長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、良心的且つ啓蒙的なブログなどの記事を時々ご紹介しています。その一つが「一日一首 明治天皇御製」というブログ。http://www.mag2.com/m/0001343375.html?l=yxt059d94b#detailbox
「このメールマガジンは、明治天皇御製を、一日一首づつご紹介し、日々の心の糧としていただこうというものです。 『明治天皇御製』とは、明治天皇が詠まれた『和歌』のことです。明治天皇は、生涯およそ10万首の和歌を詠まれましたが、その中には人々の心の糧となる『やまとごころ』のエッセンスが溢れでています。」との紹介がとても優しいですね。
さて、
明治天皇御製
行 (明治37年 御年53歳)
世の中の 人の司と なる人の 身のおこなひよ ただしからなむ
ブログ主催者の解説が下記です。
■御製を拝して
謹解「世の中の上に立つて人々を指導する人の行ひは正しく
あつて欲しいものである」ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)といふ言葉があります。
「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務が
あるという、欧米社会における基本的な道徳観。」「ヨーロッパ社会
で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務がある
とする。」といふ意味でフランス語の成句でありますが、古代ローマ
繁栄の源泉として指導層の在り方を評した言葉でもあり、指導的立場
にある人々への戒めの言葉でもあります。明治天皇様の御製は、「司」とある所から、主に政府の高官につい
て述べられてゐるものと拝されますが、高位高官にあるものは身を慎
み行いを正しくして世の指標とならねばならない、御心が込められて
ゐるやうに拝されます。
このことは、単に政府の高官といふだけでなく、広く社会で指導的
立場にある私人であつてもさうでせうし、更に言ふならば公的な責任
を任じる人々にも当てはまると思はれます。それは公務員といふばか
りでなく企業であらうが労働組合であらうが、何であれ人を導く立場
にある人々、といふことは子供を導く最初の教師である親も含まれる
といふことになりますので、殆ど全ての人々について当てはまるので
はないかと思はれます。
これはほかならぬ教育勅語の「恭倹、己レヲ持シ」に通じるもので
あると思ひ当りました。昭和天皇に倫理学を御進講された杉浦重剛博
士が著された「教育勅語」御進講の為の教科書がありますが、そこに
は「恭倹」の字義について、次のやうに記されてゐます。「恭とは、謹直にして、傲慢ならざるを云ひ、倹とは、節慾にして自己
の行為を制約し、放縦に流れざるを云ふ。財用を節するも、またその一
部なり。英訳文には恭をModesty、倹をModerationと訳せるも、この意
味にほかならず。
恭倹の二字、ともに礼節の意味を含む。品性の崇高なる人は、何事に
も恭敬、謙譲の態度を以てこれに臨む。故に人をして奥床しき感を与へ、
尊敬の念を起さしむ。「みのるほど首をさげる稲穂かな」とは、恭敬の徳
を詠嘆せるものなり。
倹の意義は、二様に解せらる。これを広義に説けば節慾、これを狭義に
説けば節倹とて、各自の分に応じて財を節用するを云ふ。」
この一文を読み浮かぶものは、皇族方の御姿です。明治天皇様の御教へ
は、皇族の方々が体現されてゐると思つて間違ひないでありませう。
國民は、その姿を拝して、身の行いの鑑として行けば、「恭倹己ヲ持シ」
て日々を送ることが出来るのです。
・・・日本人は、古来指導的な立場にある場合、陰日向なく正しい道を貫くことを目指して日々精進するという心持ちを常に持っていました。
昨今のマス・メディアに喧伝される人々は、本来は司(つかさ=政務を司るもの。役人、官吏)として人の手本となるべき人です。殊に、日本の教育行政を司る重責にある文部科学省の前文部次官の体たらくには愕然とするものがあります。
しかし、然は然り乍ら(それはそうだが)、多くの日本人は誠実に日々努力をし日本の発展に寄与しています。将来を担う子供達のためにも私達自身が努力しなければなりませんね。