顔をふと見てしまうぐらい、別世界の言葉であるように思えます。
「言葉は世につれて」変化するものですが、本来の言葉の意味合いとは違う意味で用いられると、さすがに違和感があり、そのような言葉遣いをする人達の家族の背景はどのようなものだろうかと、要らぬ世話ですが考えてしまいます。
子供さんでも正しい言葉遣いをしていると、その育ちの良さを感じます。
日本人は、代々家族の良き有り様を繋いできた民族です。「品」の良し悪しは、誰しもその社会的な地位に限らず、大事にしてきた根本であると考えます。