・・・長崎市の中心部五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、日本人の先人が遺した素晴らしい言葉や歌なども是非伝えていきたいと考えています。
子供の頃には理解し難い言葉や歌も、長ずるに従い脳裏に浮かび、創意工夫できる人となってもらいたい、との念いからです。
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「好きこそ物の上手なれ」という五七調の言葉を聞かされた経験のある方はたくさんおられると思います。
これは所謂「教訓歌」というものの一節です。
ある程度の年齢になると、和歌、短歌、俳句などはお馴染みなってきますが、「教訓歌」という言葉はあまり聞きなれていません。
教訓歌とは、道歌、道徳歌、訓戒和歌とも言われます。
形式としては和歌・短歌同様 五・七・五・七・七の三十一文字。
(因みに、三十一文字を「みそひともじ」と読み、和歌・短歌を意味します。)
和歌・短歌は、
自然を愛で恋愛を含む人生の悲哀を歌いつつ、格調高く芸術性を追求する三十一文字で表す文学と言えます。
一方、
教訓歌は、
道徳、教訓、処世訓という「人のあるべき道」を歌い、古来から人口に膾炙(※)してきたものです。
(※人口に膾炙する・・・世間の人々に広く知れ渡ること。)
筆者がよく聞かされた上記の「好きこそ物の上手なれ」。
母は、その時々の私の様子や気分を見つつ、このような言葉を投げかけていたのでしょう。
長じて何事かある度に、このような言葉が脳裏に浮かぶということは、相当繰り返し聞かされていた証左です。
今思うと、ありがたいなあとつくづく思いますが、その頃は分かったようなようなわからないような言葉でした。
そもそも、「好きこそ物の上手なれ」とは?
「好きこそ物の上手なれ」のオリジナルは、
「器用さと 稽古と好きの そのうちで 好きこそものの 上手なりけれ」
茶の湯の教えの基本とも言えるこの歌は、千利休の教えが口伝で伝わったものです。
其の意は、
「ものごとを上達するには、『器用であること』『稽古をすること』『好きであること』の三つがあるが、其の中でも殊に『好きであること』が最も肝要である」
ということ。
やはり何事にも通じる教えです。
ご存知のように、千利休は安土桃山時代の茶人です。
織田信長に茶頭として用いられ、信長亡き後は豊臣秀吉に重用されます。
「利休」の名も賜り、秀吉の豪壮な聚楽第内に屋敷も与えられ三千石の禄までも賜ります。
茶人として頂点を極めますが、一転秀吉の逆鱗に触れ、切腹を厳命されます。
茶の弟子である大名たちの助命嘆願や、周囲の秀吉への許しを乞う助言も聞き入れることなく、自刃してしまう剛毅さも併せ持つ風流人。
千利休には所謂著書はありませんが、高弟の山上宗二(やまのうえのそうじ)の残した茶書や、門人が書き記した書物によって、その教えや言葉が伝えられています。
利休は、茶の湯を教える際に、歌の形式にしたと伝えられています。
「器用さと 稽古と好きの そのうちで 好きこそものの 上手なりけれ」
利休の心は時代を超えて息衝いています。