平安末期から明治初期まで広く用いられた初歩教科書ともいえる実語教。
幼童にも朗読しやすいよう経伝などのなか から格言を取り入れ、五言絶句 48連の体裁をとります。
人間の本質なり価値を「智」におき、その無限的価値を強調し、「智」の体得のためには幼童からの読書勉励と、道徳的実践とが必要であることを力説しています。
日本人の識字率は、平安末期から明治初期まで世界に誇れる高さがあるという一つの証左が「実語教」の存在です。
倉内財有朽 身内才無朽
倉の内の財(ざい)は朽つること有り。身の内の才(ざい)は朽つること無し。
雖積千両金 不如一日学
千両の金(こがね)を積むと雖も、一日(いちにち)の学には如(し)かず。
兄弟常不合 慈悲為兄弟
兄弟(けいてい)、常に合はず。慈悲を兄弟とす。
財物永不存 才智為財物
財物(ざいもつ)、永く存せず。才智を財物とす。
四大日々衰 心神夜々暗
四大(しだい)、日々に衰へ、心神(しんしん)、夜々(やや)に暗し。
幼時不勤学 老後雖恨悔
幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老ひて後、恨み悔ゆると雖も、
尚無有所益 故読書勿倦
尚(なを)所益(しよゑき)有ること無し。故(かるがゆへ)に書を読んで倦むこと勿(なか)れ。
<現代文>
倉の内に入れている財(財産)は、その家(家運、家業)の衰ふるによりて朽ち果ることがある。
身の内にあるところの才(才覚、才能)はいかほど使っても朽ることがない。
千両の金を積むといえども、一日の学問の方が価値が高い。
(財貨には価値がないというのではないが、それに執着して心の迷いを持つよりも、日々学問に専心すべきである)
兄弟は(共に父母より分かれたものであるが、しかしながら、)その志が何時でも同じく行われるものではない。
一切のものを愛する慈悲の心となれば、すべての人に対しての交はりは兄弟と同じである。
財物は永い間存することはない(いつの間にか消失してしまう)。
才智こそ(いつまでも消失することがないから)財物とすべきである。
四大(*)は日日に衰へていく(遂に分散すれば死に至る)。
(四大*とは、宇宙の根本の元素である地・水・火・風の四つを指す。この元素が集まって人の身を成す)
人の身が日日に衰えるに従って根気も疲れ、心神(魂)も次第に暗くなるものである。
されば、幼いときに学問しなければ、年老いて後に恨みや悔いても所益(幸福に繋がる利益)あることなし、というのである。
それ故に、書を読み学問するときには殊に励みて怠ること勿(な)かれ、と。