国語力の必要性は、口を酸っぱくしても言い続けなければなりません。読めども読めず、言えども言えず、という子供さんを、無くすことが教育の基本です。詰まり、説明してごらん、と言うと言葉が出てこない様では、しっかり教育できていないことになります。
読んでいる文言の意味を本当に理解していると、自分なりの言葉で説明できるものです。話していても、その意味合いを理解していないと、別の言葉で置き換えることは出来ません。
大人の世界でも、伝えるべきことを人に理解して貰うには様々な工夫が入ります。これは、一朝一夕に身に付けることは出来ませんから、幼い頃から様々な言い回しを親や身近な人の言葉を聞き習わして覚えていくものです。
さて、当ブログで再々「素読」の効用を説いていますが、「国際派日本人養成講座」の伊勢雅臣氏が「脳科学が示す素読の効用~なぜ子供は素読に夢中になるのか?」(http://blog.jog-net.jp/202008/article_2.html)を掲載されていますので、引用してご紹介します。
(前略)
■2.言語を扱う前頭前野は3歳までに急激に発達する
最近の脳科学では、この現象を解明する研究がなされつつあります。人間の脳で言語を扱う前頭前野は3歳までに急激に発達することが分かっています。そして、語彙力などを司る側頭葉や頭頂葉などの神経細胞は、その後も成長を続けます。したがって3,4歳で、たくさんの漢字を遊びながら覚えるのは、脳の発達過程にきわめて合致した方法なのです。
それに比べれば、6歳で小学校に入ってから、ようやく字を教え、それも抽象的で難しいひらがなから教えるというのは、子供の成長過程をまったく無視した教育方法です。「就学前に漢字など教えるのは不可能」「やさしいひらがなから教えるべき」「小学校時代にたくさんの漢字を詰め込むのはかわいそう」などというのは、非科学的な思い込みです。
近年の脳科学の急速な発達は、こうした現代の国語教育の思い込みが正しいのかどうか、科学的に明らかにしつつあります。その最前線を覗いてみましょう。
・・・筆者も常々考える、幼児教育と小学校教育の「断裂」が、表音文字の「平仮名」から始まる国語教育です。小学校1年生の全員が漢字など知らない筈だとの前提で、「平仮名」の読みと書きを一(いち)から始める「愚」です。
最悪なのは、「姓名」を漢字で書ける児童にまで、平仮名で名前を書くことを教師が強制することです。小学校の常用漢字に無い漢字を使わせたくない文部科学省の指示なのか、姓名を大切に扱うべきであるのに、正しい漢字を用いさせていない現実があります。これも誤った平等主義(漢字が読めない子供に合わせようとする)の一つと言えます。
■3.胎児乳児は母親の語りかけを音楽のように楽しむ
こどもの成長過程に沿って、脳の発達と言葉の習得の関係を見ていきましょう。
母親のお腹の中にいる胎児が、すでに母親の声を聞いていることは、科学的に証明されています。それによると、胎児は母親の次のような語り口に、快感反応を示すそうです。
1)高めの声に反応する。母親の声がより赤ちゃんに近づくせいだと考えられている。
2)声の抑揚が豊かで、音楽的な語り方。
3)同じことばのくりかえし。
4)やりとりの間が大切で、間が空きすぎたり、つまりすぎたりすると不快反応を示す。以上の反応は、生まれた後の乳児も同じです。声の抑揚、繰り返し、間というと、胎児乳児は母親の言葉を一種の音楽のように楽しんでいるようです。母親の語りかけや子守歌を楽しむことが言葉を学ぶ出発点です。そして、言葉は意味よりも、まず音楽としてリズムやテンポ、抑揚が大切なのです。
たとえば、おむつを取り替える際にも、無言でやってしまうのではなく、「さあ~、おむつを取り替えましたよ。気持ちよくなったでしょう」などと母親が愛情を込めて話す。そういう語りかけを乳幼児は聞いて、快感を覚えるのです。
そして、驚くべきことに、赤ちゃんでも母親の語りかけを真似しようとするらしいのです。考えて見れば、幼児が言葉を覚えるのも、たとえば母親が父親を「パパ」と呼んでいるのを真似する、という模倣プロセスから始まります。それと同じで、赤ちゃんも模倣を通じて、言葉を学んでいきます。
・・・母子は、誕生前も誕生後も、肌を離しても「不即不離(ふそくふり:二つのものの関係が深すぎもせず、離れ過ぎもせずという関係)」です。ある意味、全人格的なものまで子供に移し替えることが出来る関係です。それだけ、子供さんにとって、母親の存在は決定的に大きいものです。
■4.母親の読み聞かせで、子供の脳が活発に働く
語りかけと同様の効果をもたらすのが、読み聞かせです。母親、あるいは祖父母など、近しい大人が絵本などを子供に読んで聞かせる活動です。MRI(磁気共鳴画像診断装置)は、ドーナツの形をした大きな装置で、その穴に人の頭部を入れると、脳のどの部分が活性化しているのか、画像で見る事ができます。
母親が読み聞かせをしているビデオを見た子供の脳では、側頭葉と大脳辺縁系に活発な活動が観測されました。側頭葉は特に「聞く」ことに関係する部位です。また大脳辺縁系は感情や記憶に関わります。この事から、子供は読み聞かせを一生懸命に聞き、それを喜び、記憶しようとする事が判ります。
また読み聞かせをしている母親の脳も調べると、一人で音読をしている時よりも前頭葉の中心付近が強く活動している事が判っています。この部分は相手のことを考える機能を司っています。つまり、読み聞かせの最中は、母親は子供のことを思いやり、子供はそれに耳を傾け、喜び、記憶しようとしているのです。
読み聞かせの際に、子供の知らない言葉が出てきても、無理に教え込む必要はありません。言葉のリズムを繰り返し聞いて、楽しんでいるうちに、徐々に意味が分かってきます。それが子供が言葉を身につけるもっとも自然なプロセスです。
興味深いのは、読み聞かせと言っても、スマホの読み聞かせアプリや朗読CDなどでは、その効果は半減してしまう事です。あくまで親しい大人が、心をこめて読み聞かせることが大事だそうです。
また、乳幼児にテレビを見せることは、よくないようです。テレビ画面を見ている時には、前頭前野の血流がはっきり低下する事がしばしば起きます。映像は大きな情報量を一気に伝えるだけに、それに圧倒されて、前頭前野を使ってじっくり考える時間を奪われ、条件反射的、短絡的な反応だけ身についてしまう危険があると言われています。
生後から3歳にかけての乳幼児期に、脳は急速に発達しますが、言葉を身につけるのに最も大切なのは、親子のコミュニケーションなのです。そして、読み聞かせは親子の極めて良質なコミュニケーションであり、子供の心が安定し、親への信頼と愛着が増し、その結果、親の子育てストレスがぐっと軽くなる、と言われています。
・・・「スマホの読み聞かせアプリや朗読CD、乳幼児にテレビを見せること」などは、多くの家庭で普段にしていることでしょう。
しかし、これを毎日続けると、お母さん方の思いとは異なり、「条件反射的、短絡的な反応だけ身についてしまう危険」があり、思春期に所謂「切れやすい」少年・少女になる可能性すらあります。
我が国の古来営々と繋いできた「祖母から母へ、母から子へ」、という言わば「手作り」の子育てが一番理にかなっている証左です。