幼児教育の要諦と常々考えているものが、「漢字教育」です。無論、小学校に上がってからの「漢字を書いて覚える」という暗記ではありません。何よりも「漢字の読み」ができることによって、語彙を増やすことが眼目です。
30年ほど前の書物ですが、「幼児はみんな天才」(石井勲著1988)に普遍的な意味合いを持つ提言がされていますので、引用してご紹介します。
幼児漢字教育の奨め ソニー名誉会長 井深大(注)
石井先生が始められた、早い時期から幼児に漢字を与へる教育といふものが、如何に大きな意義があるかを、私は高く評価して居ります。
これは、今日の教育に対する大きなチャレソヂです。従って、「幼児に漢字を!」と提唱された時は、世間から受入れられなかったと思はれます。それらの軋轢を戦ひ抜いて来られたのが石井先生だと思ひます。
石井理論は、まだ高く評価されてゐないかも知れませんが、次の世代においては非常に大きな意味を持つのではないかと、私は痛感して 居ります。
私はパターン学習を提唱してゐます。パターンとは、世間では模様・図案・図形といふ狭い意味でしか執へてゐませんが、パターン学習とは「一瞥(いちべつ)学習」といふことなのです。例へば、新聞を読む時、全文を読まなくても、一瞥するだけで一応理解できる、といふのがさうです。マサチューセッツ工科大学で、全世界の文章を取上げて、どの国の文章が一番機能的であるかを測定した科学的な実験があります。それでは、漢字かな混り文が世界で最も読み易い形態である、と発表されてゐます。それは、文章を一瞬のうちに読んで、意味内容を把握することが出来るからです。
一昨年、中国に参りました時、略字化反対の声を耳にしましたが、その反対の根拠は多く感情論から出発したものでした。それで私は、石井先生の理論を披露して、「子供は画数の少ない漢字が覚え易いと皆様は思ってゐるやうですが、画数の少ない漢字は認識しにくく、画数の多い漢字ほど理解し易いものです」と教へてやりました。
漢字は画数が多ければ、子供は絶対に間違へないものです。コンピューターを使ふ場合でも、画数の多い漢字については間違ひが非常 に少ないのです。
初めは、表音文字の方が便利さでもコストの点でも有 利だと考へられてゐましたが、集積回路が出来まして、この数年間、年 ごとに集積度が高まり、漢字の画数の多いことの難点は全く解決してしまひました。従って、日本のコンピューターは、どこの国よりも大きな進 歩を見せ、ワープロも漢字で完全に処理できるやうになりました。
パターン学習と言へば、父母が毎日仏壇に手を合せてゐますと、幼 児も自然と手を合せるやうになりますが、これもパターン学習の一つでありまして、かうして子供に信仰心を植ゑつけることも大切な事だと思 ひます。
今日の教育においては、「心」であるとか「立派な人間」を作り出すやうな題目が、一つも設けられてゐません。明治以前は、儒教が中心となり、学問することは「人の道」を究めることと結び着いてゐました。明治以降、西欧の物質文明に魅せられ、「心を 養 ふ」とか「人間を作る」といふ根源的な問題を忘れて、物質文明を追及するやうになりました。その結果、今や日本は世界の富の 10 パーセント以上を占めるまでになりましたが、未だに「物(富)」だけを追求する教育が行はれてゐます。
私は、今は「人間を作る」ことが教育の主な問題点でなければならな い、と考へて居ります。そのためには、「零歳からのパターン教育」から出発しなければならない、と考へるものであります。
パターンは、「一瞥して解る」所に大きな特徴があるのであり、この「一瞥して解る」才能や感覚を養ふことは非常に大切な事である、と私は思ひます。
無批判に物事を受容れることは、理性が発達すると難しくなります。今の教育は、「丸暗記」と「理解して覚える」ことの両者を混同し、暗記させる時期に暗記させず、理窟ばかりを発達させ、そのため大切な事柄を暗記する機会を失ってゐる所に問題があります。石井式漢字教育は、 今の日本の教育を救ふものの一つであると確信して居ります。
注)井深大 (いぶか-まさる)明治41年4月11日生まれ(1908-1997) 昭和-平成時代の経営者。
昭和21年盛田昭夫と東京通信工業を設立し,25年社長。国産初のテープレコーダー,トランジスターラジオなどを商標「SONY」で輸出。33年社名をソニーに改称。独創的な技術開発を主導し,営業担当の盛田とのコンビで同社を「世界のソニー」にそだてた。46年会長。幼児開発協会理事長などもつとめた。平成4年文化勲章。平成9年12月19日死去。89歳。栃木県出身。早大卒。(出典 日本人名大辞典))
・・・パターン学習とは「一瞥(いちべつ)学習」、仏壇に手を合わせることもパターン学習、などわかりやすい表現で井深大さんは説明されています。
更に、幼児期に「一瞥して解る」才能や感覚を養ふことは非常に大切なことであると述べられます。
上記の著書が世に出てから三十年以上経ちますが、幼児教育や小学校教育が良い意味で進化しているのだろうかと疑問に思います。日本の多くの先人たちが残してきた教育の素晴らしさを継承していくことも大切です。
小学校三年生前後から理屈を言うようになってくると、暗記することに抵抗を示す子供さんが出てきます。何事にも素直に取り組むことができる年齢の内に、必要なことは暗記できる力をつけておくべきです。
三十年前に井深大氏が、「今の教育は、『丸暗記』と『理解して覚える』ことの両者を混同し、暗記させる時期に暗記させず、理窟ばかりを発達させ、そのため大切な事柄を暗記する機会を失ってゐる所に問題があります。」と懸念されている状況は、残念ながら現在も変っていません。