『大学』を素読する 9

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。

『大学』を素読するシリーズは9回目です。

所謂(いわゆる)其の家を齊(ととの)うるには、其の身を修むるに在りとは、人(ひと)其の親愛する所に之(お)いて辟(へき)す。その賤悪(せんお)する所に之(お)いて辟(へき)す。其の畏敬する所に之(お)いて辟(へき)す。其の哀矜(あいきょう)する所に之(お)いて辟(へき)す。其の敖惰(ごうだ)する所に之(お)いて辟(へき)す。故に好みてその惡(あし)きを知り、惡(にく)みて其の美を知る者は、天下に鮮(すく)なし。

(現代語訳) 世に言われている、一家がよく調和するには、自分の身がよく修まることにありとは、(例えば)人は特に親しみ愛すると片寄って正常を失う。特にいやしみ憎む所があると片寄って正常を失う。特におそれやうやまう所があれば片寄って正常を失う。特にかなしみあわれむ所があれば片寄って正常を失う。また特におごりおこたる所があれば片寄って正常を失うことになるということである。そこで好んでその者の悪い点を知り、逆に憎んでその者の美点を知る者は世の中に甚だ少ないものだ。

故に諺(ことわざ)に之(こ)れ有り。曰(い)わく、人は其の子の惡(あし)きを知る莫(な)く、其の苗の碩(おお)いなるを知る莫(な)しと。

此(これ)を身(み)修(おさ)まらざれば 以(もっ)て其の家を齊(ととの)う可(べ)からずと謂う。

(現代語訳) 故に昔からの諺に、親は我が子の悪いことを知らない。農夫は自分の作った苗が他に比べて大きく育っているのを知らないとある。

これを身が修まらなければ、その家を齊(ととの)えることはできないというのである。

・・・客観的に人や物事を観ることの難しさを、具体的に感情の態様に応じて説いています。その故に、自分の身をよく修めることが如何に困難であるか。

自らの身を修めることができないとその家を齊(ととの)えることはできない。つまり、一家が安心・安定した様にはならない。

翻って、家庭教育についてみると、親御さんの身が修まらなければ・・・・・ということでしょうか。

posted by at 18:35  |  塾長ブログ, 国語力ブログ

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