明治百五十年の意義

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、インターネットを活用して、様々な考えや意見を参照しつつ、物事の見方を学んでいます。平成30年(2018)は、明治維新から百五十年。筆者は中学生の時に、明治百年を慶祝する行事をTVで見た記憶が有ります。小学校の社会で、時の担任の恩師にしっかり日本史を学んだお陰で、当時の中学生のレベルからすると、明治維新の意義を理解していたように思います。では、現在の小学校や中学校の担任の先生方が、明治百五十年の意義を子供達に語れる先生がどれほどおられるでしょうか。余程、自ら日本の歴史を学んだ先生以外は語れないのが当然です。なぜなら、これは現在の先生方のせいではなく、その先生方が、小学生や中学生であった時の先生方や大人達が、日本の歴史を様々な角度から語って来なかったからと考えます。

そこで、このような見方・考え方・歴史観があるのだという意味で、以下のブログの記事をご紹介します。

「西村眞悟の時事通信 http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1405」からの引用です。少々長い論説ですが、原文から何を学べるかという意味合いで、全文を転記致します。

明治天皇御影

天皇と士魂が明治維新を実現した   平成30年1月31日(水)

 

本年、平成三十年が、
京都における「五箇条の御誓文」と「国威宣布の宸翰」の発布、
そして同日の江戸における徳川幕府軍と新政府軍との江戸無血開城合意、
の為された慶応四年戊辰(1868年)三月十四日、
元号改まって明治元年から百五十年。
それ故、世は盛んに、明治維新から百五十年、という。そこで、本年が、明治百五十年であることの意義とは何かを改めて指摘したい。
それは、単なる、「歴史の回顧」としての明治百五十年ではなく、
現在の歴史段階と我が国を取り巻く厳しい内外の情勢の中で、
明治維新が、我が国が国難を克服する生きたモデルとして作用するからである。
明治維新は、現在における国難克服の指針である。
しかも、それは単なる「近代化」のモデルではなく、
日本的変革の指針だ。
即ち、明治維新は、
日本が日本でなくなるための変革ではなく、
日本が日本であり続けるための変革の指針である。
ここに明治百五十年を意識する戦略目的がある。
また、明治維新が、国家の存続のために、
「徳川幕藩体制」から脱却して
近代国民国家になる変革であるならば、
現在の我が国も、国家の存続のために、国家のサバイバルのために、
「戦後体制」=「日本国憲法体制」=「マッカーサー憲法体制」から脱却して、
自立した近代国民国家になる変革を実施しなければならない。よって、この戦略目的の観点から
明治維新を成り立たせた前提を自覚する必要がある。
それは、我が国の
「万世一系の天皇」と「士魂の系譜」である。
そして、我が国の「士魂」とは「万世一系の天皇」と不可分である。
幕末の武士で明治二十一年まで生き山岡鉄舟が言うように、
我が国の「士魂」(武士道)は我が国の開闢(筆者注:開闢(かいびゃく)・・・天地の始まり、世の中の始まり。)とともにある。
我が国の開闢とは、即ち、天照大神(筆者注:あまてらすおおみかみ)の天壌無窮の神勅(筆者注:てんじょうむきゅうのしんちょく)、とともにあるということだ。近来、改革論議が盛んで、
猫も杓子も、選挙が迫れば改革を訴え、
カタカナを使えばうけると思えば「リセット」とも言っている。
ある総理は、構造改革とは郵政民営化です、郵政民営化とは構造改革です、
というような訳の分からんことを言って民衆を煽って成功し、
その成功例をもう一度と、大阪でも東京でも、都構想とか三都物語とか・・・、
民衆を煽る材料には事欠かない。
しかし、これは、結局、人目をひくための芸能プロダクション的集客戦略に過ぎない。
何時までも煽られ続けていれば危うい。
我が日本の真の改革は、
天皇と士魂から生まれる。
このこと、現在の戦後時代では保守反動というレッテルを貼られるのだが、
それこそ、明治維新百五十年であるが故に、自信を持って言っておく。

従って、この観点からみて、
明治維新とは何時なのか、と問われれば、
慶応三年暮れの大政奉還と王政復古の大号令から
五箇条の御誓文と国威宣布(筆者注:こくいせんぷ)の宸翰(筆者注:しんかん 天子直筆の文書)の発布
そして、
徴兵令から廃藩置県を経て
明治十年九月二十四日の城山における西郷南洲の戦死まで、
これが明治維新だとしたい。
西郷南洲は、我が国に「士魂」を残すために死んだからである。

次に、戦後の史観は、マルクス史観に影響されて、
明治維新をフランス革命やプロレタリア革命と同様の次元で把握しようとしている。
しかし、明治維新は、フランス革命やロシア革命とは全く違う。
フランスやロシアの革命は、
過去と切断された無秩序と暴力のなかの殺戮である。
ルイ十六世とニコライ二世の殺害がその象徴である。
これに対して、我が国の明治維新は、王政復古の大号令によって始まった。
また、フランス革命やロシア革命は、
二十一世紀のフランスやロシアの改革の指針にはなり得ないが、
明治維新は二十一世紀の日本改革の指針であり日本的改革の原点である。
さらに、
フランス革命やロシア革命の構造と我が明治維新の構造を同一視して、
フランス革命が王党派とジャコバン派の抗争で、
ロシア革命がブルジョアとプロレタリアの両敵対勢力の抗争であったのと同じように、
明治維新も佐幕派と討幕派の武力衝突が本質であるとして、
討幕派の歴史観ではなく佐幕派の歴史観に立てば、
吉田松陰はテロリストになるというような議論が為されたりするが、
江戸無血開城が成ったことでも明らかなように、
天皇の下での明治維新は、彼ら西洋世界の革命とは全く違う。

ここで、
天皇と日本の淵源である
天照大神の天壌無窮の神勅と
士魂(武士道)の系譜を指摘しておく。

天壌無窮の神勅にある
「宜しく爾皇孫就いてしらせ」即ち「爾、皇孫、就(ゆ)いて、しらせ」
の「しらせ」とう文言に注目する。
この言葉こそ、大日本帝国憲法を起草した井上毅が、
古事記、日本書紀などの我が国の古典を調べ尽くした中で、
最も注目した言葉であろうと思う。
この「しらす」こそ、
天皇の統治の本質である。
しらす、とは・・・
「人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、食うも、知るも、
みな、自分以外にある他の物を、我が身に受け入れて、
他の物と我とが一つになること、即ち、自他の区別がなくなって、
一つにとけこんでしまうこと」(「宮中見聞録」元侍従次長 木下通雄著)である。
つまり、天皇がしらす国、即ち、日本とは、
天皇と国民が溶け合って一つの家族のように自他の区別がなくなる国のことである。
従って、
明治維新の王政復古の大号令とは、
日本を天皇を戴く一つの家族の国に戻す号令であった。

三年間の税収途絶で、ボロボロの着物を着て雨が漏れる廃屋の皇居に住んでいる
仁徳天皇が、
民の竈から煙が上がるのを眺められて「我、すでに富めり」と言われたのは、
まさに、民と自分が一つの家族だと実感されていたからである。
また明治元年の国威宣布の宸翰で
明治天皇が、
「天下億兆一人も其の所を得ざるときは、皆朕が罪なれば」
と言われたのも民とご自分が家族だと思われているからである。
もちろん、敗戦の我が国の津々浦々を巡幸された
昭和天皇も、
東日本大震災の被災地を度々見舞われた
今上陛下も、
皆、国民と家族だと思われている。

これが、日本という国の姿、即ち、國體(筆者注:こくたい 国家の状態、国柄)である。
我が国は、
如何なる「近代化」のなかでも、
如何なる「グローバリゼーション」のなかでも、
この「天皇のしらす国」という國體を維持しなければならない。
これが、日本的改革の要である。

次に、「士魂」であるが、
我が国の士魂は、
この「天皇のしらす国」に生まれた「士魂」である。
従って、「士魂」は、
天皇のもとでの「和」を回復する為の武力(兵法)であり誠心誠意の精鋭である。
即ち、天皇のもとで正々堂々と死ぬことを恐れないことが士魂の根底にある。
ここが、
異民族の殲滅のための武力を前提として、
武とは、敵を欺くこと、
即ち、詭道(きどう)であると説く支那の「孫子」との決定的違いだ。
敵を欺くことを基本姿勢とするとは、結局、死ぬことが怖いのである。

私の心に浮かんだ我が国の「士魂」の系譜を次に記しておく。

・弟橘姫命(筆者注:おとたちばなひめのみこと)・・・日本武尊の為に入水する。即ち、最も清冽で尊い自己犠牲の姿
・文永の役(一二七四)・・・対馬の宗助国ら八十四騎は、
   対馬の小茂田浜に上陸した雲霞の如き蒙古勢に微笑みながら突撃して玉砕した。
・湊川の戦い(一三三六)・・・楠正成ら七百騎玉砕、七生報国を誓う、以後、挙族殉皇
・徳川光圀の湊川建碑(元禄五年、一六九二)・・・楠正成戦死の地に建ったこの碑
   「嗚呼忠臣楠子之墓」こそ、
    西国街道を行き来する庶民に楠正成の忠孝の志を廣く伝えた。
・赤穂浪士吉良邸討ち入り(元禄十五年、一七〇三)・・・不滅の士魂
   吉良の家は、足利の本家筋。従って、その吉良の首を取った大石内蔵助は
   楠正成の生まれ変わりだと人々は思い、次の歌を流行らせた。
     楠のいま大石となりにけり なほも朽ちせぬ忠孝をなす
・嘉永六年(一八五三)・・・黒船来航、幕末(今楠の時代)始まる
・安政六年(一八五九)十月二十七日・・・吉田松陰斬首、大和魂、士魂を残す
・慶応三年(一八六七)十月十四日、大政奉還、十二月九日、王政復古の大号令
・明治元年(一八六八)三月十四日、五箇条の御誓文、国威宣布の宸翰、江戸無血開城
 四月二十一日・・・湊川神社創建を命じられる
・明治十年九月二十四日・・・西郷南洲、戦死、
  生死何疑天附與 願留魂魄護皇城
「生死なんぞ疑わん、天の付与するを、願はくば 魂魄を留めて皇城を守らん」
これは、沖永良部に幽閉されていた時の西郷南洲の漢詩であるが、
皇居の武道館横の近衛歩兵第一連隊跡地には、
「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずとは雖も、
選ばれて近衛兵となり、
輦下に奉仕せる吾等、
たとい魂魄となりても永久に皇居を守護し奉らん。」
と刻まれている。
西郷南洲の士魂が、ここに受け継がれている。

 

・・・如何でしょうか。読まれる方には、歴史的な背景や字義など、ご存知ない事が若干有るかとは思いますが、熟読含味すると得心できるようになられるかとは思います。歴史を勉強するのは「ツマラナイ」という思いを持たれた方に、歴史は多くのドラマの積み重なりと考えて頂くと、「ツマラナイ」歴史が新鮮に見えることと思います。

これからの日本を担っていく子供達に、様々な角度から日本の歴史を学んでもらうことが、国際的な認識を持つ日本人になっていく大切な鍵だと考えます。

posted by at 08:28  | 塾長ブログ

どうしたら分かるようになるのか

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

「どうしたら出来るようになりますか」
「分からないって言って、勉強嫌いなんです。」という言葉を
通塾前の面談でお母様達からよく聞きます。
羅針塾学習塾では通塾すると
毎日学校の宿題から取り組んでいます。
それぞれの学校の先生方が考えた宿題。
なるほどなあ〜と思うものから
ふ〜ぅ〜んというものまで。
学校の先生方の熱意も垣間見られるのが宿題。
塾生達がどこまで何を理解しているのか
または、どこでつまづいているのか。
確認しながらの毎日です。

どうやったら分かるようになるのか。
どこでつまづいているのか。を
理解ができるようになるまで
「分かった!」と言ってもらえるまで
いろんな方法での学びを取り組みます。

羅針塾学習塾の学びに御理解して頂き
しばらくするとどのお母様も
「自宅でも自然と机に向かい宿題に取り組んでいます。
あれだけ勉強を嫌がっていたのに自ら色んなことを調べて
私に教えてくれるんですよ。」と嬉しいお言葉。
こんな言葉が聞けると段々と成績も上がりだします。
どんなに難しいなぁと思うことでも
「先生!」って学ぼうとする。
分かりたい!って意欲が
分かるようになるのです。
理解ができ、使いこなせるようになっていくと考えています。

「ハキハキ!元気!賢い子」
現代は余りにも結果を求めすぎだと先生達は考えています。
成績の結果、受験の合否
確かに上手くいかないと納得もいきません。
「自立・自律」させた人に育てるには
どんな時も諦めずに待つことが大事。
その時にその時に取り組んだことは時期が来て
必ず実を結びますから。
向上心や素直さが子供にある時に
しっかりと受け止めサポートするのが親の務めでは無いかと考えます。
一人一人の能力の開花の時期まで。
辛抱強く取り組んだ人が賢い子になれます。

いよいよ節分近し!
羅針塾学習塾でも豆を準備していますよ。
先日、親子セミナーで行った松森天満宮の福豆です。

posted by at 16:51  | 学習塾・幼児教育

第20回 羅針塾学習塾 親子セミナーを終えて

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
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第5回長崎街歩き
長崎の史跡にもっともっと触れよう
〜神社に行ってみよう〜

松森天満宮に皆んなで行きましたよ。
宗教の事、参拝の仕方などを学んでから
小雨の降る中、皆んなでテクテク・・・

歴史的建造物等々を見学してみっちりの二時間でした。
皆さん、寒い中お疲れ様でした。
今から梅が見頃になりますよ。
また、天気がいい日にご家族みなさんでお出掛けくださいね。
その時は、塾生さん達が先生役ですね。

次回は、2月25日(日)11時
〜学問のすゝめ〜です。
お楽しみに!

posted by at 15:32  | 学習塾・幼児教育

学ぶ意欲

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

1月最後の金曜日(もう、年が明け1ヶ月過ぎようとしています。)
長崎大学教育学部附属幼稚園の入園説明会のため
また、インフルエンザ等々の為 幼児さんはお休み。
小学生は、学校からの宿題が土日分。一所懸命向き合っています。

小学生は、三学期大詰めの学びに入っています。
次学年へ向けての学びなのでレベルも高くなり
「う〜う〜」言っている塾生さんも。
次学年へ、中学生へ繋がる学びなので難しいのです。
なかなか上手くいかない日々が続きます。
「冬期講習でレベルアップしたはずなのに・・」と
お母様達からの声。

そうですよね。レベルアップしているんです。
前回理解しているんです。だけど、、、、、、解けない。
もどかしいのはお母様達。
幼児さんのお母様達も
「受験も終わったし、そんなに勉強をしなくても・・」と。
けれど・・
「子供達は賢くなりたいって言っていますよ。」とお伝えすると
ん〜〜〜って。お母様達。(あっつ!お父様もだ)

羅針塾学習塾の塾内は学ぶことを投げ出している塾生さんはいません。
むしろ「先生、前に戻って調べていいですか」
「先生、もう一度いいですか。」
「先生、一所懸命頑張ってしたらお家で遊んでいいですよね。」って
学ぶことを楽しんでいます。
目をキラキラさせて、前向きに黙々と。

「ハキハキ!元気!賢い子」
トップになる子達は、努力の天才だと考えています。
知らず知らずの内に、幼い時から何かしら積み重ねている。
キッカケがあって、日々頑張っている。
隠れた毎日があるのです。
前向きに素直に取り組む時は必ず伸びています。
昨日よりも今日。そして明日。
要領を得なかったり、タイミングが悪かったり
個性のように学びを習得するにも個人差があります。
「あっつ!」と閃くまで。
「わかった!」と納得するまで。
諦めずに、前向きに学ぶ。
本物のトップになるために賢い子になるために
必要ではないかと考えます。

 

posted by at 17:54  | 学習塾・幼児教育

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 10

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に辞書の活用法を身に付けて欲しいと考えています。惜しむらくは、現在の小・中学・高校生が普段使いするような辞書には、掲載されていない漢字や熟語があることです。そのときには、様々工夫をして調べるようにしています。

さて、明治の日本では西洋の列強に伍していく為にも憲法制定に腐心しました。戦後の学校教育では、米国に占領されていた昭和21年、米国から半ば強制的に大日本帝国憲法を改正させられた経緯は教えられていません。現在の憲法は、明治22年に制定された大日本帝国憲法を「木に竹を接ぐ*」形で公布されました。したがって、有史以来長い歴史を連綿とつないで来ている日本の国柄を理解する為にも、明治期の大日本帝国憲法の成立過程や内容を知っておく必要があります。

以下の記述は、中学の歴史教科書ですが、非常にポイントを突いています。

*木に竹を接ぐ・・・性質の違うものを繋ぎ合わせる。調和が取れぬことの喩え。

 

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ その8-第4章「近代の日本と世界(I)―幕末から明治時代」http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%203,%204.pdf

Topic 60 – The Meiji Constitution and the foundation of a constitutional state

What principles were enshrined within the Meiji Constitution?

The promulgation of the Meiji Constitution
 On February 11, 1889 (Meiji 22), the Meiji Constitution, officially titled the Constitution of the Great Japanese Empire, was promulgated. On that day, raucous festivities took place throughout Tokyo, even though the city was still blanketed by the snowfall of the previous night. Celebratory gunfire rang out, costumed revelers went on parade, and floats snaked their way through the streets.

The Meiji Constitution affirms in its first articles that the Emperor reigns over Japan. However, the government’s actual policies were to be enacted in accordance with the advice of the Emperor’s ministers, and the Emperor himself bore no political responsibilities.*1 The Meiji Constitution obligated all Japanese subjects to pay taxes and serve in the military, but guaranteed their rights to freedom of speech, assembly, association, residence, movement, and religion within the bounds of the law. Japanese subjects also had the right to vote for members of the House of Representatives in free elections. The enactment of budgets or laws required the consent of the national assembly, which was called the Diet. The Diet was composed of two houses: the popularly elected House of Representatives and the House of Peers, which included both peers and other distinguished men, such as scholars or bureaucrats, who were appointed by the Emperor.

*1=This concept is contained within Article 3 of the Meiji Constitution, stating that, “The Emperor is sacred and inviolable.” This article meant that the Emperor could not be held responsible for political decisions, but the implication of it was that the Emperor held no right to make political decisions.

60  大日本帝国憲法と立憲国家
 大日本帝国憲法は、どのような内容だったのだろうか。
大日本帝国憲法の発布
 1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法が発布された。この日は、前夜からの雪で東京市中が一面の銀世界となったが、祝砲が轟き、山車が練り歩き、仮装行列が繰り出し、祝賀行事一色となった。
 大日本帝国憲法は、まず天皇が日本が統治すると定めた。その上で実際の政治は、各大臣の輔弼(ほひつ:助言)に基づいて行うものとし、天皇に政治的責任を負わせない*1こともうたわれた。国民には兵役と納税の義務があるとともに、法律の範囲内での言論・集会・結社・居住と移転・信教などの自由が保障された。また、国民は選挙権をもち衆議院議員を選ぶことになった。法律や予算の成立には議会の承認が必要とされた。議会には国民の選挙による衆議院のほか、華族や功労ある学者および官僚出身の議員などからなる貴族院が置かれた。
*1 憲法の第3条が、その条文にあたる。条文の意味は、天皇に政治責任を問うことはできないというもので、その裏には、天皇は政治的決定権を持たないという意味を含んでいた。

大日本帝国憲法の発布(左図) と 憲法発布式桜田之景(右図)

<上図の説明>

左図 大日本帝国憲法の発布 1889(明治22年)2月11日、前年10月に完成したばかりの皇居新宮殿で、天皇が憲法原本を総理大臣の黒田清隆に手渡した。(東京憲政記念館蔵)

右図 憲法発布式桜田之景 祝賀の観兵式に臨む天皇を乗せた馬車が、皇居を出るところを描いており、周囲では憲法の誕生を祝う人々が、お祭り騒ぎを繰り広げている。(東京都立中央図書館蔵)

A Constitution Praised Inside and Outside Japan

At the time that the Meiji Constitution was proclaimed, it garnered praise even from stridently anti-government newspapers that described it as “truly commendable” and “far better than what we expected”. Once the Meiji Constitution was translated and sent abroad, it elicited a similar response in other countries. One British newspaper wrote that, “There is something romantic about this deliberate establishment of a Parliamentary Constitution in an Eastern land. It is a tremendous experiment.” The most praiseworthy aspect of the Meiji Constitution, according to one British scholar, was the moderation upon which it was founded as demonstrated by its respect for time-honored history and traditions. Furthermore, a German legal theorist commended Japan’s leaders for their wisdom in dividing the national assembly into a popularly elected lower chamber (the House of Representatives) and an appointed upper chamber (the House of Peers) on the grounds that the lower houses of other countries were apt to favor extreme solutions and become a source of social unrest. To check the rash behavior of the lower house, he argued, it was necessary to have an upper house consisting of conscientious men who care deeply about the national interest. 

 

憲法を賞賛した内外の声

憲法が発布されると、政府批判の論陣を張って来た新聞も、「聞きしに勝る良憲法」、「実に賞賛すべき憲法」などと称えた。また憲法は翻訳されて、世界各国に通告された。イギリスの新聞は、「東洋の地で、周到な準備の末に、議会制憲法が成立したのは何か夢のような話だ。これは偉大な試みだ」と書いた。イギリスのある学者は、日本の憲法が古来の歴史と習慣をもととした穏健な立場で作られていることが最も賛成できる点である、と述べた。ドイツのある法律家は、議会を両院に分け、衆議院の他に貴族院を設けた知恵を高く評価した。その理由は、どこの国でも下院(衆議院)は急進的になるものだが、その暴走による社会不安を和らげるには、国に対する責任感と良識のある人々からなる上院(貴族院)が欠かせないというものだった。

 

大日本帝国憲法の主な条文と大日本帝国憲法による立憲国家の仕組み

 

The Major Articles of the Meiji Constitution

“Article 1. The Empire of Japan shall be reigned over and governed by a line of Emperors unbroken for ages eternal.”

“Article 3. The Emperor is sacred and inviolable.”

“Article 4. The Emperor is the head of the Empire, combining in Himself the rights of sovereignty, and exercises them, according to the provisions of the present Constitution.”

“Article 5. The Emperor exercises the legislative power with the consent of the Imperial Diet.”

“Article 11. The Emperor has the supreme command of the Army and Navy.”

“Article 20. Japanese subjects are amenable to service in the Army or Navy, according to the provisions of law. “

“Article 29. Japanese subjects shall, within the limits of law, enjoy the liberty of speech, writing, publication, public meetings and associations.”

“Article 55. (1) The respective Ministers of State shall give their advice to the Emperor, and be responsible for it. (2) All Laws, Imperial Ordinances, and Imperial Rescripts of whatever kind, that relate to the affairs of the State, require the countersignature of a Minister of State.”

“Article 57. (1) The Judicature shall be exercised by the Courts of Law according to law, in the name of the Emperor.”

 

大日本帝国憲法の主な条文

第1条 大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す

第3条 天皇は神聖にして侵すべからず

第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し、この憲法の条規によりこれを行ふ

第5条 天皇は帝国議会の協賛をもって立法権を行ふ

第11条 天皇は陸海軍を統帥す

第20条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す

第29条 日本臣民は法律の範囲内において言論著作印行集会および結社の自由を有す

第55条 ①国務各大臣は天皇を輔弼しその責めに任ず

②全て法律勅令その他国務に関する詔勅は国務大臣の副署を要す

第57条 ①司法権は天皇の名において法律により裁判所これを行ふ

 

・・・大日本帝国憲法の条文を読むと、一見天皇に強大な権限があるようですが、「帝国議会の協賛をもって立法権を行ふ」「国務各大臣は天皇を輔弼しその責めに任ず」「詔勅は国務大臣の副署を要す」「司法権は天皇の名において法律により裁判所これを行ふ」とある様に、権威はありますが、権力の直接的行使は実質的にできませんでした。イギリスの政体の「君臨すれども統治せず」(国王は君主として君臨しているが、統治権は議会を通じて国民が行使する)に近いと言えます。

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