長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、塾生の関心や理解度に応じて、年齢如何に関わらず様々な問いかけをしています。その応えにはそれぞれ個性が表れていて、思わず笑みが零れることも多々有ります。幼くても論理的な話をする塾生には驚きとともに、可能性の高さを感じます。
さて、以下の記事が目に付き、やっとそういうご時世になって来たのかなと興味深く思いましたので、サイエンスライターの竹内薫氏のブログから引用してご紹介します。
早大の政経学部入試で「数学」必須へ。加速する世界の「数学化」https://www.mag2.com/p/news/363603?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000125_tue&utm_campaign=mag_9999_0710&l=yxt059d94b
私立大学の最難関・早稲田大学政治経済学部の入試で、数学が必須化されることが大きな話題となっています。「文系の雄」ともいわれる同学部入試に数学を課す意味はどこにあるのでしょうか。(中略)
VISION:なぜ早大は政経学部の入試で「数学」を必須にするのか?
ここのところ、2020年度からの大学入試「改革」に関するニュースが目白押しだ。いったいなぜ、大学入試改革は進められているのか? 早稲田大学の政経学部といえば、日本社会に有能な人材を輩出し続けてきた「文系」の名門だが、なぜこのタイミングで数学を必須にしたのだろう?
答えは明白だ。「そうしないと世界との競争に負けてしまうから」である。改革の旗振り役の文科省だけでなく、各大学とも、実は背水の陣で戦いに臨んでいるのだ。
その戦いの場は、もちろん、急激に進行しつつある第四次産業革命である。イギリスでは2014年にプログラミングの義務教育化(5歳~16歳)が断行された。アメリカのGoogleはたった一社で、世界の人工知能(AI)研究者・開発者の約1割を雇用していると言われる。仮想通貨が「億り人」と呼ばれる億万長者を生み、世界中の中央銀行に戦いを挑んでいる。
AIも仮想通貨も、すべてはプログラミングの世界の出来事だ。そして、そのプログラミングを根底で支えているのは、当然のことながら「数学」なのである。
つまり、早稲田大学の政経学部が入試で数学を必須にした背景には、「これからの世界では、プログラミングと数学の技能に秀でていない限り、社会の舵取りなど不可能だ」という、第四次産業革命の厳しい宿命があるわけだ。
早稲田大学の政経学部が社会に送り出すべきは、革命期の世界において、日本の舵取りをする優秀な人材であろう。人間の仕事の半分をAIが代替するような世界において、国や企業が進路を誤らないためには、ワードやエクセルが使える程度のコンピュータ・リテラシーでは全然足りない。AIを怖がらず、自らの「外部脳」として使いこなせるだけの能力が必須なのだ。
このような観点からは、須賀晃一学部長の「基礎的な力と同時に、論理的思考力を身につけた学生に来てもらいたい」という発言は少々気になるところだ。いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。
真の論理力は、プログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。
第一次産業革命後、第二次・第三次産業革命で世界の後塵を拝し、「英国病」などと揶揄されたイギリスで、すでに始まっているプログラミングの義務教育が何を意味するのか、あるいはアメリカのMITが開発した幼児用のプログラミング言語スクラッチジュニアがどう世界を変えるのか。大きく出遅れてしまった日本は、これから必死で巻き返しを図らない限り、世界の二流国への転落は必至だ。
もう一つ心配なのは、
『共通テストの外国語、国語、「数学1・数学A」を必須とし、さらに地理歴史、公民、理科、「数学2・数学B」の中から一つを選ぶ。このほか、英語民間試験と学部独自に行う日本語や英語の長文読解で受験生を選抜する。』
という選抜方法だ。これらの技能は、150年前の明治維新において、プロシアから輸入した「暗記型スキル」の試験であり、残念ながらAIが最も得意とする分野なのである。
世界の一流大学では、もはや、このような旧態依然とした選抜体制は取っていない。たしかにペーパーテストはあるが、アドミッション・オフィスは、自分の大学の卒業生たちの助けを借りて、探究心のある自律型の学生を徹底的に面接し、「創造的で多様な人材」を確保することに力を注いでいる。ペーパーテストだけでは、「暗記力に頼る均一な人材」を優先的に選抜することになってしまい、AI時代にそぐわないからだ。
少々、辛口に過ぎたかもしれないが、今回の入試改革は、「初めの一歩」だと考えれば、政経学部で数学を必須にしたこと自体は、大いに評価できる。実際、最新の経済学の教科書には、これまで物理学科でしか教わることのなかった「ラグランジアン」という関数が登場している御時世なのだ(ラグランジアンは経済学では、費用を意味する)。
もはや、文系・理系という区分は無意味だ。世界はひたすら数学化(情報科、プログラミング化)されてゆく。誰もこの怒濤の流れから逃れることはできない。
「いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。
真の論理力は、プログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。」
・・・なんと明確な指摘でしょうか。巷では、『論理的思考力』は logical thinking(ロジカル シンキング)の訳語として様々取り上げられる言葉です。曰く、「論理に基づいて思考する能力(の高さ)という意味で用いられる表現。道理や筋道に則って思考を巡らせて結論を導いたり、あるいは複雑な事柄を分かりやすく説明できる能力」として主に捉えられています。
この力は、一朝一夕に身につくものでは有りません。幼いときから、親や周りの大人達との日々の生活の会話の中で、自然と身につけていくものです。当然、親は意識してそのような環境を作るべく腐心する必要があります。