成長を焦らず見守る

一人一人の成長には差があります。
同じ様に取り組んでもなかなか上手くいかない時があります。
数日か、数週間か、数ヶ月か、数年か。。。

こんな時は何につまづいているのか。
何が困っているのか。冷静に見極めていきます。
御家庭との連携も大事です。
辛抱強く見極めてフォローして下さると
トップクラスに躍り出る塾生さん達です。

素直に前向きに取り組もうね。
塾生には何時も伝えます。
挫けそうな時も一所懸命の塾生達は芽を出し
花を咲かせていきます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

「自分自身で学ぶ様になってほしい。」
入塾時、お父様のお言葉。
日々、いろんな事がありますが
いざ!となればのガッツは大したものだと感心します。
そしてこのままスーっと伸びていきます。
「何に」「何が」「何を」が塾生本人にも理解できている様です。
一見、これが何に繋がるのだろう?と考えても
「やった方が絶対いいよ。」と私達が伝えると
こちらが黙っていてもやり遂げていきます。

これが
「自分自身で学ぶ」の一歩。

賢い子にさせたいと思う時
慌てても、焦っても思う様にはいきません。
またテクニックだけでは、その先詰まってしまいます。
成長を見守ることは賢い子を育てること。
お母様やお父様の見守る力は大きな力になっていきます。
賢い子を育てるために
とても大事なことだと考えます。

今年も美味しいDEMELのチョコレートを頂きました。
本当に有難うございます。
あ〜美味しかった!感謝申し上げます。

posted by at 21:04  | 学習塾・幼児教育

身体を大事にする

学ぶ時に大事なのは
元気な体と健やかな心ですよ。
いつもお話をします。

元気でなければ、学んだうちの
半分も頭に入りません。
体調が良くない時は通塾も休んで
暖か〜くして寝なさい。と話ます。

無理をせず、ゆっくりと休む。
身体を大事にする。
とても大切な事です。

寒い時期、体調管理は難しい。
皆さん気をつけましょうね。
先生達も風邪ひかない様に
用心・用心の毎日です。

posted by at 18:55  | 学習塾・幼児教育

教科書に載らない歴史上の人物 25 橋本 景岳1

前々から是非御紹介したいと考えていた歴史上の人物に橋本景岳(けいがく)という江戸幕末期の俊秀がいます。

橋本景岳 福井市立郷土歴史博物館蔵(島田墨仙作)

当ブログの「教科書に載らない歴史上の人物」シリーズは、有難いことに興味のある方々に読んで頂いている様です。「教科書に載らない歴史上の人物24支倉常長」(https://rashinjyuku.com/wp/?s=教科書に載らない歴史上の人物)を掲載したのが2017年8月27日ですから、久しぶりの掲載記事となります。たびたび引用させていただいている「少年日本史」(平泉澄著 皇學館大学出版部)p.604からの引用です。

安政の大獄に犠牲になった人々、いずれも惜しむべきであります中に、最も惜しい人物が二人あります。それは過去幾百年の間に、會(か)って現れなかった偉大なる人物であり、それより今日に至る百数十年の中にも、まだこれだけの人物は出ていないからであります。

二人とは誰か。

一人は橋本景岳(通稱(つうしょう)左内)、一人は吉田松陰(通稱 寅次郎)、これであります。景岳は安政六年(西暦一八五九年)十月七日殺された時、二十六歳でした。松陰は少し遅れて十月二十七日に斬られましたが、年齢は三十歳でありました。かように若かったのでありますが、その人物識見は抜群であって、眞に天才と云うべきであり、その教えは没後に於いて明治の御代の指針となって来たのでありますから、その概略をお話ししましょう。

・・・平泉澄先生の名調子。これを読むであろう少年達に、湧く湧くする様な期待感を持たせる文章です。

橋本景岳は、天保五年に福井に生まれました。十二歳の時に、藩の儒者吉田東篁(とうこう)に就いて学びましたが、東篁は、山﨑闇斎(やまざきあんさい)、淺見絅斎(あさみけいさい)の系統を受けて、國體(こくたい)の尊嚴(そんげん)を説きましたので、その教えによって愛國の至誠と、慷慨(こうがい)の氣魄(きはく)とは、自然長養せられたと見え、十二歳の少年ながら、深く宋の岳飛(がくひ 注1)の人となりを慕い、自ら景岳という號(ごう:呼び名)をつけました(景は慕うという意味です)。

注1)岳飛=(1103〜1141)支那南宋の武将。一兵卒より湖北一帯を領する軍閥となる。金への抗戦を主張し、和議派の宰相秦檜(しんかい)の讒言により獄死。岳王廟に祀られ民族的英雄として尊崇される。

やがて十五歳の時に、「啓發録(けいはつろく)」を著しました。

それは、

(一)稚心(ちしん)を去る

(二)振氣(しんき)

(三)立志(りっし)

(四)勉學(べんがく)

(五)交友を撰(えら)ぶ

以上五つの綱目(こうもく:物事の大綱と細目)を立てて、少年學に入る心得を書きつらねたものでありますが、進んで他人に示そうとするものでは無く、むしろ自分の志(こころざし)を勵(はげ)ましたものであります。それ故にこれを祕藏(ひぞう)して置きましたが、十年たって安政四年に之を發見した時には、景岳自身も當時(とうじ)の奮勵(ふんれい)、却(かえ)って今日の及ぶ所では無い事を思い、「嗚呼(ああ)十年前すでに彼(か)の如く、而(しか)して今日此(かく)の如し、即(すなは)ち今より十年の後、それはた如何ぞや」と歎(なげ)き、同門の學友は之を見て、「一語半句(いちごはんく)も忠孝節義(ちゅうこうせつぎ)の言に非ざるはなく、感憤激勵(かんぷんげきれい)の氣、勃勃(ぼつぼつ)として其の間に流溢(りゅういつ)し、人をして悚然興起(しょうぜんこうき)せしむ」と感歎(かんたん)したのでありました。

今その「稚心(ちしん)を去る」の條(じょう)より少しく書き抜きましょう。

稚心とは、おさな心と云う事にて、俗にいふわらべしきこと也。(中略)十三、四にも成り、學問に志し候上(そうろううえ)にて、此の心、毛ほどにても殘りこれある時は、何事も上達致さず、迚(とて)も天下の大豪傑と成ることは叶わぬ物にて候(そうろう)。

 

此の啓發録を著した翌年、十六歳にして大阪へ出て、緒方洪庵の門に入り、三年間、蘭學及び西洋醫學を學びました。それは橋本家が藩醫(はんい)であったからであります。ここで西洋醫學も學びましたが、それよりも重大なのは、オランダ語の書物を自由に讀(よ)む力を得て、西洋の歴史、地理、政治、経済、化學、兵學等、あらゆる部門にわたり、西洋の文明に觸(ふ)れ、之を吸収し得た事であります。

やがて十八歳の冬、父の病氣によって家に歸(かえ)り、翌年父が亡くなったので、後をついで藩醫となりましたが、二十一歳江戸へ出て杉田成卿(せいけい)の門に學びました。

大阪の緒方、江戸の杉田は、當時(とうじ)蘭學界最高の権威であったのです。此の江戸留學二年あまりの間に、天下の名士に會ってその精神をみがく事が出来ましたが、景岳が特に敬服したのは、水戸の藤田東湖(とうこ)でありました。景岳は實(じつ)に此の東湖を通じて水戸學の感化影響を受けたのです。

・・・現在の日本では考えられないほど、己の持つ力を何に活かすべきかを真剣に追求した先人が数多(あまた)存在するのが本来の日本です。道を求める人に、啓発する何かを与え得る思想家が、現在の日本にはどれ程存在するのでしょうか。

安政二年二十二歳の時に、福井藩は景岳の職分を、醫員より轉(てん)じて、政治に當らしめる事としましたが、それはやがて此の人に大事を擔當(たんとう)させる爲(ため)でありました。安政三年四月、藩は景岳を抜擢(ばってき)しようとして歸國(きこく)を命じました。これに對して景岳の答えた所は、要領をまとめますと、次の通りです。

國是(こくぜ)決定の爲に歸れとの御命令でありますが、「元來(がんらい)皇國(こうこく)は、異邦と違い、革命と申す亂習惡風(らんしゅうあくふう)これ無き事故(ことゆえ)」今日といえども、神武天皇の御遺訓(ごいくん)を守る外はありません。その御遺訓は、「人、忠義を重んじ、士、武道を尚(たっと)ぶ」此の二箇絛(にかじょう)、皇國の皇國たる所」であって、之を支那や西洋に比較するに、優劣は雲泥の相違であります。決して支那を慕うに及ばず、オランダを真似る必要もありません。もし此の大方針御確定の上、その實現(じつげん)の爲に御つかい下さるのであれば、卽日出發歸藩(そくじつしゅっぱつきはん)いたしますが、根本がきまらず、議論で日を暮らし、あとは嘆息している程度でありますならば、私だけは御はぶき下されたい。

是が二十三歳の青年、抜擢の内命を受けた際の返答でありました。藩當局は之を諒承し、景岳を主任として、教育の改革を斷行させました。越前では、水戸の學校弘道館を模範として、明道館を創立しましたが、景岳によって西洋の學問を取り入れた事が、明道館の特色となっています。

 

・・・現在の福井県、旧越前藩の教育にかける熱の一端が残っているので、全国の学力テストの上位県となっているのでは、と思います。義務教育の小・中学校での教育は、江戸期からの藩校の流れがある地域では、熱心です。戦後の悪しき日本語、歴史教育が蔓延した結果、国語力や読解力の低下が起きていると痛感します。

・・・続く

 

学年のまとめに入っています

節分もあーっという間に過ぎ
今日も元気な羅針塾でした。

「この言葉」の使い方は。
「この解き方」は。
一つ一つ、学年のまとめに入っています。
国語力を磨く学び、語彙力をつける学びを
行っていますから
「こうかな〜」とヒントをあげると
「そーでした!!」と一所懸命に机に向かっています。

新小学校一年生の学びは
「誰にも負けない!」学び。
物品購入や新入生説明会等の場面で
様々な御家庭の姿を見られたかと思いますが
奢らず、謙虚に、冷静に。が大事。
我が子の基礎固めが一番大事です。

「ハキハキ!元気!賢い子」

先生がお話ししていたことは
後に実感することでした。と
お母様達。
時が過ぎることは早く、子供の成長は一瞬です。
どこに手を掛け、時間を掛け、手間をかけるか。
大変だ〜と思う時が振り返ると一番充実しています。
一年間のまとめの時期
子供達と楽しく向き合って見てください。
かけがえのない時間だと思います。
子供達はこの一瞬を思い出しますよ。
お母さんと頑張った!って。
頑張りましょうね。
先生達も一所懸命サポートしていきます。
賢い子に育てましょうね。

先生達も
「鬼はー外。福はー内」
「鬼はー内。福はー内」と
節分を行いました。

posted by at 22:48  | 学習塾・幼児教育

一人一人のやり方を見つける

一人一人に合う取り組み方で幼児さんも
日々学んでいます。
みんなで取り組むこともありますが
個々のカリキュラムで進んでいきます。
初めての学びを行う時、
少しづつ難しいことを取り組み出すときの
反応を観て先に進めるか、待つかを判断していきます。
待てる時は待つ。一人一人の心の成長も待たないといけません。
待つという時間は、早くから取り組んでくださる御家庭に
出来ることです。

やはり、受験ギリギリに取り組み出すとゆっくりは待てません。
一気に仕上げていかないと間に合わなくなってしまいます。
それでも、しっかりと話し理解させ
取り組んでいきます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

幼児時期の学びは受験のための学びではなく
「観ること、聞くこと、知ること」が面白い!が基本です。
なんだかすごく面白かった。
上手くできた。次もやってみたい。
前向きに素直に取り組んでくれたら
グングン成長していきます。
そのための一人一人のやり方を見つける。
しっかりとした基本基礎はその後の賢さにつながります。
小学生になった時、学ぶことが楽しい!と
なってもらえたらと考えています。

可愛い写真を見つけました。

posted by at 19:04  | 学習塾・幼児教育
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