現在の中学3年生以降が受験する平成32(2020)年度からの大学入試改革に関して、現行の大学入試センター試験に替わる「大学入学共通テスト(仮称)」(かつての「大学入学希望者学力評価テスト」)の実施方針や、個別大学の入学者選抜実施要項の予告が、近々正式に発表されるようです。長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、将来の変化にも対応するべく情報は常に収集していきます。
確かに社会の変化やそれにつれての入試制度の変化はいつの時代もあります。しかし、それに一喜一憂することなく、今何をなすべきかの連続が将来の自分を決定します。
当ブログ「母の教えと教訓歌 10 二宮尊徳」でご紹介した二宮金治郎(尊徳)の教訓歌の更なるご紹介です。
丹精は 誰知らずとも 自ずから 秋の実りの まさる数々
「丹精*(たんせい)を込めて育てていると、誰が見ていなくとも作物は自然に成長し、秋には豊かな実りが得られるものである」 *丹精=物事を心を込めて行うこと。
国の根幹をなす農業や教育には共通項があります。
それは、農業は手入れの積み重ねが素晴らしい収穫を生み、教育は日々の精進や弛まぬ努力が目標を達成することです。共に、日々の努力の積み重ねが結果を生みます。
教育の成果を出すには、学ぶ本人の努力は勿論のこと、それを支える家族、殊に母親の存在とその努力が何より必要です。
二宮金治郎(尊徳)は、江戸時代末期の農政家。相模国(現在の神奈川県)の貧しい農民の子として生を受け、少年期に父母を失い、叔父の家に預けられます。食べることだけで精一杯の厳しい境遇にあって、必死に働き、その合間にも時間を惜しんで智慧を働かせ、叔父に隠れて学問をしました。
「本を読む暇があればその分働け」「学問より働くことが大事」「百姓には学問はいらない」との風潮の中、読書を表立ってすることはできません。それが後世の各地にある薪を背負って読書をする銅像につながります。
二宮金治郎(尊徳)は学問の成果と、彼の創意工夫により、災害で没落した生家を独力で再考します。その力を認められ、各地で家や農村の再建を依頼されます。彼の指導によって、財政再建、土地の復興に目覚しい成果を挙げ、その功績は時の幕府に知られることになり、老中水野忠邦から抜擢されて天領の運営を任せられることになります。
・・・現在の社会では、江戸期に比べると格段に良い生活環境があります。学ぼうと思えば、誰もが学ぶことができます。
しかし、不思議なもので与えられると却って学ぶ意欲が湧かない子供たちや若者がいます。なんでも当たり前に教科書やノートが有り、無い事の不自由さを感じないことがそのようにさせるのでしょう。やはり、知識欲も飢餓感がないと湧かないようです。
豊かさを享受できる日本では「学ぶ」有り難さを如何に子供たちに伝えるか、が大事です。