長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。
読書をする習慣をいかに幼少期につけていくかが、子供の学力向上に直結しています。
「致知」令和元年(2019)9月号からの引用の続きをご紹介いたします。
使命感を与えてくれた読書体験
土屋 そういうお話を伺うと、僕は冒頭にもお話ししたように、若い頃に恩師を通じて日本文化の神髄に触れるような作品にたくさん出逢ってきて本当によかったと改めて実感させられます。
その恩師は佐藤哲夫先生とおっしゃって、陸軍士官学校出身の大変な熱血漢で、自ら漢詩を詠み、和歌をつくり、剣魂歌心を地で行く情の深い方でしてね。高校の時に「まほろばの会」という勉強会にお誘いをいただいて、名文を素読したり、和歌を詠んだり、名著の輪読をしたりしたことから、僕の中で日本文化への扉が開かれたのです。そこで採り上げられる本がとにかく難しいんですよ。保田與重郎、倉田百三、阿部次郎、内村鑑三とか、そういうものに必死で食らいついていったのがよかったと思いますね。川島 先生が読書への目を開かれたのは、その時だったのですね。
土屋 とても大きな体験でした。ただ最初の目覚めは、その前の小学校時代にあったように思います。
うちは田舎の旧家で、奥座敷の襖には張継の「楓橋夜泊」が墨で書かれているような家でした。床の間には父が懇意にしていた植物学者・牧野富太郎博士の短歌も飾ってある、さらに離れの床の間には明治天皇の御製の掛け軸が飾ってある、そういう環境で育ったんです。ある時父にそれらの読み方を教えてもらい、声に出して読んでみるとなんだか気分がいい。それが音読への目覚めでしたね。
父は僕の勉強に一切口出しはしませんでしたけど、「本をよく読みなさい」ということは盛んに言っていました。ですから小学校5、6年になると書斎にあった文学全集を片っ端から引っ張り出して読むようになりました。昔の本は総ルビでしたから、僕にも読むことができたんです。川島 やはりお若い頃からたくさん読んでこられたのですね。
土屋 もう一つ忘れられないのが、中学時代にラジオで聞いた『走れメロス』の朗読でした。誰の朗読だったかは覚えていませんが、それが実に上手くてね。親友セリヌンティウスの命を懸けて必死に走るメロス。その緊張感に思わず惹き込まれ、夢中になって応援する自分がいたのです。朗読の魅力を体で実感したんです。
そういう原体験があった上で、佐藤先生に出会ったわけです。先生は現代仮名遣いを「敗戦仮名遣い」と呼んでいらっしゃいましたけど(笑)、戦後の国語教育が大切な日本文化を損なう方向へ進んでいることを痛感して、これは絶対にちゃんとした日本語を伝えていかなければならないというのが私の使命感になったんです。
・・・土屋先生の読書体験は、育った家庭環境と、父上は勉強に一切口出しはせず「本をよく読みなさい」という助言が効果的であったと考えられます。父母双方、又は父、母どちらかが読書家であることは、子供を読書好きにする前提です。「本をよく読みなさい」というのは、親の読書経験とその効用を実感するからです。
又、人生の恩師と言える人との出会いは貴重です。
勉強会にお誘いをいただいて、名文を素読したり、和歌を詠んだり、名著の輪読をしたりしたこと。これらの経験は、多感な青春時代を過ごす上で大きく精神性が高まることになります。
この話を読むと、偉大な教育者であった森信三先生の言葉が思い浮かびます。
『人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。
しかし、うちに求める心なくば、
眼前にその人ありといえども、縁は生じず。』