子供さんが自ら進んで学ぶようになれば、親御さんはその後の成長を見守る楽しみがあります。逆に、常に勉強、勉強と尻を叩かないといけない場合は、これが親子双方にとって不幸の始まりとなりかねません。難関大学などに合格はしてみたものの、所謂「燃え尽き症候群」となって、中途退学したり引きこもりになったりする例も有ります。
そうならない為に、幼児期に基本的な方針を確立しておかなければなりません。
石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 『漢字を教えない』のが漢字教育の基本」に、「教えてはダメ、母親を真似ながら子どもは言葉を覚える」という項目があります。引用してご紹介します。
教えてはダメ、母親を真似ながら子どもは言葉を覚える
論語は、まず「学」という字から始まります。
「子曰く、学びて時にこれを習う、また喜ばしからずや」です。学ぶと は真似ぶ、つまり真似ることです。しかし、真似をするだけではすぐに できるようにはなりません。そのためには同じことを100回、200回と繰り 返さなければいけません。
「習」という字は、鳥が“羽”を“百回”も羽ばたくという意味です。卵か ら孵った雛は、親のすることを真似します。つまり「学」です。しかし一回 や二回やったからといって、飛べるようにはなりません。100回も200回 も繰り返してやらなければ、つまり「習」がなければ飛べるようにはなり ません。
昔の人は「読書百遍」といいましたが、この百というのは、教の多いこ とを表す言葉で、何度も繰り返し本を読みなさいという教えです。一回 や二回で中身がわかるということはありません。これが「習」という言葉 の持つ本当の意味なのです。
繰り返しやれば、今までできなかったことができるようになります。わ からなかったこともわかるようになります。だから楽しいのです。つまり 自分から学ぽうという意欲がなければ、「学習」とは言わないのです。この「学習」に似た言葉に「勉強」という言葉があります。「勉強」というのは、 「強」という文字が示しているように、努力してやることです。先生や親に やれと言われてやることが「勉強」です。「勉強」はあまり効果がありませ ん。
「学習」と「勉強」という意味を厳密に使い分けて欲しいものです。「勉 強」は自らやることだと思っているかも知れませんが、勉強というのは、 課せられた仕事、つまり責任を果たすために努力することです。本当 はやりたくなくてもそうせざるを得ない、それが勉強の本来の意味で す。
商売人が「勉強しておきます」というのも、とてもそんな値段では売れ ないけれども、我慢して、その値段で売りましょうということから“勉強”と いう言い方をするのです。
勉強は学習に比べて効果は少ないということを知ってください。学問 というものは自分から進んでやらなくては効果がうすいのです。
ポイント:私たちの胃袋は食べたものを消化、分解しますが、これは工場並の高度な 設備が必要なのです。でもそれを無造作にこなしているわけです。そして頭 の中はもっと複雑で高度なことをやってのけています。頭は単に言葉を記憶 しているだけでなく、消化して法則を作り出しているのです。そうでなければ、 幼児でもちゃんと五段活用ができることの説明がつきません。
・・・これから子育てをされるお母さん方は、ご自分の幼児期など子供時代から思春期までの親子の有り様を振り返ると、そこに様々な子育てのヒントがあります。
筆者の母は、若かりし頃読書家であったようで、そのせいもあって目を悪くしました。その為か、学習するときの照明や机の位置などを気をつけるように言われました。また、宿題などがわからないときは、「読書百遍、意自ずから通ず」と繰り返し、分かるまで教科書を読むようにと、常日頃言っていました。つまり、母が解き方を教えたり、ヒントを与えたりということは全くないのです。結局、分からずじまいの時には、「明日、学校の先生に尋ねなさい」で、おしまいです。
今振り返ってみると、自分で考える力を付けるには、親が手を出さないということです。解法を教えたりヒントを与えると、それが仇となり、自ら考えようとはしなくなります。そこが、「学習」と「勉強」の分かれ道になっていきます。