第19回 羅針塾学習塾 親子セミナー

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

〜親子で学ぶ「学問のすゝめ」〜

福沢諭吉の名著「学問のすゝめ」を
みんなで読み深め学んでいきます。
幼児さんの中には「学問のすゝめ」を暗記している塾生さんもいる
羅針塾学習塾学習塾。
いつも楽しそうに読んでいます。

日時 平成29年12月17日(日)

時間 11時〜13時

講師 第12期「寺子屋の先生」養成講座認定講師
八木 海平氏

参加費用 500円(一家族)

お申込み方法 羅針塾学習塾 問合せフォーム
(参加氏名・人数・お子様の氏名年齢および学年をご記入くださいませ)

皆様のお越しを楽しみにいたしております。

posted by at 17:19  | 学習塾・幼児教育

受験の影響

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
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羅針塾学習塾も冬期講習に向けて面談の準備中です。
長崎大学教育学部附属幼稚園
私立小学校・私立中学校の合格発表を聞いた
他のお母様達から「おめでとう」の声をたくさん頂いています。

我が子の様に「合格!」の声に喜んで下さる姿を観るたびに
先生も、もらい嬉し泣き。
アットホームな羅針塾学習塾
受験生のコツコツ努力する姿を
お母様達は、見守ってくださっていました。

受験生以外の塾生さん達も
負けない様に頑張っています。
「受験」によって良いものを得ています。

「ハキハキ!元気!賢い子」

目標を持って頑張るとき
周りを巻き込んで良い空気を作ってくれます。
それがそのまま塾生さん達の成績アップへと繋がっているのです。
異学年で学ぶことの良さです。
羅針塾学習塾は一人一人に向き合って
自ら考え学ぶことができる様に。育てています。

クリスマスの美味しい、美味しいお菓子を頂きました。
家族一丸となって頑張った!
「ドラマが色々とありました。」とお父様がポツリ。
しかし最高の笑顔で良い御縁を頂きました。
私達も学ばせて頂きました。
ありがとうございます。感謝申し上げます。

posted by at 16:51  | 学習塾・幼児教育

御縁を待つ

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

長崎大学教育学部附属幼稚園
私立小学校・私立中学校
受験の御縁がでています。
羅針塾学習塾にも嬉しい声が続々と。
皆さんの頑張りに感謝!!です。
ご両親の御理解と御協力に感謝申し上げます。

「大丈夫!」と仕上げて、送り出す私達は
最後の結果を聞くまではドキドキ・・・・
何だか何も手につかず..
声を聞くたびに安心します。

「御縁のある場所でトップに立つ」

大事なことなのです。
トップになれば選択肢がたくさんでてきます。
だからこそ、羅針塾学習塾ではトップになる子を
育てているのです。

「ハキハキ!元気!賢い子」

今日のメールは嬉しいメール。
待って、待っていましたよ。
次のステップへ!
トップへの道はこれから続きます。

posted by at 21:01  | 学習塾・幼児教育

如何に、相互理解するか。

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に高く広く俯瞰的な目を持つ日本人になってほしいと考えています。

宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の「ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」と言うように、自分の利害損得を考慮に入れず、客観的に物事を考えることが出来る日本人が、今後の世界から求められる、国際人になっていくのではないでしょうか。

 

外交評論家の加瀬英明氏のコラムが興味深い記事をブログで配信されていましたので、引用してご紹介します。http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

爆破された貴重な仏教遺跡

 10月に東京においてアフガニスタンで2001年に無惨に破壊された、バーミアンの大仏を再建する方策を検討する国際シンポジウムが開かれた。

 私はシンポジウムを取り上げたテレビのニュースを見ながら、西洋のキリスト教の歴史と、今日のイスラム教に思いを巡らせた。

 バーミアンはアフガニスタン中央部の盆地にあって、南北交易路の要衝だったことから、9世紀まで仏教王国として栄えた。

アフガニスタンの地理(wikipediaより)

 山腹に刻まれた巨大な2軀の大仏立像があったが、イスラム過激派のタリバン政権によって爆破された。

 2体とも、世界的に貴重な仏教美術遺産だった。東西2軀のうち西側の大仏は、高さが55メートルもあった。

バーミヤン渓谷の石仏と石窟(1976年)(wikipediaより)

 私はタリバンが爆破した瞬間を撮影した映像が、テレビで放映された時も、ヨーロッパの歴史を思った。

破壊後の石仏(wikipediaより)

 シリアではイスラム国(IS)によって、3世紀に遡るローマ時代の多神教の壮麗なパルミュラ遺跡が、イスラム教を冒涜するものとして、破壊されたことはよく知られる。

 私たちは眉を顰めるが、これらの遺跡を破壊するのに当たって、タリバン政権も、イスラム国も神の意志を代って行っていると、固く信じていたはずである。

 イスラム教の2大宗派による抗争

 今日、中東と北アフリカでは、イスラム教の2大宗派であるスンニー派と、シーア派が、アフガニスタン、イラク、シリアから、リビアまで血を血で洗う凄惨な抗争を繰りひろげている。まったく終わりが見えない。

 10月に、クルド族によるシリア民主軍が、イスラム国の“首都”だったラッカを制圧したが、ISが解体したとしても、今後、シリアに平和が甦ることはないだろう。

 宗教戦争が進んでいるのだから、アラビア半島まで混乱が波及して、サウジアラビアをはじめとする、湾岸産油諸国を呑み込む可能性もあろう。

 私たちはイスラム教が寛容をまったく欠いており、暴力を手段とする“変種”の宗教であると、奇異の眼をもってとらえがちだ。しかし、イスラム教はユダヤ・キリスト教を母胎として生まれたが、キリスト教の再来であると考えれば、“変種”ではけつしてない。

 大英博物館を訪れて

 ローマ帝国によって迫害されていたキリスト教が、ローマ帝国の国教として採用されたのは、後に大帝と呼ばれたコンスタンティヌス1世が、312年にキリスト教徒の助けによって、テレベ河の戦いに勝ったのが切っ掛けとなった。キリスト教化すると、異教となった多神教の神殿や、彫像、列柱が、帝国の全域にわたって破壊された。

 キリスト教は偶像崇拝を禁じたから、ギリシアのアテネ、シリアのパルミュラから、エジプトにあった神殿まで、容赦なく破壊された。

 私はロンドンの大英博物館で案内してくれた学芸員から、展示された多くのギリシア・ローマ時代の神像や、彫像が大きく破損しているのは、キリスト教徒の手によるものだと、説明をきかされた。

 大理石の彫像や、列柱が粉々に砕かれて、キリスト教会を建てるために、モルタルとして使用されたということだった。キリスト教徒は、タリバンや、ISの先駆けだったのだ。

 イスラム教は、まだ若い宗教なのだ。キリスト教より600年後に、開祖マホメッドによって生まれた。

 今日、イスラム世界に起っていることは、キリスト教が300年前まで行っていたことだと、考えればよい。ヨーロッパでは、カトリック(旧教)教徒とプロテスタント(新教)教徒が、2世紀にわたって宗教戦争を戦うことによって、大量の人命が奪われ、ヨーロッパ全土を荒廃させた。

 今日でも、先進国イギリスの北アイルランドにおいて、1990年代にカトリックとプロテスタント住民のあいだで停戦合意が行われたものの、いまだに銃撃戦が発生している。

 「宗教」という言葉は明治になって造られた

 中東に戻れば、イスラム国が倒されたとしても、イスラム過激主義というイデオロギーが、消滅することはない。いくら激しい空爆や、砲撃を加えたとしても、理想主義(イデオロギー)を破壊することはできない。

 このところ、ヨーロッパがイスラムによるテロ事件によって悩まされているが、イスラムがヨーロッパを呑み込もうとしており、まだ始まったばかりのところだと、考えるべきだろう。

 イスラム過激主義は、東南アジアにも拡がりつつある。日本に入国する外国人観光客や、人手不足を補うための研修労働者が増えるなかで、不断の警戒を怠ってはならない。

 日本は幸いなことに、明治に入るまで宗教と無縁だったために、国内の安寧が保たれた。

 「宗教」という言葉は、明治に入ってから新しく造語された、おびただしい数にのぼる明治翻訳語の一つである。それまで日本語のなかには、「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しか、存在しなかった。宗門や宗派は争うことなく、共存――共尊していた。

 キリスト教という寛容を欠き、他宗を認めることを拒む信仰が入ってくると、それまでの日本語では表現できなかったので、「宗教」という新語を造らねばならなかった。

 福沢諭吉が『西洋事情』のなかで明治訳語について、「西洋の新事物輸入するに」あたり、「恰(あたか)も雪を知らざる印度人に雪の詩を作らしむ用の沙汰なれば(略)新日本の新文字を製造したる其(その)数亦尠(またすく)なからず」と、書いている。「宗教」も、その一つだった。

 心を用いる神道は宗教ではない

 日本の在来信仰である神道は信仰であるが、宗教ではない。人がまだ文字を持つ前に生まれ、開祖も、経典も、聖書も、言葉を多用した煩雑な教えも存在しない。

 宗教では、人が中心になっているのに対して、神道は万物のなかに霊力が宿っていて、自然全般が神々しい存在とされている。

 「レリジョン」(宗教)の語源は、ラテン語の「レリギオ」だが、類語の「レリガーレ」は「固く縛る、束縛する」を意味している。神道を宗教とみなすのは、インド人に雪について詩を書かせるようなことだ。

 神道という言葉も、新しい。それまで名がなかったが、仏教が儒教とともに伝来した時に、仏教と区別するために生まれた。

 宗教は言葉から成り立っている。日本は中国大陸や朝鮮半島と違って、冗舌であったり、言葉によって成り立っている論理を、本能的に嫌った。

 日本では太古の昔から言葉が対立を招いて、和を損ねることを知っていたから、「言挙(ことあ)げしない」といって、言葉を多用することを戒めてきた。また「言霊(ことだま)」といって、言葉を用いる時には、よい言葉を発しなければならないと、信じた。

 宗教が言葉を使って組み立てられているのに対して、神道は心の信仰である。人は心を分かち合えるが、論理はかならず対立をもたらす。

 「指導者」や「独裁者」という言葉も、明治に入るまで日本語に存在しなかった明治翻訳語である。天照大御神は最高神として権威を備えていたが、西洋、中東や、中国、朝鮮の最高神が独裁神であるのと違って、つねに八百万(やおよろず)の神々と合議している。日本には、全能の神という発想がなかった。

 神道こそが世界を救う

 「根回し」「稟議」という言葉は、ヨーロッパ諸語にも、中国語、韓国語にもなく、日本語にしかない独特なものだ。今日でも、日本には論理によって人々の上に立つ「指導者」や、「独裁者」が存在していない。

 自然を尊んで、自然が神々だとする信仰はエコロジーであり、今日の人類にとってもっとも進んだ教えである。

 私は神道が、世界を救うと信じている。この和の信仰を国際化して、全世界にひろめたいと願っている。

・・・「日本の在来信仰である神道は信仰であるが、宗教ではない。人がまだ文字を持つ前に生まれ、開祖も、経典も、聖書も、言葉を多用した煩雑な教えも存在しない。宗教では、人が中心になっているのに対して、神道は万物のなかに霊力が宿っていて、自然全般が神々しい存在とされている。」と加瀬英明氏のご説明されているように、日本人にとっては、、八百万(やおよろずの)の神々が私達の周りに遍満(遍満=あまねく満ちること)していると考えるのが、素敵です。

日本人は、台風や地震に苛(さいな)まされることがあっても、自然の流れの中ですべてを受け入れて、常に前向きに物事を捉えてきた民族です。生きとし生けるものをあるがままに受け入れる、まるで「差別」という概念を持っていないのではないかと思われるほどです。

幼い子供達は、無邪気です。

つまり、邪気がない存在です。それが、マイナスな言葉や想いのある中で翻弄されるうちに、徐々に邪(よこしまー正しくないこと、善くないこと)な世の中に良くも悪くも順応せざるを得なくなってしまいます。

無邪気な存在のいとけなき子供達を如何に育てていくか、は大人達の生き方に掛かっています。

posted by at 19:25  | 塾長ブログ

「歴史とは何か」

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生が日本人らしい日本人に成長していくことを楽しみにしています。その為には、日本の歴史や伝統をしっかり学ぶことが必要です。

さて、縁あって以下の本を読んでいますと、なるほど!と思わせる記述を目にしました。それを引用します。

黄文雄の「歴史とは何か」

黄文雄の「歴史とは何か」(自由社)<日・中・台・韓>の歴史の差異を巨視的にとらえる

七、意味を読み取るために比較を必要とする理由

(中略)p.37~

日本の歴史教育の欠陥について、まとめて述べておこう。私のような台湾の出身者が、外から見ると、日本の学校で教える歴史教育の欠陥がよく見える。

現在使っている中学校学習指導要領によれば、中学校の日本史の歴史教育の目標「我が国の歴史の大きな流れを世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解させ、それを通して我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」となっている。自国の歴史教育の目標として極めて適切に規定している。

しかし実際の学習活動の中には、日本の伝統と特色は何なのかを、考えさせるためのあるべき活動がない。それにどのようにして自国の歴史に対して愛情を深めるのか、そのための活動を促す規定がない。学習指導要領全体では、子供の表現力を身につけさせるとか、アクティブ・ラーニング(自主的にして能動的な学習)を強調しながら、歴史教育のこの目標に従って実際に取り組むための活動への促しがない。その結果、歴史上の知識のようなものは身についているが、比較がないのでその特色がつかめず、その結果、実際は自国の真の姿を知るという歴史教育の目的を十分に果たしていないことになる。

海外の子女が他国の子供達とそれぞれお国自慢をしている時、日本の子供だけが何も言えない状況になっているとよく聞くが、歴史教育の失敗の結果である。日本の子供は天皇がどのような役割を果たしているのかについても、一言も話せないのだ。

八、歴史認識から影響を受ける人間の歴史的行動

歴史認識は人々のアイデンティティー(主体性)形成に関わり、人々の歴史的行動に重大な影響を与える。そしてそのことが、その国の歴史の特色を形成する要素となる。このことを理解するために、中国と日本の歴史を比較した具体的な例を一つ示そう。

中世の初め、関白藤原忠通(ただみち)の子で慈円(じえん)という僧侶が、一二二〇年に「愚管抄(ぐかんしょう)」という日本で初めての政治評論書を著した。

慈円は中国の歴史に鑑(かんが)みて、全ての王朝には寿命があり、天皇の率いる朝廷も滅びる可能性があると述べた。しかし日本の朝廷は滅びなかった。

慈円が「愚管抄」を書くきっかけとなったのは、保元、平治の乱である。このうち保元の乱は、五歳で皇位に就いた第七十五代、崇德(すとく)天皇が、二十三歳で無理やり三歳の近衛(このえ)天皇に譲位させられ、この近衛天皇が十七際で亡くなったとき、自分が皇位に復帰するか、子の重仁(しげひと)親王が即位するかを期待していたが、期待は実らず、同母弟の後白河天皇が即位した。不満の昂じた崇徳上皇が通常日本では考えられないことであるが、兵を使ってクーデターを起こした。そしてあえなく失敗して讃岐(さぬき)に流されたのである。この政変の中で平氏と源氏の争いが起こり、源氏による鎌倉幕府が一一九二年開かれる。

そんな時代の流れのなかで、慈円は世の中には「道理」というものがあり、日本の大和朝廷に始まる朝廷も寿命があり、滅びる可能性があると言ったのである。ところが同じころ、承久三年(一二二一年)の承久(じょうきゅう)の乱でどんなことが起こったか。

承久の乱というのは、鎌倉幕府の北条義時(よしとき)が横暴であるとして、後鳥羽(ごとば)上皇が、鎌倉幕府打倒のために兵を挙げたのがきっかけである。上皇の兵を迎えた鎌倉幕府は敗けるどころか勝利した。しかし鎌倉幕府側は朝廷を滅ぼさず、幕府は仲恭(ちゅうきょう)天皇を廃し新しい天皇を立て、そして三人の上皇を遠方の辺鄙(へんぴ)の地に流した。

天皇より征夷大将軍の位を得て天皇の下にある者が、日本の最高の権威である天皇の、さらにその上にある上皇を遠方の地に流したのであるから、それだけでも大変なことで、まさに朝廷は滅亡の危機にあったと言える。しかし時の執権北条義時は朝廷から政治を預かる幕府の、その執権としての立場をわきまえ、朝廷そのものを倒そうとはしなかった、また、たとえ義時が仮に滅ぼそうと思ったとしても、そのために行動を起こせば、どれほどの騒乱が起こるか。朝廷を守ろうとする兵が続々と出てくるであろう。中国や朝鮮のような易姓革命のような動きは日本のどこからも起こらなかった。

この時の両軍の戦い方に日本らしさが十分に出ている。

鎌倉幕府の執権の北条義時は、朝廷からの兵を迎え撃つ兵の総大将としてその子泰時(やすとき)を任じたが、出兵に当たって、義時は泰時からの問いに答えて、もし朝廷の軍が、天皇の御旗を立てて上皇自らが兵を指揮して攻めてきた場合は、兜を脱ぎ捨てて弓の弦を切り、ひとえに畏まって、身は上皇にゆだねよ、もしそうではなく兵だけ押し寄せてきたならば、命を捨てて千人が一人になるまで戦え、と答えた。

日本の歴史を回顧して、そこから出てくる歴史認識から、この歴史的瞬間に、鎌倉幕府の武士は、中国や朝鮮の武将と違って心の底に朝廷を尊ぶ思いを秘めており、このように行動したのである。それが日本の伝統となり、さらに後世の者の行動に影響を与えるのである。

文化風土が長くつづくと、歴史と伝統ができあがり、その結果伝統を変えていくのはとても難しいものになる。

易姓革命の国、中国でも違った意味で伝統は強かった。政治改革を、中国では「変法」と呼ぶ。秦の始皇帝が中国を統一して以来、「変法」は一つも成功したことがない。有名な宋の王安石(おうあんせき)の変法も、清の戊戌(ぼじゅつ)維新も最後は失敗してしまった。

中華帝国が辛亥革命となって終焉(しゅうえん)を迎えても、中華民国は国民国家造りをめざして、逆に史上空前の内戦国家となってしまい、国共内戦後に成立した中華人民共和国も、約二十年後、文化大革命の「十年の動乱」に陥った。

20世紀に入って中国は帝国から民国、そして人民共和国と、国体も政体も二転三転し、手を変え、品を変えても、うまくいかなかった。

天子としての皇帝がいなくなると、中国人は心の中にある神を失ってしまうから、不安になる。だから初代大総統の袁世凱(えんせいがい)が一時的に帝政を復活したり、清朝最後の皇帝の宣統帝が満州国で復辟(ふくへき 退位した君主が再び位に就くこと)することが出てくる。それは中国に限らない。フランス大革命後にも「アンシャンレジーム」(王政復古)の嵐が吹きまくった。習近平が毛沢東主義への復活を目指しているのも、皇帝がいなくなると、中国が不安定になるのではないかという万民の声に応える必要があるからだろうか。

日本は、神代から血の繋がりを持つ天皇が歴史と伝統になっており、いくら藤原家やら源氏、北条、足利、織田信長、徳川家など巨大な権力が出てきても、易姓革命はできない。せいぜい天皇と権威と権力を分割するに止まる。そこが「歴史と伝統」の力であり、万世一系の天皇の国でも重みでもある。

・・・筆者が学んできた日本史の歴史教科書では、小学校・中学校・高校何も、「天皇」に関する記述が極めて最少限度であったように感じます。つまり、単なる歴史の事実として年代、天皇の御名、出来事だけを述べて、「天皇」の歴史的・伝統的・文化的・文学的な意味合いをすべて消去していたかのようです。

昭和二十年八月十五日の大東亜戦争の終結後、米国による日本占領期に、本来の日本の伝統的な皇国史観を消し去られ、所謂マルクス主義歴史観に基づく歴史教育がなされてきた結果、現在の子供達が日本の本当の歴史を知らず、日本の素晴らしさを知らない状況に置かれてしまいました。

これからの日本の未来を担う子供達が、私逹の祖先や先人逹が築いてきた本当の日本の伝統や歴史を知れば、日本の将来に希望や自信を持つことができると考えます。

posted by at 21:24  | 塾長ブログ
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