新帝陛下の御歌から

令和へ御代替りする十連休は、各地で様々な催しもあったようで、令和の明るい響きと共に、日本人の心を温かくしてくれたようです。

さて、新帝陛下の御即位を寿ぐ、「国際派日本人講座」(http://blog.jog-net.jp/201905/article_1.html)の記事が、素晴らしい視点から記されているので引用してご紹介します。

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し

■1.「殿下の高い評価は言わずもがな。日本人だけが知らないのでは」

 新帝陛下が即位された。国内外からの慶びの声が寄せられた令和の明るいスタートを寿(ことほ)ぎたい。ただ、我が国の多くのマスメディアは、皇太子殿下時代の御事績をほとんど報道してこなかったので、陛下がどんな方なのか、あまり知られていない。

 たとえば、人類の直面する最も深刻な課題は水問題だが、陛下は水問題に関する国際会議の名誉総裁を務められたり、数々の基調講演をされている事をどれだけの国民が知っているだろうか。

 世界水会議のロイック・フォーション会長は、「皇太子殿下のご存在は、水の分野におけるオム・デタ (Homme d’Etat) だ」と述べている。日本語に訳せば「元首」であろう。天皇が日本国民の統合の象徴であるように、陛下は水問題に取り組む人々の連帯の象徴となられている。

 日本のあるジャーナリストが、海外の水問題の専門家に「海外での殿下の評価はどうか」と質問したところ、「どうしてそんな質問をされるのか。それは愚問というものだ。殿下の高い評価は言わずもがな。日本人だけが知らないのでは」と、やり込められる場面があった。

 国民が新帝陛下のお人柄を知れば、陛下を国民統合の中心として力を合わせ、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という「令和」の理想の実現に向かう事ができる。そのための恰好の書籍が発行された。小柳左門(さもん)氏(公益社団法人・国民文化研究会参与)による『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』である。

■2.「我学問の道ははじまる」

 この本では陛下の22歳の頃からの歌会始めなどでの御歌、合計42首を紹介し、短歌の素人にもよく分かるように簡潔・懇切な解説が添えられている。たとえば、陛下が水問題に取り組まれるようになったきっかけは、次の御歌から窺える。

 道 平成十年(一九九八) 御年三十七歳
一本の杭(くい)に記されし道の名に我学問の道ははじまる

 この御歌について、小柳氏はこう解説されている。

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 皇太子殿下は、前記の『テムズとともに』のご著書の中で、初等科の低学年のときに赤坂御用地の散策中に「奥州街道」と書かれた標識を見つけ、鎌倉時代そこに街道が通っていたことを知って本当に興奮した、と記しておられます。
 そのころから「道」についてたいへんご興味を持つようになられ、母君と一緒に芭蕉の『奥の細道』を読破されたそうです。・・・
ご著書には「私にとつて、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていた」と述べておられます。
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 小学校低学年の頃の道へのご関心から、大学時代には水上交通のご研究に入られ、そこから水問題へと、陛下の学問は広がっていった。小柳氏は、陛下のご姿勢について、こう記されている。

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その感動や興味を持続し、これを核としてさらに広く深く求めようと努めておられる皇太子殿下の誠実な学問への姿勢に、あらためて尊敬の念を覚えます。

■3.「潮(しお)乗りこえし舟人偲ぶ」

 陛下は学習院大学文学部史学科在学中、中世瀬戸内海の水運の研究をされた。その一環であろう、広島県尾道から愛媛県今治あたりまで、瀬戸内海を堰き止めるように島々が連なる中の鼻栗(はなぐり)の瀬戸にお立ち寄り、次の御歌を詠まれた。

橋 昭和五十七年(一九八二)年、御年二十一歳
鼻栗の瀬戸にかかりし橋望み潮(しお)乗りこえし舟人(ふなびと)偲(しの)ぶ

__________
 鼻栗の瀬戸は、瀬戸内海の大三島と伯方島の間の約三百五十メートルの海峡で、潮の流れが速く瀬戸内海国立公園の白眉とも言われています。
現在でこそ、”瀬戸内しまなみ海道”唯一のアーチ橋である大三島橋が架かっていますが、激しい潮流が渦をまき、さらに進路が急カーブを描く瀬戸は、かつての船の航行にとつては最大の難所のひとつでした。ましてや奈良時代(八世紀)以前の昔から重要な航路であった瀬戸を、人力の舟で渡るのは至難の業であつたでしょう。・・・
 鼻栗の瀬戸はたんなる風光明媚の対象ではなく、長い歴史の間にはおそらく多くの舟人がこの瀬戸で遭難したことでしょう。今ではその上に立派な橋が架けられています。殿下はその幸を思いつつ、かつての人々の労苦を胸のうちに偲んでおられるのです。
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 鼻栗の瀬戸の潮流は約7ノットというから時速13キロほど。我々の歩行スピードの2、3倍である。そのスピードで進路が直角に曲がっている難所を「潮乗りこえし」と表現され、水運に携わった「かつての人々の労苦」を偲ばれているのである。

■4.「若人の影ゆれ映るテムズの水に」

 その後、陛下は昭和58(1983)年から60(1985)年にかけて、オックスフォード大学に留学して、テムズ川の水運史について研究された。その際のご経験を詠まれたのが、次の御歌である。

 水 昭和六十一年(一九八六) 御年二十五歳
オール手に艇(てい)競ひ行く若人の影ゆれ映るテムズの水に

__________
 殿下が留学された英国のオックスフォード大学のボート部は強豪として有名ですが、毎年春になると、同じく英国のケンブリッジ大学との定期戦がテムズ川で行なわれてにぎわうとのことです。・・・
 殿下は一九八四年(昭和五十九)の三月のレースを船上から観戦されましたが、「川岸は見物人で埋め尽くされ、三十分にも及ぶレースのあいだ、歓声は途切れることがなかった」と、その盛況ぶりを書いておられます。・・・
 若人たちがボートを競っていっせいにオールを漕いでぐんぐんと進んでいく。
 テムズ川の水面に、その影が映って揺れている。テムズ川は一世紀半の時を超えて、伝統の競技の影を映し続けてきた、そのことも偲ばれるようなお歌です。
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 静かな川面には滑るように進むボートの波紋が広がっていたであろう。その波紋の上に「若人の影ゆれ映るテムズの水に」と表現された。情景が鮮やかに浮かんでくる。水と人々の関わり合いの歴史の一コマである。

■5.「ヒマラヤの峰姿耀(かがよ)ふ」

 陛下は、昭和六十二(1987)年3月にネパール、ブータン、インドの各国を親善訪問された。その時にヒマラヤの峰をのぞむ湖畔の宿に泊まられ、その情景をこう詠まれた。

 晴 平成二年(一九九0) 御年二十九歳
朝もやの晴れ上がりゆく湖にヒマラヤの峰姿耀(かがよ)ふ

__________
 これから春を迎えようとして高原の宿はまだ寒い時期だったと思われますが、起床してのぞまれる湖に朝もやがかかり、陽が昇るとともに「もや」は晴れゆき、湖面に映るヒマラヤの峰がこまやかにきらめき揺れている。ヒマラヤには雪が降り積もり、その姿は雄大でさぞ美しかったことでしょう。
 あるがままに描写されていますが、その確かな表現によって情景が目に浮かぶようです。山を愛される殿下にとって、朝もやが晴れて山の峰にかかった雲もなく、素晴らしい朝を迎えることは大きなおよろこびであったにちがいありません。
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 この旅で回られたネパールでは、ヒマラヤの展望台として知られるサランコットの丘付近で多くの女性や子供たちが水瓶を持って行列をつくっている光景の写真を撮られた。この時の写真を示されながら、第一回アジア・太平洋水サミットの記念講演ではこう述べられた。

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「水くみをするのにいったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。女性や子どもが多いな。本当に大変だな」と素朴な感想を抱いたことを記憶しています。
 その後、開発途上国では多くの女性が水を得るための家事労働から解放されずに地位向上を阻まれており、子供が水くみに時間を取られて学校へ行けないという現実があることを知りました。また、地球温暖化問題の多くが、水循環への影響を通じて、生態系や人間社会に多大な影響を及ぼすことも知りました。
このようにして、私は、水が、従来自分が研究してきた水運だけでなく、水供給や洪水対策、更には環境、衛生、教育など様々な面で人間の社会と生活と密接につながっているのだという認識を持ち、関心を深めていったのです。
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 ヒマラヤの展望台で美しい景色を眺められながらも、女性や子供たちが水くみをする光景を見過ごさず、その苦労を偲ばれる。陛下の水問題へのご関心は、こうした人々の苦労を偲ばれる所から始まっていった。

■6.「まっすぐな祈り」

 陛下は平成5(1993)年に雅子様とご成婚になり、翌年11月に、初めてお二人でご一緒にサウジアラビアをご訪問された。その時に、おそろいで砂漠をお歩きになり、足下に咲く草花を見つけられた。その時の御歌が以下である。

生 平成二十一年(二〇〇九) 御年四十八歳
水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命たくましきかな

__________
 皇太子殿下は、ご研究を通して水の大切さを熟知しておられます。まったく水もないような砂漠の原に、小さな草花が咲いている。それは殿下にとって大きな驚きでした。どんな環境の中でも生きていこうとしている草花がある、そのたくましい生命の力に、感銘を受けられたのです。
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 この御歌が発表されたのが、サウジアラビアへの旅から15年も経った平成21(2009)年の歌会始であった。皇后陛下はその数年前からご体調不良が続き、この歌会始めも欠席されていた。そこで陛下はなぜ15年も前の御歌を発表されたのか。『皇太子殿下−−皇位継承者としてのご覚悟』(明成社)の著者の一人、鈴木由充氏はこう書いている。

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 それはサウジアラビアが妃殿下とともにご訪問になり、妃殿下とともにご覧になった国だったからという以外に私は答えを見つけることができない。そう考えると、このお歌も、どんな逆境にあっても必ず妃殿下のご回復を信じておられる、殿下のまっすぐな祈りが託されているように感じられ、新たな感動が湧いてきた。・・・
 とはいえ、殿下のお歌には、私的な感傷に浸るような響きは微塵もない。あくまでも、ご公務のひとコマを公人として切り出すことに徹しておられる。
 それは、テレビに映し出された皇太子殿下の、まっすぐに前を見つめ続けられる御眼のひたむきさそのままであった。

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■7.「人々の唱ふ復興の歌」

 平成25(2013)年6月、陛下はスペインを訪問された。その際に、コリオ・デル・リオ市のビセンテ・ネイラ小学校の玄関ホールに出迎えた人々が、東日本大震災からの復興を願ってつくられた日本の合唱曲「花は咲く」を歌って、殿下をお迎えした。

人 平成二十八年(二〇一六) 御年五十五歳
スペインの小さき町に響きたる人々の唱ふ復興の歌

__________
 異国の地で、震災にあつた自国の人々をなぐさめる歌を耳にされたということが、どれほどありがたいことか。殿下は深く感動されて、「花は咲く」を聞かれたことでしょう。そしてまた、このことを知った東北の人たちが、スペインの人々にどれほど感謝と親しみの心を感じたことでしょうか。
 震災からの復興を願うスペインの人々の歌声は、殿下のお歌を通して、きつと東北の人々の心にも届いたにちがいありません。
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 この年の歌会始には、皇后陛下も震災からの復興のお歌を詠まれた。

ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む

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 前年の平成二十七年(二〇一五)の十月、皇太子同妃両殿下は、福島県に二年ぶりに行啓され、東日本大震災からの復興の様子をご覧になりました。
 そのおりに、地域の復興と、社会への貢献のために創立された「ふたば未来学園高等学校」をご訪間になりました。その際に生徒たちと直接お会いになり、お話をされましたが、生徒の真摯なまなざしに感じて、このお歌をお詠みになったということです。
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■8.陛下の直向きな眼差し

 5月1日の即位後朝見の儀でお言葉を述べられた新帝陛下は、皇太子殿下の頃とは別人のような風格を感じさせた。「この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」と述べられた御覚悟が容貌にも現れたのだろう。

 しかし、そのまっすぐな眼差しは皇太子時代と変わりはなかった。その直向(ひたむ)きさは、ここにご紹介した御歌からも窺えるように、陛下の幼い頃からの生き方そのものだからだろう。

 令和の時代に我が国は安全保障、災害対策、少子高齢化など多くの課題に向き合っていかなければならないが、我々国民も陛下に習って、「真摯なまなざし」で力を合わせていくべきだ。それが「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という「令和」の理想を実現していく道である。

・・・含蓄のある素晴らしい記事です。

新帝陛下のご幼少の頃から、所謂「帝王学」としての学びは様々にあることと推察します。それに加えて、何よりも「初等科の低学年のときに赤坂御用地の散策中に『奥州街道』と書かれた標識を見つけ、鎌倉時代そこに街道が通っていたことを知って本当に興奮した」と仰られるように、感動する感性も学ぶ意欲に必須です。

翻って、一般の教育にも取り入れるべき学びは、短歌などの和歌です。このような新帝陛下のお歌を機縁に各ご家庭で、ご両親が易しく内容や成り立ちなどを子供さん達に説明してあげると良いのではないでしょうか。そして、季節に合わせ自然の情景などを、最初は拙くとも日々練習する機会を設けていくと、国語力も感性も弥増していくことでしょう。

 

posted by at 12:56  |  塾長ブログ, 国語力ブログ

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