長崎大学教育学部附属小学校・私立小学校受験で身につけること4

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

長崎大学教育学部附属小学校の力試しの結果が帰ってきています。
どの塾生さん達も満点を含む高得点でした。
一つ一つを丁寧に準備した結果です。
よかったね。

幼児期からの学びで
「聴き取ること」
「素直に行動すること」は本当に大事です。
しっかりと話を聴き、内容を理解しサッと動く。
幼児さん達は、毎回様々な場面で取り組みます。
する・しないに好き嫌いはない。
自分自身が出来たとは思い込まない。
素直に「はい!」と言って。取り組む。
社会生活をする中でとても大事なことだと考えています。
しかし、今一番欠落していることでもあるのです。

「何かを言ってるね。」
「人についていけばいいね」
「何で今、しないといけないのか?」
「何故今必要なのか?」

聞き取りと同時に、指示されることに
理由を考えてはいけないのです。
集団行動の学びを訓練しているので
「やろうね。」に対しては「はい」なのです。

「ハキハキ!元気!賢い子」

「全てが一緒は個性が失われてしまします。」
そんなことでは小学校生活はついていけません。
しっかりと授業の一時間を座って先生の話をしっかりと聞き取り
素直に行動していかないと授業からは取り残されてしまいます。
これからはもっとそうなるかと。
羅針塾学習塾の塾生さん達は
幼児期から聴き取る学びを訓練し磨き上げます。
聴き取り、理解し、素直に行動に移す。
大事なことなのです。聴き取りの学びは
時間をかけて完璧になるまで訓練していきます。
小学校に上がる頃にはしっかりと聴き、考えて行動し話す。
基本基礎の学びも応用の学びも
聴き取ることも
素直に行動することをおろそかにすると
賢い子にはならないと考えています。
日々の生活の中、学びの中で意識づけて取り組まないと
いけないなと思います。

posted by at 23:36  | 学習塾・幼児教育

第24回 羅針塾学習塾 親子セミナーを終えて

長崎市五島町にある学習塾幼児教室
羅針塾学習塾・幼児教室です。https://rashinjyuku.com/wp

真夏日の7月14日(土)羅針塾学習塾 親子セミナー
社会科見学として大村市にある「田中鎌工業」へ行ってきました。
物作りを観るということはなかなか出来ません。
車ではなくJRの移動、初めての場所へのご挨拶
体験する全てが何かのキッカケになればと考えます。

高温の炉の中に入ると
み〜んな汗ダクダクでした。
大人も子供も色んな体験をし、
何故、鍛冶屋さんが必要なのか?
沢山のことを学びました。

今回の親子セミナーに際して
講師 八木 海平さん
「田中鎌工業」の皆様に御礼申し上げます。
今回の学びが子供達の未来へ繋がればと考えます。

刃物ができるまで。分かりやすく説明してあります。

高温の炉。この中で熱された金属を叩いていきます。

posted by at 14:57  | 学習塾・幼児教育

小学校受験、中学校受験の本質

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、塾生に何故学ぶのか、何故受験するのか、を考えて日々努力して欲しいと考えます。

幼児期の学びから始まり、小学校受験、中学校受験と義務教育期に於いて挑戦する選択もあるからです。

偶然読んだ記事(東洋経済ONLINE)が非常に示唆的でしたの引用してご紹介します。https://toyokeizai.net/articles/-/229249

中学受験の本質を知らない親に教えたい心得  「今だけ頑張ればいいから」はNGワード」

「中学受験で難関中学に入れれば、東大をはじめとする難関大学への道が近づく」

「大学付属校に入れれば、この先は受験をしなくてすむ」

「だから、今頑張っておけば後がラクになる」

そう考えて、「中学受験」を始める家庭が多い。だが、こんな気持ちで子どもに中学受験をさせようとしているのなら、今すぐやめたほうがいい。なぜなら、今の中学受験は親が思っている以上に過酷だからだ。

難関中学入学=難関大学入学、と直結しないことは誰しもわかっていますが、難関中学に入れば確率が高くなるという思いを持つのは、どの親御さんも同様です。

しかし、挑戦することと、その結果、またその後の推移については、なかなか思うようにならないのが現実です。

大人でも解くのが難しい「入試問題」

一般的に中学受験の勉強は、小学3年生の2月からスタートする。大手進学塾の新4年生のカリキュラムが一斉に始まるからだ。だが、その前に入塾テストというものあり、その結果によって入塾の可否と上位クラスへ入れるかどうかが決まる。そのため、早めの対策を取り、低学年のうちから塾通いをさせる家庭も多い。

4年生では週2日の塾通いも、6年生になると通常授業の他に志望校特訓や模試などが加わり、週5日、ときには毎日塾で過ごすことになる。塾では問題の解き方は教えてくれるが、勉強の進め方までは個別にフォローはしてくれない。年間の学習カリキュラムが固定されているため、その日の授業で習ったことは、その日のうちに覚えることを前提に進んでいく。そのため、知識の定着を図るために塾から大量に出される宿題は、家庭で回していかなければならない。

小学生が習う内容なんて、親でも教えられる。そう思っている人は、ぜひ難関中学の過去問を見て欲しい。いや、中堅校でもいいだろう。多くの親は容易には解けないはずだ。今の中学受験の入試問題は、それほど工夫が凝らされ、難易度が高い。

中学受験が高校受験や大学受験と大きく違うのは、学校の授業で習う内容と入試で出される問題の難易度に大きな差があることだ。また受験には、目標に向かっていつ何をするかといったスケジュール管理が不可欠だが、それが子どもの力だけではできない点も挙げられる。親の献身的なサポートがあってはじめてうまくいくというのが、中学受験の最大の特徴と言える。

4年生になるタイミングで学童代わりに塾に入れる家庭も多いが、そんな甘い考えは捨ててほしい。早くから中学受験を意識してきた家庭でも、「ここまで大変とは!」とその過酷さを思い知らされることになる。だから、中学受験をするなら、親も子も「覚悟」をもって臨まなければいけない。

東京を中心とする関東圏、また教育熱心な関西圏などの難関中学への進学は、よほどの覚悟がないと取り組めないということを、その地域の方はご存知です。それ以外の地域からすると、何故そこまでするのだろうというのが実情です。

受験の目的は「いい大学に入るため」ではない

 

一度覚悟を決めたなら、中学受験をさせること、塾に通わせることに「罪悪感」をもたないほうがいい。罪悪感をもったままだと、どうしても親の口から「これが終わればラクができるから」「今だけ頑張ればいいから」という言葉が出てしまうからだ。

「後でラクをさせたい」と言うのは大抵母親だが、その中でも特に危険なのが「高校・大学受験をしなくていい付属中に」という考え方だ。例えばスポーツや音楽などを集中的にやりたいというような考え方であれば、付属中・高は向いているかもしれない。

しかしそうではない場合、過酷な中学受験の反動から、入学した途端に勉強するのをやめてしまう子も多い。入学時をピークにだらだらと成績が下がり、せっかく身に付けた学習習慣も知識もふっとんでしまっては、その後に困るのは子どもだ。

特に「ともかく付属ならどこでもいい」というような気持ちで学校に入った場合、中学・高校の学力がつるべ落としに下降する危険性がある。大学受験で入学した学生と付属から上がってきた学生を比べると、その学力は雲泥の差。大卒という学歴は同じでも、社会に出てからどちらが苦労するかは明らかであろう。

一方、大学受験で成功している父親がよく言いがちなのは、「大学受験の時だけ集中的にやればいいじゃないか。本当に行きたい大学があるのなら、一浪くらいさせたっていい。小学生の今はのびのびさせてやれ」というもの。この考えを否定するつもりはないが、今の時代、東大や京大、国公私大医学部などの難関大学の合格者は、上位の私立中高一貫校出身者が多くの割合を占めているという現実を忘れてはいけない。

ほとんどの私立中高一貫校の場合、高2の段階で高校で習うすべての範囲を終わらせ、高3の1年間を受験勉強に充てることができるカリキュラムが組まれているからだ。そういう点においては、私立中高一貫校へ入れると「大学受験に有利」であることは否定できない。

だが、中学受験をさせる目的がそれだけなら危険だ。レベルの高い私立中高一貫校に入れば、レベルの高い子ども達に囲まれて、レベルの高い授業が受けられる。

でも、そこで力を発揮するためには、さらに努力をする必要がある。それができる子ども達が多く集まるからこそ、「難関校」は結果的に難関大学への進学率も高くなるわけであって、そうした土台をつくるものとして中学受験があるのだ。

レベルの高い中学に進むことの目的とは、さらに高度で意味のある勉強をして知識を身に付けること、受験勉強の過程で学習の仕方を学ぶこと、そして人間として成長するためであり、「いい大学へ入るため」ではない。中学・高校、そして大学を通じてしっかりとした知識や思考法を身に付けて、社会に出してあげるためだ。レベルの高い学習ができる環境で身に付けた知識や考え方は、子どもの可能性を大きく広げてくれる。だから、小学生の子どもに受験勉強をさせるのは、決して「かわいそう」なことではない。そして、正しく勉強すれば、努力の先にある喜びを得ることができる。

一般に、親御さんは、ご自分の経験で子供さんの進路云々を決めがちです。経験に基づいて上手くいった例、また上手くいかなかった例を参考にしますから、血を分けた子どもも同様だ、と考えるのはある意味で自然です。しかし、親子は姿・形は似ていても、学び方はそれぞれです。

中学受験のメリットとデメリット

受験勉強は、目標に向かって努力をする、計画を立てて実践していく、難問に粘り強く挑戦する、自分の気持ちをコントロールするなど、様々な経験をすることができる。勉強自体は志望校に合格するためだが、たとえ合格できなくても、実社会に出てから必要なもの、どんな仕事に就いても必ず役に立つものがたくさん詰まっている。受験にせよ仕事にせよ、目的を叶えるために今何が必要なのかを考えて努力できる人間になる。これが一番大事なことではないだろうか。

こうした経験を小学校4年から6年の3年間経験することは、子どもの人生にとって大きな糧になるだろう。また、それをサポートする親も一緒に成長することができる。父親、母親、そして子どもが「3人4脚」で中学受験に臨むことができれば、それは非常に強い家族の絆をつくることにもなる。

しかし、それは「正しい方法」で挑戦した場合に言えることだ。勉強のやり方や親の言い方が間違っていたら、ときには子どもを押しつぶしてしまうこともあるし、親子関係や夫婦関係が険悪になってしまう可能性もある。また志望校に合格できなかった時、子どもに不必要な挫折感だけを残すことにもなる。中学受験にはその両面があることを知ってほしい。

・・・受験は、成功しても失敗しても、長い人生を歩む上で、その後の人生のヒントを与えてくれます。

成功体験はその時で終わりです。次へ進むための一里塚でしかありません。

失敗体験も同様です。「失敗は成功の母」というように、その失敗を次の挑戦への糧にすれば良いだけのことです。

結果の如何に関わらず、済んだことに執着せず、前進していくことが大事です。

posted by at 19:01  | 塾長ブログ

長崎大学教育学部附属小学校・私立小学校受験で身につけること3

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
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幼稚園受験、小学校受験には手先の巧緻性が大事だと
考えています。
製作や手先の器用さ緻密さだけが巧緻性とは思いません。
丁寧に取り組む。
正確に行う。
とても大事なことです。
ゆっくり過ぎても駄目です。

きちんとできるようになるまで
毎回徹底して取り組ませています。
「受験前日まで何度も何度も自宅で確認しました。
試験当日、附属小学校の試験官の先生に「素晴らしい!」と
お褒めの言葉をもらいました。
羅針塾学習塾の先生方が「とても大事だから」と
諦めずに取り組ませてくださったことを
本当に感謝しています。」

小学生になると、幼稚園や保育園のように先生方は
手を貸してくれません。
何事も自分自身で責任を持って
学校生活を送らないといけません。
ならば、日頃の生活・学びの中から
取り組まないといけません。

「ハキハキ!元気!賢い子」

手先を使う、丁寧に生活をする。
何事も自分自身で取り組まないと身につきません。
「お母さん、手を貸さないで子供にさせてください。」
何度も何度も伝えます。

手を離れていくと、どんどん上手になっていく
幼児さん達。
やはり、自立は少しづつ見守ることから始まります。
できないときは考えて何度も何度も
できるようにコツを掴むまで
取り組んでいくことが
賢くなる一歩です。

 

posted by at 10:00  | 学習塾・幼児教育

早大の政経学部入試で「数学」必須へ

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、塾生の関心や理解度に応じて、年齢如何に関わらず様々な問いかけをしています。その応えにはそれぞれ個性が表れていて、思わず笑みが零れることも多々有ります。幼くても論理的な話をする塾生には驚きとともに、可能性の高さを感じます。

小暑の空

 

さて、以下の記事が目に付き、やっとそういうご時世になって来たのかなと興味深く思いましたので、サイエンスライターの竹内薫氏のブログから引用してご紹介します。

早大の政経学部入試で「数学」必須へ。加速する世界の「数学化」https://www.mag2.com/p/news/363603?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000125_tue&utm_campaign=mag_9999_0710&l=yxt059d94b

 

私立大学の最難関・早稲田大学政治経済学部の入試で、数学が必須化されることが大きな話題となっています。「文系の雄」ともいわれる同学部入試に数学を課す意味はどこにあるのでしょうか。(中略)

VISION:なぜ早大は政経学部の入試で「数学」を必須にするのか?

ここのところ、2020年度からの大学入試「改革」に関するニュースが目白押しだ。いったいなぜ、大学入試改革は進められているのか? 早稲田大学の政経学部といえば、日本社会に有能な人材を輩出し続けてきた「文系」の名門だが、なぜこのタイミングで数学を必須にしたのだろう?

答えは明白だ。「そうしないと世界との競争に負けてしまうから」である。改革の旗振り役の文科省だけでなく、各大学とも、実は背水の陣で戦いに臨んでいるのだ。

その戦いの場は、もちろん、急激に進行しつつある第四次産業革命である。イギリスでは2014年にプログラミングの義務教育化(5歳~16歳)が断行された。アメリカのGoogleはたった一社で、世界の人工知能(AI)研究者・開発者の約1割を雇用していると言われる。仮想通貨が「億り人」と呼ばれる億万長者を生み、世界中の中央銀行に戦いを挑んでいる。

AIも仮想通貨も、すべてはプログラミングの世界の出来事だ。そして、そのプログラミングを根底で支えているのは、当然のことながら数学」なのである。

つまり、早稲田大学の政経学部が入試で数学を必須にした背景には、「これからの世界では、プログラミングと数学の技能に秀でていない限り社会の舵取りなど不可能だ」という、第四次産業革命の厳しい宿命があるわけだ。

早稲田大学の政経学部が社会に送り出すべきは、革命期の世界において、日本の舵取りをする優秀な人材であろう。人間の仕事の半分をAIが代替するような世界において、国や企業が進路を誤らないためには、ワードやエクセルが使える程度のコンピュータ・リテラシーでは全然足りない。AIを怖がらず自らの外部脳として使いこなせるだけの能力が必須なのだ。

このような観点からは、須賀晃一学部長の「基礎的な力と同時に、論理的思考力を身につけた学生に来てもらいたい」という発言は少々気になるところだ。いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。

真の論理力はプログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。

第一次産業革命後、第二次・第三次産業革命で世界の後塵を拝し、「英国病」などと揶揄されたイギリスで、すでに始まっているプログラミングの義務教育が何を意味するのか、あるいはアメリカのMITが開発した幼児用のプログラミング言語スクラッチジュニアがどう世界を変えるのか。大きく出遅れてしまった日本はこれから必死で巻き返しを図らない限り世界の二流国への転落は必至だ。

もう一つ心配なのは、

『共通テストの外国語、国語、「数学1・数学A」を必須とし、さらに地理歴史、公民、理科、「数学2・数学B」の中から一つを選ぶ。このほか、英語民間試験と学部独自に行う日本語や英語の長文読解で受験生を選抜する。』

という選抜方法だ。これらの技能は、150年前の明治維新において、プロシアから輸入した「暗記型スキル」の試験であり、残念ながらAIが最も得意とする分野なのである。

世界の一流大学では、もはや、このような旧態依然とした選抜体制は取っていない。たしかにペーパーテストはあるが、アドミッション・オフィスは、自分の大学の卒業生たちの助けを借りて、探究心のある自律型の学生を徹底的に面接し、「創造的で多様な人材」を確保することに力を注いでいる。ペーパーテストだけでは、「暗記力に頼る均一な人材」を優先的に選抜することになってしまい、AI時代にそぐわないからだ。

少々、辛口に過ぎたかもしれないが、今回の入試改革は、「初めの一歩」だと考えれば、政経学部で数学を必須にしたこと自体は、大いに評価できる。実際、最新の経済学の教科書には、これまで物理学科でしか教わることのなかった「ラグランジアンという関数が登場している御時世なのだ(ラグランジアンは経済学では、費用を意味する)。

もはや、文系・理系という区分は無意味だ。世界はひたすら数学化(情報科、プログラミング化)されてゆく。誰もこの怒濤の流れから逃れることはできない。

 

「いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。

真の論理力はプログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。」

・・・なんと明確な指摘でしょうか。巷では、『論理的思考力』は logical thinking(ロジカル シンキング)の訳語として様々取り上げられる言葉です。曰く、「論理に基づいて思考する能力(の高さ)という意味で用いられる表現。道理や筋道に則って思考を巡らせて結論を導いたり、あるいは複雑な事柄を分かりやすく説明できる能力」として主に捉えられています。

この力は、一朝一夕に身につくものでは有りません。幼いときから、親や周りの大人達との日々の生活の会話の中で、自然と身につけていくものです。当然、親は意識してそのような環境を作るべく腐心する必要があります。

posted by at 08:04  | 塾長ブログ
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