「教育改革は焦眉の急」

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、日々子供さん達の躾や教育に腐心されているお母さん方と話を致します。我が子であっても全く異なる人格を持つわけですから、性格や長所・短所を踏まえて、善き方向へ導いていかなければなりません。その際に、「我儘」をどの様にコントロールするかが鍵になります。

さて、筆者が日頃から読んでいる、国際ニュース解説と評論記事のブログ「AC通信」(Andy Chang氏主宰)からの引用です。

「教育改革は焦眉の急」(AC論説 No.684)http://melma.com/backnumber_53999_6657824/

教育改革の重要性が各国で討論されている。21世紀の大きな問題は若者の教養が明らかに低下していることだ。生活水準が向上し、食べ物も服装もよくなり、車も普及したが若者の教養が向上したとは思えない。教養とは知識の蓄積と、その知識を使ってものごとを考える力である。

スマホでメールやゲームや音楽を聴くことは出来ても遊んでばかりいると人間関係が希薄となり、社会的判断力が低下する。最近では教養のない若者が何か不満があるとすぐに集まって街頭でデモをやるようになった。だが街頭デモで気勢を上げても政治行動としては非効率なものである。デモ集会で国家が良くなるはずがない。

アメリカでは「読み書きそろばん」が出来ない大学卒も居るそうだ。台湾で近話題になったのは、大学入試の英語で100点満点をとった学生が17人居たが、0点を取った学生がなんと14,500人も居たと言う。大学入試を受けた高校卒業生の英語がこれほど貧弱とはオドロキだ。彼らは英語だけ出来ないのではなく、他の科目もダメだと思う。

高校卒の品質低下は国民の品質低下につながる。頭のよい17人が憲法改正を提唱しても、一万人以上の知識の低い人間が憲法を改正したら戦争になると言えば憲法改正は出来っこない。国民全体の知識水準を高める教育改正は焦眉の急である。

●社会文化の低下

昔は電車や汽車に中で本を読む人が多かったが、最近では90%がスマホでメールやゲームをやっている。メールやゲームで遊んでも知識を増やすことは出来ない。若者が本を読まないから出版社や書店の閉鎖が増えている。本を読まないと知識を得ることが出来ない。教養のない人間が増えると社会文化が低下する。科学の進歩が「一億総白痴」を生むとは皮肉なことだ。

物資が豊富になったから、生活に困らない程度の読み書きさえできれば個人の生活に困ることはない。しかし個人の需要は社会に共通の知識道徳とは違う。若者の教養が低下すれば社会文化の崩壊が起きる。

スマホが便利になって何でもスマホで検索すれば答えが出て来る。しかし検索した知識は個人の知識にはならず、人の思索に役立たない。昔の言葉で言えば軽薄な人間が増えるだけだ。

●文明とは国民全体の教養程度である

物資が豊富になって生活が楽になったけれど、人間として思考を満足させる生活、つまり社会に共通する宗教、道徳、学問、芸術など精神面の生活が豊かになったとは言えない。だから教育改革、物事を考える力を豊富にする教育が大切なのだ。

考える力を増すには本を読むことが第一である。スマホの普及で人が本を読まなくなったら思考力が衰える。思考力とは知識を蓄積し、その知識を使って日常生活で直面する事物を判断する能力である。

教養とは自分の知識を使って「なぜ(Why)」と考え、「どうして(How)」と理論づける能力だ。それが満足にできるようにするのが知識の蓄積、つまり教育である。本を読むことと実地に体験をすること、これが教育の本分である。読書とは本に書いてある「他人の知識と経験」から学ぶこと、体験とは自分で「なぜ、どうして、どうしたらよいか」を学ぶことだ。

●学費免除とゆとり教育は間違いだ

大学まで学費無料を主張する政治家も居るが、学費無料とゆとり教育は教育の失敗のもとである。この半世紀のあいだに世界諸国では高校卒業まで学費無料にした結果、学生の教育程度が下落した。大学も学費無料にしたらそれこそ税金の無駄遣いの上に大学の程度が低下する。

ゆとり教育が提唱されて以来、アメリカ、日本、台湾などで学生の質が下落した結果が出ている。大学でも学費無料にすれば大学卒業生の品質がさらに低下するだけである。ゆとりとは甘やかすことにほかならない。ゆとり教育で若者は勉強せず学習する気も無くなったと言える。

学費無料化より、高校生の学費を成績で決めるのが学習意欲を増進させる道である。つまり成績に比例して学費を払う制度である。成績をABCDとFで評価し、不合格Fなら次の学期は学費の100%を払う、Dの辛うじて合格なら50%払うとすべきである。落第(留年)なら全額自己負担にすればみんな真面目に勉強するはずだ。

奨学金制度を導入すれば学生は勉強する。ゆとり教育で学費無料にすればたとえ勉強してもしなくても卒業するから真面目に勉強しない。私がアメリカに留学したときはまだ奨学金制度があったので、われわれ留学生は必死に勉強して奨学金を貰ったものだ。この経験からして学費無料化は学生の素質を低下させる最大の原因と断言できる

●英語を普及させる

台湾で問題になった英語の学力低下である人が以下のような提言をした。
台湾人は日常生活にいろいろな日本語の単語を使っている。例えば「セビロ」とか「ビール」、「ダンス」、「オートバイ」などである。だから彼はそれなら日常会話に英単語を取り入れれば英語がうまくなるだろうと言う。

私はこの提言に反対である。日本語の単語が出来ても日本語ができるのとは違う。それぞれの言語にはそれぞれの文法があって、文法が出来なければ出来ることにならない。例えば台湾人が日本に旅行して「運ちゃん」とか「おじさん」などと言ったとしても日本語ができたのではなく、むしろ無知、無教養をさらけ出しただけだ。言語の習得には「読む、書く、話す、聞く」を習う必要があり、単語だけではダメだ。

勉学に近道はない、教育に近道はない。国民の教養水準を高めるには国民教育の改革が焦眉の急である。

・・・筆者の勝手な推測ですが、Andy Chang氏は、戦前の日本の教育を受けられて、米国に留学され、定住されておられる台湾の方のようです。刻苦勉励して一廉(ひとかど)の方になられ、ブログを通して世の中に警鐘を鳴らされている、とお見受けします。ご紹介しました上記のお話は筆者も同様の懸念を持っています。一旦、国の教育の力を落とすと、それを是正するには大変な努力が要ります。世界の先進国でも日本同様、教育に対する懸念が起きています。

posted by at 14:35  | 塾長ブログ

兄弟姉妹も一緒に。

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

春期講習の面談中・・こんな言葉をよく聞きます。
「春期講習だけでも兄弟姉妹一緒に来させても良いですか?」
兄弟姉妹の誰かが羅針塾学習塾に来ていると
「私も!」「なんで、僕は行けないの?」となってしまうそう。
通塾している兄弟姉妹さん達が
「羅針塾学習塾は面白い!っ」って家に帰って言っているらしい・・・
取り組むことは「勉強」なのですが・・
他の塾とは違うようです。

特に羅針塾学習塾の長期休暇による講習は他塾とは異なると思います。
初めて講習を受けるお母様達は
「ええ〜っ!!こんなことをってするんですか。」って思わず言ってしまいます。

塾生さん達はいつも異なる学びに
「何だろう・・・・」って。
机上で悶々と解くばかりではなく
色んな形で五感をフルに使います。
そして、一問一問を丁寧に。
長期休暇の講習が終わる頃には
「理解力・表現力・応用力」がグーンと伸びるのです。
揺るがない基礎を作ります。

「ハキハキ!元気!賢い子」
兄弟姉妹、同じように賢くさせたい。
誰しも考えます。
良い!と思えば幼い時からでも通塾します。
そのほうが効果は絶大です。
幼児期からの正しい学びは大事なのです。
その後、志を立てるときに差が出てきます。
無限の可能性を秘めた子供達が
今日も賑やかに通塾します。

posted by at 11:17  | 学習塾・幼児教育

旅立ちの日

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

御卒園、御卒業みなさんおめでとうございます。
明日、小学校を卒業する塾生さんから通知表を見せてもらいました。
成績がグーンと伸びていました。よかったね。
どうしても成績を上げたい!と言っていた「国語」バッチリな結果です。
羅針塾学習塾に通塾し、一所懸命に前向きに取り組んだことが
成果として現れていました。中学生になってからの頑張りを楽しみにしていますよ。

春期講習の面談が始まっています。
今学期の成長を確認できる楽しみな時間でもあります。

これからどのようにすればいいか。
気をつけることは何か。
優先順位はどれか。
日常生活の悩み。等々
お話を伺い情報を共有していきます。
限りある可能性を伸ばす為に。

「先生。出来るようになるって楽しいね。」
「家でも自主的に机に向き合うようになりました。
よく頑張って成果が出ています。春休みもこの調子で続けて欲しいです。」

嬉しい声が聞こえてきます。
お母様達が自宅で何が出来、何が出来ないか?を
よく把握している証拠です。
一つ一つ階段を登るように。
丁寧に丁寧に。
日々を怠らず。です。

「ハキハキ!元気!賢い子」

日々の努力は怠ってはいけません。
「学ぶ」ことをからも逃げられない。
いい学校に入れたい。いい成績で。いい仕事を。
やはり、努力に勝る天才はいません。
努力を怠ればジェットコースターのように落ちるのです。
「今」何が必要か。
何を学ばせるべきか。
一人一人の個性を見極めながら今回の講習も望みたいと考えています。

卒園しましたよ〜って 家族写真が届きました。
おめでとうございます。
この前までベビーカーで来てなかった??
春からは立派な小学生です。
制服姿を楽しみにしています。

posted by at 19:12  | 学習塾・幼児教育

小学校学年末の学び

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

学年末試験に向けての学びが日々続いています。
一人一人に合わせて問題をピックアップし
取り組ませています。
各学年に重要な学びがあります。
中学校に向けて準備の学びがあります。
基本基礎を丁寧に説きすすめていくことが大切です。
小学校の日々の積み重ねが中学以降の成績に現れます。

「小学校一年生の時には、学校の宿題や塾のちょっとした宿題が残ると
泣きながら帰っていたのに。日々の訓練のおかげで
勉強が残っていても自宅でサッサと取り組むようになりました。
その結果が学校の成績にも、漢字検定・算数検定の結果にも
反映されています。
本当にコツコツとできるようになりました。」

羅針塾学習塾では学校の学びが大切と考えています。
日々の学びを完璧に覚えている子は成績も優秀です。
しかし、どの学校行事が多い。
子供達は習い事が多い。
低学年から「受験」「受験」と詰め込まれていく。
疲れている子供が多いのが現状です。

「ハキハキ!元気!賢い子」
本当の「勉強の楽しさ」を知らない子が多すぎなような気がします。
「こんなことが書いてあったから調べてみよう」
「あそこに行きたいから計画を立ててみよう」
「これを作ってみよう」
余裕がなく疲れていると「学び」に対しての発展がありません。
ただただ、タラタラと解いている。そんな感じです。
羅針塾学習塾の学びは
自主的に。しっかりと考えて。次の学びに結びつくように。
一人一人の将来の為に。
なんとなくではなく。「わかった!楽しい!」になるまで
向き合っています。

posted by at 10:21  | 学習塾・幼児教育

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 16

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の「音読」の確認を筆者がします。音読の出来具合で、塾生のその日の調子や、内容の理解の確認をします。筆者が学んだ小学校高学年の恩師は、音読の重要さを常々語っておられました。句読点、間のあけ方、登場人物の心情などを表現するよう指示されました。

最近の子供さん方は、鼻呼吸できないことが多く、その矯正から音読は始まります。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

  Section 2 – From the end of isolationism to the Meiji Restoration

Topic 49 – Commodore Perry and the opening of Japan to the West

What events forced Japan to open its doors to the outside world?

The arrival of Perry

In June 1853 (Kaei 6), four heavily-armed American warships, dubbed “black ships” by the Japanese, appeared at the entrance of Edo Bay off the coast of Uraga (in modern-day Kanagawa Prefecture). The commander of this fleet was Commodore Matthew C. Perry, who carried an official letter from the President of the United States.

The shogunate was left with little choice but to accept the letter, which demanded that Americans sailing in the Pacific Ocean be allowed to enter Japanese ports if their steamships required food and water or were shipwrecked by a typhoon. Perry departed after informing the Japanese that he would return the following year to receive their reply.1

*1=If Japan refused to end its policy of isolationism, Perry planned to occupy the port of Okinawa as a storage site for steamship coal.

ペリーの2回の来航  ペリーは1852.11.24にアメリカ東岸ノーフォークから出発から出発。アフリカ南部やシンガポールを経由してマカオ・香港に到着。

 

 第2節 開国から明治維新へ

49 ペリーの来航と開国

 日本が開国せざるを得なくなった経緯は、どのようなものだったのだろうか。

ペリーの来航

 1853(嘉永6)年6月、4隻の巨大な軍艦(黒船)が、江戸湾の入り口の裏が(神奈川県)沖に姿をあらわした。率いるのはアメリカの海軍提督ペリーで、大統領の国書を携えていた。

 幕府はやむなく国書を受け取った。国書には太平洋を航行する蒸気船が食料や水を補給したり台風で遭難したりしたとき、日本の港に入ることを認めよと記されてあった。ペリーは回答を得るため、翌年また訪れることを告げて立ち去った*1。

*1=ペリーは幕府が開国を拒否した場合でも、蒸気船の燃料の貯蔵のために琉球の港を占拠する考えだった。

 

Elder Abe Masahiro’s dilemma

Once Perry had departed, Elder Abe Masahiro agonized over resolving the unprecedented crisis confronting Japan. Up to then, Western ships approaching Japan had been driven off with cannon fire. This policy was called joi, which means “expel the barbarians”. However, it was not possible for the shogunate to simply reject Perry’s demands, given the overwhelming military superiority of the US Navy. Even though the shogunate held the exclusive right to conduct diplomacy with foreign countries, Abe decided to break with tradition and solicit the views of the Imperial Court, the daimyo, and even the shogun’s retainers. Simultaneously, he ordered the creation of Odaiba, an artificial island in Edo Bay to be used as an artillery emplacement, and lifted the prohibition on construction of large ships. Though the daimyo had no useful ideas on the issue of national defense, the very act of consulting them enhanced their political influence over the shogunate. As the strength of the shogunate declined, the prestige of the Imperial Court also increased.

老中阿部正弘の苦悩 

 ペリーが去った後、老中・阿部正弘は、未曾有の国難に直面して頭を悩ませた。要求を拒否し、外国船を武力で打ち払う攘夷は、圧倒的な軍事力の差のもとで不可能だった。外交はばむふの専権事項だったが、安倍は慣例を破り、朝廷をはじめとして、諸大名から幕臣に至るまで、国防についての意見を求めた。その一方で、お台場(砲台を据えた人口の島)をつくらせ、大船建造の禁を解いた。諸大名らには名案はなかったが、幕政に対する発言力を強め、朝廷の権威が高まり、幕府の統制力は低下していった。

ペリー提督・横浜上陸の図 1854年2月、ペリーの第二回来航。前年を上回る7隻(後に9隻)の艦隊を引き連れ、約500名の兵士が儀仗兵のいでたちで上陸。その整然とした隊列の動きは、さらに日本側を威圧した。

 

What Did Perry Think of the Japanese People?
(Excerpts from Perry’s Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)

“The people are universally taught to read and are eager for information… The Japanese with whom the Americans were brought into communication were not only thoroughly acquainted with their own country, but knew something of the geography, the material progress, and contemporary history of the rest of the world. Questions were frequently asked by the Japanese which proved an information that, considering their isolated situation, was quite remarkable…”

“Once possessed of the acquisitions of the past and present of the civilized world, the Japanese would enter as powerful competitors in the race for mechanical success in the future.”

“The Japanese are hard workers, but they compensate themselves with occasional holidays, and in the evenings and hours of leisure with frequent games and amusements.”

“The young girls are well formed and rather pretty, and have much of that vivacity and self-reliance in manners, which come from a consciousness of dignity, derived from the comparatively high regard in which they are held.”

 

ペリーは日本人をどう見たか(支那海と日本へのアメリカ艦隊遠征のペリーの物語からの抜粋)

 「読み書きが普及しており、見聞を得ることに熱心である。・・・lあれらは自国についてばかりか、他国のチリや物質的進歩、当代の歴史についても何がしかの知識を持っており、我々も多くの質問を受けた。」

「日本人が一度文明世界の過去・現在の技術を有したならば、機械工業の成功を目指す強力なライバルとなるであろう」

「日本人は一所懸命に働くが、時々の祭日を持って埋め合わせをし、また夕方や暇な時には勝負事や娯楽に興じる」

「若い娘は姿よく、とても美しく、立ち居振る舞いは大変活発で自発的である。それは、彼女たちが比較的高い尊敬を受けているために生じる、品位の自覚からくるものである」

・・・ぺリーの日本人に対する観察眼は、冷静で客観的です。1853年当時の世界を見回しても、日本人の識字率の高さや教養(和歌・俳句を日常的に嗜むことなど)は群を抜いていたと推察できます。温和で誠実、人を揶揄しない特性は、今に至るまで現在の日本人に受け継がれています。

阿部正弘(文政2(1819)〜安政4(1857))は、江戸末期の備後福山藩第七代藩主。江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行。嘉永7年(1854)、ペリーの再来により同年3月、日米和親条約を締結、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げました。正弘は江川英龍、勝海舟、大久保忠寛、永井尚志、高島秋帆らを登用して海防の強化に努めました。更に講武所や長崎海軍伝習所、洋学所などを創設しました。後に講武所は日本陸軍、長崎海軍伝習所は日本海軍、洋学所は東京大学の前身となります。また、西洋砲術の推進、大船建造の禁の緩和など幕政改革(安政の改革)に取り組みました。三九歳の若さで亡くなりましたが、日本の改革の先鞭をつけた偉人と言えます。

posted by at 16:54  | 塾長ブログ
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