英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 3

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の体調を把握しながら、学習に取り組ませます。何よりも健康第一。大人も同様ですね。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Chapter3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%203%20Section%201,%202.pdf

そもそも、ヨーロッパの白人国家からすると、遥か彼方にある極東の日本に何故やって来たのかを、説明している部分です。

Topic 32 – Europe’s global expansion

 What led the peoples of Europe to begin to explore the world?

32 ヨーロッパ人の世界進出 

 ヨーロッパ人は何故世界に進出し始めたのだろうか。

The Christian world and the Muslim world

In the Christian world of medieval Europe, the Catholic Church, led by the Pope in Rome, wielded tremendous power. At the same time, Arab Muslims were embarking on a wave of expansion and by the eighth century extended their control across the Mediterranean region from Western Asia to the Iberian Peninsula. In medieval times, the nations of the Muslim world were considerably more militarily, technologically, and culturally advanced than the Christian world.

Despite this, Christian forces succeeded by the late-fifteenth century in driving the Muslims from the Iberian Peninsula, which was then transformed into the Christian nations of Spain and Portugal.

At the start of the sixteenth century, German priest Martin Luther and others criticized the Catholic Church’s corruption and founded a reformist movement, in that individuals seek God directly through the Bible, without reliance on the Church hierarchy. This was called the Reformation and its supporters were called Protestants.1 The sudden rise of the Protestants shocked the Catholic Church, which launched its own internal reform movement. The Church founded the Society of Jesus,2 whose members were known as Jesuits, and made aggressive efforts to proselytize overseas.

*1=The Church of Rome was called the Catholic Church, meaning “universal church”, while the reformers were dubbed Protestants, meaning “those who protest”.

*2=The Society of Jesus, founded by Spaniard Ignatius of Loyola and six others, was one of the Catholic Church’s male religious orders. After receiving official recognition from the Pope, the Jesuits set up a base in Goa, India, and started missions across Asia.

キリスト教世界とイスラム教世界

中世ヨーロッパのキリスト教世界ではローマ教皇を頂点とするカトリック教会が絶大な権力を持っていた。他方、イスラム教徒のアラビア人も勢力を広げ、8世紀以降は西アジアから地中海を経て、イベリア半島までを支配した。この時代、イスラム教諸国は学問や芸術においても、軍事力においても、キリスト教諸国よりはるかに先進国だった。

しかし、イベリア半島では15世紀末に、キリスト教徒がイスラム勢力を追い出し、スペインとポルトガルが支配するキリスト教圏に戻った。

16世紀初め、ドイツのルターらがカトリック教会の腐敗を批判し、教会に頼らずに個人が聖書を通じて神と直接向かい合うべきだとする改革運動を起こした。これを宗教改革という。彼らはプロテスタント(*1)と呼ばれた。その勃興に危機感を持ったカトリック教会内部からも改革運動が起こり、イエズス会(*2)が創立されるなど海外への布教に積極的に乗り出した。

*1=宗教改革を求めた「プロテスタント(抗議する者)」は新教とも呼ばれ、これに対しローマ教会を総本山とする「カトリック(普遍)」は旧教と呼ばれることもある。

*2=カトリック男子修道会の一つ。創立者はスペイン人のイグナチウス・ロヨラら6人で、ローマ教皇の信任を得てゴア(インド)に基地を築き、アジア布教に乗り出した。イエズス会は「イエスの会」を意味する。

・・・現在の中近東の難民流出やヨーロッパ諸国への難民流入の急増やテロの問題の遠因は、この時代に始まっています。、現在の政治的な混乱や経済的な変動も、歴史を紐解くことによって、分析することが可能になります。

学校で歴史を学ぶ際に、現代との比較において歴史の意味合いや影響を教えてもらうと、子供達も興味を覚えるようになります。

The Age of Discovery

In the late-fifteenth century, Spain and Portugal commenced national efforts to expand overseas. Their desire to import goods from the East had been stymied by the naval might of Muslim countries, such as the Ottoman Empire, which held sway over the Mediterranean Sea. In Europe at that time, spices like pepper were in high demand as seasoning for meat, and though they could be bought from Arab merchants, they came at such a steep price that it was said that a gram of gold could purchase only a gram of pepper. Spain and Portugal wanted new trade routes to India where they could buy pepper directly.

Portugal attempted to find a sea route to India by sailing southwards along the west coast of Africa. By contrast, Spain sent Italian Christopher Columbus on a journey across the Atlantic Ocean as far west as he could go. The Age of Discovery began, and before long the Europeans were actively seeking to colonize Asia itself.

大航海時代

 15世紀末から、ポルトガルとスペインは国を挙げて海外進出を図った。オスマン帝国などイスラム勢力が地中海の制海権を握っていたので、東方への物資の輸入ルートが阻まれていた。当時のヨーロッパで肉料理の必需品は胡椒などの香辛料だった。それらをアラビア人の商人から購入しなければならなかったが、「金1g=胡椒1g」といわれるほど高価だった。両国は胡椒を直接買い付けるため、主要地インドへの新たなルートを求めた。

 ポルトガルはアフリカの西海岸を南下してインドへ向かう航路の発見に乗り出した。これに対してスペインはイタリア人のコロンブスを派遣して、大西洋をどこまでも西へと向かわせた。このようにしてヨーロッパ人がアジアへの植民地を求める大航海時代が始まった。

Spain and Portugal’s plan to partition the world

In 1492, Columbus arrived in the islands of the West Indies. Europe had “discovered” the Americas. Because Columbus was convinced that he had reached India, the indigenous peoples of North America continue to this day to be called “Indians”. Two years later, in 1494, Portugal and Spain, after intercession by Pope Alexander VI, signed the Treaty of Tordesillas, in that Spain and Portugal would divide the world into two hemispheres based on a line running down the middle of the Atlantic Ocean. According to the terms of the treaty, all lands discovered in the Eastern Hemisphere would belong to the King of Portugal, whereas the lands discovered in the Western Hemisphere would belong to the King of Spain.

In 1498, Portuguese explorer Vasco da Gama opened a new sea route to India by rounding the Cape of Good Hope on the southern tip of Africa and traveling along Africa’s east coast north to India.

ポルトガルとスペインによる地球分割計画

 1492年、コロンブスは西インド諸島に到達した。ヨーロッパ人によるアメリカの「発見」である。彼はそこをインドと信じ込んだため、北米大陸の先住民は今でもインディアンと呼ばれている。2年後の1494年、ローマ教皇は大西洋を東西に分け、東半球で発見されるものは全てポルトガル王に属し、西半球で発見されるものは全てスペイン王に属すると取り決めた。これをトルデシリャス条約という。

 ポルトガルが派遣したバスコ・ダ・ガマは1498年、アフリカ南端の喜望峰を経てアフリカ東岸を北上し、インドに到達する新航路を発見した。

・・・筆者は十代の頃世界史を独習している際に、ローマ教皇が世界を二分割するという傲慢さに憤慨した記憶があります。また、 Europe had “discovered” the Americas.という表現も、アメリカ大陸に従来から住む人々に対し失礼な表現です。時代とはいえ、力を持った者が全てを奪うという図式は、長い間非キリスト教・非白人国家を苦しめています。

トルデシリャス条約のオリジナル

トルデシリャス条約とは地球上に「デマルカシオン」という観念上の縦線、即ち子午線を引き、ヨーロッパ以外の新領土についてはその線(西経46度37分)を境に東側はポルトガル領、西側はスペイン領として分割するという条約です。

トルデシリャス条約(紫)とサラゴサ条約(緑)の境界線

しかし、実際の地球は平面ではなく球体であり、東西は際限なく繋がっているため、縦線を一本引くだけでは分割は不完全です。もう一本縦線を引かなければ世界は完全には二分されません。実際、トルデシリャス条約では両国どちらの勢力圏内となるのか曖昧になっていた東南アジアでは、その帰属を巡って両国が熾烈な争いを繰り広げました。そのため1529年、地球上にもう一本の縦線(東経144度30分)を引きました。その根拠となったのが、新たに両国間に締結されたサラゴサ条約です。

16世紀の世界は、ヨーロッパや東アジアの日本や支那などを除き、その大半がトルデシリャス条約とサラゴサ条約という二つの条約によってポルトガル・スペイン両国の勢力圏内に置かれました。

posted by at 19:48  |  塾長ブログ

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