長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に、「学ぶことの意義」を理解することが、成績向上のポイントであることを伝えます。年齢に応じて「学ぶことの意義」は変わります。物事の意味合いを理解する為には、「語彙力」の多寡が大きく影響します。
さて、
一般社団法人 萩ものがたり出版の「萩ものがたり」vol.5 「松陰先生のことばーいまに伝わる志」(萩市立明倫小学校監修)からのご紹介です。
「松陰先生のことばーいまに伝わる志」P.24 一年生二学期
『世の人は よしあしごとも いわばいえ 賤(しず)が誠は神ぞ知るらん』
ーーー(海外渡航の企てについて)世間の人は、私のとった行動をよくないという人もいるだろうが、私の国を思う真心は神だけが知っているだろう。(全集第九巻P396「松陰詩稿」彦介の元服を祝す 松陰読本P78)
安政元年(1854)三月、伊豆下田よりアメリカ密航を企てた前後の模様を日記体に記した「回顧録」より。「回顧録」は翌二年三月から八月までの間に、萩の野山獄中で当時を回顧しつつ著した。この歌は「下田にて読み侍りし」の題のもとに記されているので、密航失敗直後、下田の獄で詠んだもの。よって松陰二十五歳の時のことば。
信念を持って行動したことは、現時点では理解されなくても、後世必ずや歴史が評価してくれるとの思いが伝わる。
坂本龍馬は「世の人は われをなにとも いはばいへ わがなすことは われのみぞしる」、高杉晋作は「西へ行く 人を慕ひて 東行く 心の底ぞ 神や知るらむ」と詠んだが、この松陰の和歌に通じるものが多い。
・・・因みに「賤が誠」の「賤」は、位卑しい(くらいがひくい)、卑(いやし)き人と謙遜した表現です。
萩市立明倫小学校の一年生は、二学期からこの松陰先生の言葉を毎日朗唱します。基本的には、字句の解釈はしないで、朗唱をすることが基本だと思われます。年齢の如何を問わず、毎日繰り返すことは、子供の心に染み渡ります。長じて、朗唱していた言葉の意味合いが、ふと分かる時が来ることでしょう。その時に、朗唱を勧めていた先生方の顔も思い浮かぶのではないでしょうか。