幼児教育・学習塾の羅針塾では、将来の教育の動向を占う意味で文部科学省のホーム・ページも参照しています。
その中で、「小学校における英語教育の目標と内容」(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1379940.htm)という記事が目につきました。
小学校段階の英語教育の目標については、
1. 小学校段階では、音声を柔軟に受け止めるのに適していることなどから、音声を中心とした英語のコミュニケーション活動や、ALT(外国語指導助手)を中心とした外国人との交流を通して、音声、会話表現、文法などのスキル面を中心に英語力の向上を図ることを重視する考え方(英語のスキルをより重視する考え方)
2. 小学校段階では、言語や文化に対する関心や意欲を高めるのに適していることなどから、英語を使った活動をすることを通じて、国語や我が国の文化を含め、言語や文化に対する理解を深めるとともに、ALTや留学生等の外国人との交流を通して、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、国際理解を深めることを重視する考え方(国際コミュニケーションをより重視する考え方)
が考えられる。
・・・とあります。そして、
外国語専門部会としては、こうしたことを総合的に勘案すると、中学校での英語教育を見通して、何のために英語を学ぶのかという動機付けを重視するとの観点や、言語やコミュニケーションに対する理解を深めることで国語力の育成にも寄与するとの観点から、2の考え方を基本とすることが適当であると考える。
そして、この場合においても、1の側面について、小学生の柔軟な適応力を生かして、英語の音声や基本的な表現に慣れ親しみ、聞く力を育てることなどは、教育内容として適当と考えられる。
・・・取り敢えず、「国語力の育成との関係」についても以下の様に述べてあります。
小学校段階において英語教育を実施することについては、国語力の育成との関係を懸念する指摘が見られる。
例えば、先述の英語教育意識調査によれば、小学校で必修とすることに消極的な回答をした教員や保護者の中で、「正しい日本語を身に付けることがおろそかになると思うから」と回答する者が約4割となっている。
教育課程部会においては、言語を習得するということは、その人の論理に関わる重要な問題であって、物事を考えるときには日本語を用いて考えるので、ヨーロッパの言語を取り入れて、思考能力は大丈夫か慎重に考える必要があるとの意見や、小学校教育では、日本語を正しく使える、自分の思いをきちんと相手に伝えることができることが重要であるとの意見があった。
・・・母語である日本語こそ先に充実させるべきであるとの懸念も取り上げてはいます。
外国語専門部会としては、小学校の英語教育を充実するに当たっては、次のような方向で検討することが適当であると考える。
- 広い意味でのコミュニケーション能力を育成するための教育の一環として位置付けることが必要である。言語は他者との対話の手段であり、グローバル化した現代社会においては、異文化と共生するための対話という視点を含めて考えることが重要である。こうした大きな枠組みの中で、国語教育と英語教育とを積極的に結び付けて教育内容等を検討していく必要がある。
- 日本語とは異なる英語という言語に触れることにより、言語の面白さや豊かさ等に気づかせたり、言語に対する関心を高めこれを尊重する態度を身に付けさせたりすることなどを通じて、国語力の向上にも相乗的に資するよう教育内容等を組み立てる必要がある。
- 母語は、対話の手段であるともに、思考の手段であり、また、世代を超えて文化を伝達するなどの重要な機能を有する。日本人としての基盤となる国語力の育成は、すべての教育活動を通じて重視される必要がある。
・・・一番最後には、
「母語は、対話の手段であるともに、思考の手段であり、また、世代を超えて文化を伝達するなどの重要な機能を有する。日本人としての基盤となる国語力の育成は、すべての教育活動を通じて重視される必要がある。」
とは、述べてあります。
しかし、筆者が気になる点として、
「グローバル化した現代社会においては、異文化と共生するための対話という視点」というお馴染みの「グローバル(global)化」という文言です。
これは、令和二年(2020)初頭からの所謂「武漢ウィルス」の世界的な(まさにグローバル(global)化)蔓延が為せる災悪を、如何にそれぞれの国が撲滅できるかの試練となっています。
このことによって、グローバル(global)化という概念のマイナス面が露呈しています。むしろ、それぞれの国の国柄(衛生面も含め)や国民性をしっかり守るべきではないかという対義である「ローカル(local)化」が、これからの将来を決定するのではないか、と筆者は考えています。
これを敷衍(ふえん)すると、言語もグローバル(global)な英語よりも、ローカル(local)な母語である日本語をしっかり学ぶことが何より大事ではないか、と。
蓋(けだ)し、江戸幕末期や明治の先人は、国語力があればこそ、英語に限らずヨーロッパの各言語を理解し、日本語に翻訳したのであり、AI(人工知能)がさらに進化すれば、日本語で論理的に考えることこそ重要で、それを自動翻訳すればよいからです。
ところで、
日本人の多くは国内にいる限り英会話をする必要がほとんど無いにもかかわらず、幼児期からの英会話教室が喧伝(けんでん)されているせいなのか、何故か子供さんに英会話を学ばせたいという親御さんの需要があります。
そして、英会話を習うと、小学校や中学校で学ぶ英語が出来るようになると錯覚している例が多いようです。
確かに挨拶をしたり、日常生活で使う会話は、定型的なものですから、ある意味簡単に覚えることが出来ます。しかし、更にその上の自分の意見を述べたり、複数で議論したりするレベルになると、論理的な英語を話さなければなりません。
その為には、英文法と英語の語彙力がどうしても必要となります。
これは、どんな言語であれ同様です。
フランス語、ドイツ語、スペイン語なども、文法と語彙力が無ければ論理的に話したり、文章を書くことが出来ません。
これらを勘案すれば、英語を学ぶ必要があるなら、最初からしっかりと英文法と英単語を学ばなければ、無駄な周り道をしてしまいます。
その為には、英文法を学び、英単語などの語彙を増やすことが出来る基礎学力、つまり国語力が必須です。
何故なら、英文法の説明を理解し、日本語との違いを把握して、正しい英語を読み、書き、話すことに繋げなければならないからです。
「急がば回れ」という様に、何事も安易な道はないと考え、しっかりと地力をつける事が、英語科目の成績向上に繋がります。