幼児教室・学習塾の羅針塾では、塾生からそれぞれ通学している学校情報が入ることがあります。同級生、先輩、後輩、先生について、極めて冷静、客観的に物事を観ていることが分かります。
「人の振り見て、我が振り直せ」(他人の行動を見て、良いところは見習い悪いところは改めよということ。)という諺を例に、塾生には様々な智慧を身につけて欲しいと考えます。学校生活の中で日々学ぶことが沢山あります。
・・・学校情報の一例をご紹介します。
あるクラスの担任の先生は、塾禁制令を出しているとのこと。何故なら、「詰め込み教育」となるから、と。
なかなか骨のある先生です。
筆者は基本的に賛成です。
えっ!と思われるかもしれませんが、塾を主宰していても正論は正論です。本来であれば、学校教育の中で児童・生徒がしっかり理解し、学力が向上する様に導くのが先生の役割だからです。
ところが、学力不足又は受験競争に勝ち残るために鍛錬したい、という需要があるから、塾はそれに対応する訳です。大学制度ができた明治期から、塾の需要はあったことから、昔も今も変わらないことがわかります。
上述の先生が言われる「詰め込み教育」は良くない
・・・その心は?
詰め込み教育と詰め込まれ教育とも言うべき差異があると考えます。
まず、誰が「詰め込む」のか?
例えたら、フォアグラ。ガチョウやアヒルに食欲の如何を問わず、沢山の餌を与えて肝臓を肥大化させてつくるフランス料理の代表的食材ですが、これは生産者がガチョウやアヒルに「詰め込む」。
同様に、学ぶ者にどこまで理解しているか否かを問わず、学ぶべき量を与え続ける。これは限られた時間、カリキュラムに合わせた塾・予備校側が、生徒・児童に「詰め込む」例です。
前者は、生産者の都合でガチョウやアヒルには迷惑な話。
後者は、塾・予備校側が成績向上を願う需要(needsニーズ)に応じたやり方ですから、これに合うか、合わないかによって、評価が分かれるところです。
従って、成績向上の為に、限られた時間で成績を上げることを望んだ以上は、詰め込み教育も承知の上ですから、否定的に捉えることはありません。
結局、自ら望まないのに、又は能力を超えて詰め込まれた教育は、学ぶ者にマイナスになるということです。
・・・本来の学びは、自らしっかりと教科書を理解し、その程度を確認する問題を解き、さらに力を付ける為程度の高い問題や応用問題を自主的に解いていく。常に、自主的に自発的に取り組むことが出来る様に努力を積み重ねる。
先述の先生は、その力を付ける為に授業を展開されているのでしょう。
自らの力で考え、問題解決をする児童・生徒になって欲しいとのお考えから、問題を解くknow-how(ノウハウ)やtechnic(テクニック)を詰め込む教育、又は詰め込まれる教育は、小手先の学びとなって身に付かず、将来に禍根を残す事になる。
学校・塾のいずれも、学ぶ意欲のある児童・生徒にする為尽力しなければなりません。