長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、「国語力が基本」という「学ぶ」為の大前提があります。その為の方策を工夫しています。「千里の道も一歩から」というように、就学前から素読、片仮名・平仮名の文字から始まり、一歩ずつ進めていきます。
さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「学ばせるべきは誇り高き日本の文化」(産経新聞2004年3月29日)という随筆を引用してご紹介します。小学校の英語教育必修化以前の20年ほど前の文章ですが、根本的な問題点を指摘しています。
(前略)
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かっては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。その結果、教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったことが悪い」となった。
英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、児童に一体何を教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。
たいていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由に尽きる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。アメリカ国務省は、外交官などのために外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難関とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟も湧きにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かって欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席巻しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有の文化、人類の宝石ともいうべきものを、荒波から守る為の神の思し召しと感謝してよい。
英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。いうまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には英語という伝達手段の巧拙ではなく、伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で4年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でもたかだか数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。
伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。
ある統計によると、仕事のうえで英語を必要としている人は18パーセントにすぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人やそんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、然るべき人間と見做されず商談の進まないことがある。
国を挙げてのフィーバーは、滑稽を通り越して醜悪である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。
・・・20年ほど前は、小学校への英語導入の可否が喧(かまびす)しく議論されていました。筆者は基本的に英語の小学校導入、その後の必須科目化には反対です。蓋(けだ)し、かって文科省が採った「ゆとり教育」という大愚策の修復も為さず、国語力の充実も図らず、安易に小学生にとって難しい英語科目導入で無理な負担を課すことになるからです。
藤原先生の言われる「英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。」ことを、日本の小学生に強いることは、日本全国に英語嫌い、ひいては勉強嫌いを蔓延させるようなものです。
・・・しかしながら、英語が教科化され、成績評価される以上は、それに対応するしかありません。筆者は、就学前教育や小学校低学年時に、しっかり国語力(語彙力、読解力)をつけた子供達から、英語教育に入っていきます。