国立幼稚園受験・小学校受験に大事な季節の学び

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

幼児さんが受験に取り組む時、必要な知識が色々とあります。
その中の一つが「季節」です。ただ、春・夏・秋・冬だけでなく
行事や草花、旬の食材等々季節に関する事が必要です。
私達の生活は便利になり、四季を感じ四季によってと生活することが
なくなりました。
おじいちゃん、おばあちゃん世代でも、
四季折々習わしを知らない
やったことがないという方も多く、
周りから学べないという環境になってきました。

その中で親子で学ぶということは大事なことと思います。
季節によって、季節ならでは。を体験して
これからの生活に取り入れてもらいたい。
一つ一つの行いが子供達に「考える」「自立して行動する」に
繋がっていくと思います。

「ハキハキ!元気!賢い子」

羅針塾学習塾には二十四節気の暦を貼っています。
塾生さん達は「今日は・・・」と眺めていますよ。
その時に覚えていなくても大人になる頃に
「あっ!そうだった!」と気づいてもらえるように。
賢くなるヒントを沢山散りばめています。

机の上のプリントを沢山解いても賢くはなりません。
「なぜか?」「どうしてか?」にしっかりと時間をかける。
その道筋がこれからの子供達に必要な力です。

posted by at 10:49  | 学習塾・幼児教育

長崎市 私立小学校のオープンスクールが始まります。

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
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いよいよ今年度も私立小学校のオープンスクールが始まります。
私立三校が同日にあるという・・・何とも・・・
何校も観たいと悩んでいる御家庭には難しい選択を。ですね。
羅針塾学習塾の塾生さん達の御家庭には
各御家庭の教育方針、目指すべき所、生活スタイルなどなど
お話をお伺いしていますので
こちらの学校に行って観たら?と御提案をしています。
「先生方が提案してくださったことがよく理解できました。」と
毎年お話を伺います。

オープンスクールへは、ただ行ってみようかな。
観てみようかなでは、参観のポイントが掴めません。
その後、小学校受験をするときに大切なことを
沢山つかんでこないといけません。
オープンスクールに行く時から受験は始まっています。
昨年は、オープンスクールに何を着る?というブログを書きました。
https://rashinjyuku.com/wp/post-162/  昨年受験生のお母様達から
「やっぱり、先生方の良いよ!という学校に参加されている
保護者の皆さんは意識が高い方が多かったです。
それと同時に長崎はまだまだという意味もよく理解できました。」

「ハキハキ!元気!賢い子」

子供の為に。これからを考える時に
小学校受験という一つの選択肢が出てきます。
長崎はあまりにも情報がないのも現実。
偏った情報があるのも現実です。
受験を考えているのですが・・どうしましょう。
どうぞ御相談に来てくださいませ。
沢山のどうしよう?や疑問にお答えすることが出来ると
思いますよ。

オープンスクールへの一歩は大事な一歩です。
しっかりと準備して臨むことが大切です。

 

posted by at 16:24  | 学習塾・幼児教育

成績が下がりだす時

長崎市五島町にある羅針塾学習塾・幼児教室です。
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今までは何とかトップクラスだったけれど、今学年は違うなあ・・・何だか成績が下がってきているような・・・
どの学年にもあることです。幼児期にも見られる傾向です。
何の差か?
「しっかりと丁寧に読む」ということ。「音読」です。
一言一句間違えずに読む。しっかりと読み込む。
幼児さんなら読むとと同時に字の形を見て覚えていく。
読みながら形を見極める。
実は数学的な学びもおこなっています。

成績が下がりだす時
「読むことが甘い時」です。
どの教科でもしっかりと読む。
すると・・・
聞かれたことに的確に考える。ようになります。
しっかりと伝えることができるようになると考えます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

しっかりと読むことができる子は
幼児さんでも論理的な話を私達とします。
5W1Hで受け答えができます。
日々、いろんな文章に触れ
たくさんの会話をし、意見を言い合う。
そして赤ちゃん扱い、子供扱いをしない。
小学生でも中学生でも大切なことです。

しっかりと読み考えることが出来る子は
どんな問題でも根気強く向き合っていきます。
読めない子は集中力がない。
だからこそ、いい文章を沢山読む。
賢い子の為に!必要なことです。

買い物途中にあまりの良い景色に一枚。
一枚の写真からどんなストーリーが生まれるでしょうか。
みんなに聞いてみよう!!

posted by at 19:27  | 学習塾・幼児教育

祖母の教え 歴史散歩 平戸4

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、幼児期の躾や教育の重要性を常々指摘していますが、この度の歴史散歩に訪れた松浦資料博物館(http://www.matsura.or.jp)にも、その貴重な資料を見付けました。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」の言葉で有名な松浦青山(1760~1841:大著『甲子夜話』を著した文武両道の平戸藩第九代藩主)。

平戸藩世嗣・松浦政信の長男として生まれ、父の早世に伴って静山は、12歳で祖父・誠信(八代藩主)の養嗣子となり、16歳で家督を相続。
柳生石舟斎から新陰流兵法を伝授された徳川家康など、江戸初期以前には武芸達者な将軍や大名も少なからずいたが、静山は江戸中期の泰平の世にあって「心形刀流」を究めて印可を受けた。そのほか弓・馬・槍術や柔術まで武芸全般の修行を積んだ経験を持つ。

幼い頃から記憶力に優れ学問を愛した静山ですが、いつまで生きられるかと危ぶまれるほどに病弱でした。その虚弱な体質を克服するため、教育にあたった祖母が文武両道を説いたとされます。その祖母夫人 久昌院の訓戒書が掛け軸として遺されています。

松浦清(静山)候祖母婦人久昌院 訓誡書

 

その内容は(上記写真上段)、

一 神仏常に御信心御志の御こと

一 ご先祖御大事に御心がけの御こと

一 物ごと御堪忍第一の御こと

一 諸人にあいきょうなければ何事も諸願成就なりがたし

一 上として下町人などより必ずに金銀決してお取りなされまじく候、上の好み候ところより下取り入りたがり候世の中に御座候まま、ところ御心ずけらるべく候

一 第一氣丈夫に御持ちなられ候御こと

一 御身御養生第一にござ候、ほかの病氣は養生次第あい直り候えども不養生の病氣仏神の祈祷、薬にても直り申さず候、とかく不養生なき御こと第一にござ候

一 ほめ候者はわがあだなり

一 そしる者は我が師なりと申すことござ候

一 とかく物ごと氣長にお心得なさるべく候、氣ぜわしくござ候は養生にあいなり申さず候

一 万民おあわれえみの御志第一にござ候、召使われ候者もとかくへだてなくお使いになられるべく候、この趣たえずお心にかけられ候えかしと心ずき候まましたためあげ申し候、めでたくお家御相続ならるべく候、めでたく候

吉日

と、あります。十一条後段に祖母婦人久昌院の切なる心遣いが表れていますし、大切に育ててきた孫君が無事家督相続出来たことを寿いでいます。江戸の商家出身の祖母がさばけた性格で、大名家の教育方法に固執しなかったのが幸いしたとも言われています。

その幼児期からの教育宜しく、

清(静山)、が藩主となった頃、平戸藩は財政窮乏のために藩政改革の必要に迫られていました。このため清(静山)は『財政法鑑』や『国用法典』を著わし、財政再建と藩政改革の方針と心構えを定めました。そして経費節減や行政組織の簡素化や効率化、農具・牛馬の貸与制度、人材の登用などに務めています。

更に、安永八年(1779)藩校・維新館を設立して自ら学を講じるとともに武芸の普及を図ります。また藩政の改革を進めるため、身分にとらわれない人材登用も行いました。47歳で家督を三男に譲って隠居し、以後は執筆活動に従事。1821年の甲子の日の夜に起草した『甲子夜話』は亡くなるまで毎夜書き足され、278巻に及びます。

 

甲子夜話(長崎県指定文化財)

 

 

上記写真の説明書きには、

「甲子夜話」は静山が隠居後の文政4年(1821)、師である儒学者林述斎(1768〜1841)の勧めにより、天保12年(1841)に死去するまでの20年間にわたり家橘ずったものである。合計278巻に及ぶ膨大な著書となった。分野は当時の自然現象、社会風俗、人物、法制、宗教、外国関係、狐狸妖怪など広範囲におよんで記述されており、江戸時代を代表する情報誌、随筆集として賞賛されている。大塩平八郎の乱、シーボルト事件、鼠小僧の活動の様子なども詳細に記されており大変興味深い。

と、あります。

現在まで続く、松浦家の名君静山を育んだ幼少期の教育

十一条の訓誡それぞれに意義があります。

神仏の信心、先祖の尊重、堪忍(耐え忍ぶこと)、愛敬(愛し敬うこと)、氣丈夫(心や精神の強さ)、養生第一(摂生:適度な飲食、規則正しい日常生活の心掛け)、褒め言葉は仇(害悪)、謗りは師、気持ちを気長に保つ、人と分け隔てなく接する

・・・これらは、現在の幼児期の教育にも必要です。当然、それを伝える親御さんから日々実践すべきことでもあります。

 

 

 

posted by at 09:04  | 塾長ブログ

学ぶことと視点 歴史散歩 平戸3

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生は何事にも自主的に取り組む姿勢を身につけて欲しいと考えます。限られた時間の中で効率よく行動するのも習慣付けが必要ですし、自ら進んで行えば気持ちの良いものです。

さて、松浦資料博物館で様々な展示物を見ていると、何度か「成る程!」と思わず呟くことがありました。切支丹の歴史もその一つです。豊臣秀吉の禁教令(1587年)による所謂「二十六聖人」の殉教はよく知られています。その後の元和八年(1622)、長崎の西坂での切支丹信徒の同時処刑の絵図は、複製とは言え、なんとも言えない感慨が生じました。

元和八年長崎大殉教図

上図の説明書きには、

元和八年長崎大殉教図 複製 原本:イタリア内務省宗教建造物基金(ジェズ教会)蔵

元和八年(1622)、長崎の西坂で55人のキリスト教徒と宣教師が火刑と斬首で処刑された。この処刑の様子を見ていた日本人の修道士がスケッチし、マカオで完成させてローマに送られたと言われる。殉教する人々の中には女性や子供の姿も描かれている。またこの絵の下部左端には、平戸松浦家の船と考えられる三つ星の家紋が描かれた船が見られる。

・・・とあります。平戸松浦藩のキリスト教との縁は、天文18(1549)年にフランシスコ・ザビエルが薩摩(鹿児島)に来航した後、天文19(1550)年に平戸を訪れることから始まります。時の領主松浦隆信はポルトガル船の来航は貿易面から歓迎しますが、切支丹には好意的ではなく、布教活動が盛んになると軋轢が生じることになります。

その後、江戸初期の寛永14(1637)年の島原の乱を経て、鎮圧1年半後、所謂「鎖国」が始まります。

 

 

ところで、日本の切支丹の歴史を紐解くと、時の権力者の豊臣秀吉や徳川家康による切支丹の信教に対する圧制ばかりが強調されますが、物事にはその裏の事情や背景があります。少なくとも、歴史の教科書レベルでは、触れられていないことが多々あります。

その点を面白い視点で書いてあるコラムを見つけました。週刊新潮の名物コラム「変見自在」(5月24日号)からの引用です。

「隠れの精神」  高山正之(ジャーナリスト・コラムニスト)

ローマはアフロディテの息子アエネアスが建国した。

だからローマ市民はギリシャの神々を信仰した。

シーザーはアポロン神を祀る神官の家柄だった。

ローマは中東、エジプトへと版図を広げたが、ローマ市民は征服先の神々も気が合えばどんどん招き入れて信仰した。

エジプトのイシス神は航海の守護女神として信仰を集め、東方のミトラ神も多くの信者を得た。

どんな神も歓迎したローマ市民だがキリスト教だけはその狭量さがどうにも嫌で受け入れなかった。

使徒ペテロも布教を諦めてアッピア街道を下っていくとローマに向かうイエスとすれ違った。

「主よ、いずこへ(クオパディス)」とペテロが問う。主は答えて「お前が諦めたローマに行く」とあてつけた。

そう言われたらペテロもしょうがない。ローマに戻り、捕まって逆さ十字の磔で苦しんで死んでいった。

殺されても信仰を捨てるなとイエスは言う。その狭量さをペテロも最後は憎んだことだろう。

そういう受難を喜ぶ変態性ゆえにキリスト教は300年を耐え抜き、ローマの国教に認められた。

途端に不寛容な性格が剥き出しになる。イシス神を叩き潰し、ギリシャの神々も追い、その聖地デルフォイは破壊されてキリスト教の教会が建てられた。

ミトラ神も破壊され、この神の誕生日12月25日はイエスが横取りした。

神々を殺し尽くしたキリスト教徒は海を歩いて渡れるイエスの奇跡を吹聴した。

それを聞いてアレクサンドリア図書館の女流学者ヒュパティアは「迷信を真実と教えてはならない」と厳しく批判した。

怒った信徒が彼女を襲い、裸にして牡蠣の貝殻で彼女の肉を削って殺した。

信徒たちは図書館も焼き払い、ギリシャ文化が育んだ数学、科学、哲学はこのとき完全に消滅した。

キリスト教の天下が始まると、そこは不寛容宗教だから些細な教義の違いも許せない。喧嘩して、カソリックと東方正教会が分裂し、新教旧教に分かれ、お互い殺し合った。

再洗礼派はどちらからも憎まれて殺された。

ローマ市民はネロが偉かったことを改めて痛感したがもう手遅れだった。

そんな忌まわしい宗教がやがて日本にもきた。信長は八百万(やおよろず)の神々にもう一人増えてもいいと思った。

しかし布教が許されると伴天連(ばてれん)どもはローマでやったのと同じに毘沙門天も八幡様も悉く打ち壊し、坊主たちを刻んで殺した。

伴天連は切支丹(キリシタン)大名に戦争をやらせ、日本にはなかった捕虜を取ることを教えた。捕虜は海外に奴隷として売り払った。キリシタンはビジネスでもあった。

秀吉は怒った。伴天連に奴隷商売をやめろと言った。神社やお寺とも仲良く暮らせ、さもないとこの国から追い出すと言った。世に言う伴天連追放令だ。

イエズス会のコエリヨはそれを鼻で嗤い、切支丹大名を糾合して秀吉を倒そうとまでした。

秀吉の跡を継いだ家康も同じ思いだった。民に棄教を勧め、家光の時代までかけてキリスト教を日本からきっちり追い出した。

ローマもできなかった特記すべき偉業だった。おかげで日本では現代に至るまでつまらぬ宗教戦争は一度も起こらずにすんだ。

信徒の多くは棄教してまともになったが、五島列島の一部の人たちは慈母観音をマリアに見立ててひっそり信仰を続けた。

イエスは苦難の道を歩め、ペテロの如く死ね、それが正しい信仰だと言った。

だから「隠れ」信仰などイエスの中にはあり得ようもなかったが、彼らは気にしなかった。ひっそり信仰していればいい。表に出て八幡様の社に火を放ち、磔にかかることが信心とは考えていない風だった。

世に言う「隠れ切支丹」が今度ユネスコの世界文化遺産に登録される。

日本は野蛮、切支丹迫害の象徴のように言って喜ぶ連中もいるが、むしろ「隠れ」の精神こそ狭量で殺し合い好きのキリスト教徒が学ぶべき形ではないのか。

posted by at 19:30  | 塾長ブログ
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