子供さんの教育に関心のない親はいません。しかし、濃淡は有ります。何故なら、ご自分の受けた教育にその方の親がどのように関わったかによっても異なるからです。
管見では、就学前(生後から六歳位)まで、小学校三年生まで、小学校六年生まで、と学びの時期を区分けして考えると、為すべきことが見えてきます。
率直な言い方をすると、教育にかける時間とお金は限られています。有効活用をするには、選択と集中が必要です。
さて、教育の要諦の要はお母さんです。産みの親、育ての親であるお母さんが心穏やかに過ごすことが出来れば、子供さんの教育は安心です。
さて、筆者が毎日楽しみにしているのが、産経新聞朝刊に掲載されている「朝晴れエッセー」。引用してご紹介するのは、令和元年六月十四日「黄昏泣き」です。
黄昏泣き
赤ちゃんは、泣くのが仕事、というのは赤ちゃんを育てている母親の心と体が健全な時に理解できることなのだと思う。
二十六歳の時の私は、初めての子育てにオロオロし、長女の、毎晩の夜泣きにクタクタになっていた。加えて長女は夕方になるとぐずり出し、やがてぎゃんぎゃん泣きになり、おしめを替えてもミルクを飲ませようとしても泣き止まず、こちらの神経も、おかしくなりそうだった。
その日の夕方も、家事をあきらめ、泣きじゃくる長女を抱いて外へ出た。団地の前の空き地にはハルジオン、ヒメジョオン、タンポポの綿毛が揺れていた。通りかかった女の人が、「お散歩?」と聞いてきたので、「毎日、夕方になると、この子が泣くんです」と答えると、「あら、この赤ちゃん、黄昏泣きしやはるの」とだけ言って遠ざかっていった。
黄昏泣き、黄昏泣き・・・。
そんな言葉があるんだ。そんな言葉があるくらいなら、夕方に泣く赤ちゃんは、ほかにもたくさんいるかもしれない。黄昏泣き、なんて綺麗で優しい響きなのだろう。ふと気づくと長女はいつの間にか泣き止んで、風に舞う、タンポポの綿毛を目で追っていた。見知らぬ、さっきの人は、京都の人なのか、はんなりとしたイントネーションだった。
夕焼けの淡い色と水色が混じる夕暮れ、ハルジオン、ヒメジョオン、タンポポの中で、私は、いつまでもその言葉を噛み締めていた。
・・・筆者の亡き母も、「夕方になると子供も大人も、夕焼けを見ると物悲しくなるものね〜」とよく言っていました。黄昏泣き、良い言葉です。