長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、幼いときから人の話をしっかりと聴く姿勢を身に付けるべきであると考えています。話す人の目をしっかりと見る。当然、大人もしっかりと子供の目を見る。「目は口ほどに物を言う」とは、至言です。「喜怒哀楽を表す目付きは、言葉で説明するのと同じように、相手に気持ちが伝わるものである」ということですね。
さて、
一般社団法人 萩ものがたり出版の「萩ものがたり」vol.5 「松陰先生のことばーいまに伝わる志」(萩市立明倫小学校監修)からのご紹介です。
「松陰先生のことばーいまに伝わる志」P.40 一年生三学期
『親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音ずれ 何ときくらん』
ーーー子供が親を慕う心持ちよりも、親が子を愛する親心は、どれほどまさったものであろう。死なねばならぬ私の便りを知って故郷の両親は、どんなに悲しむことであろう。(全集第八巻P418「松陰詩稿」彦介の元服を祝す 松陰読本P70)
安政六年(一八五九)十月二十日、江戸伝馬町の獄中より、萩の父杉百合之助・叔父玉木文之進・兄杉梅太郎にあてた書簡より。処刑一週間前のもので、「永訣の書」と呼ばれる。松陰三十歳の時のことば。「平生の学問浅薄にして至誠天地を感格すること出来申さず。非常の変に立ち到り申し候。嘸々御愁傷も遊ばざるべく推察仕り候」と書き出し、この和歌を続ける。
同年七月九日、九月五日、十月五日の評定所での松蔭の取り調べで、奉行の態度は穏やかだった。当初は死を決意した松陰だったが、他家預けか国元送りで済むのではと楽観視するようになる。ところが十月十六日の最後の審判で奉行の態度は一変して厳しくなったため、松陰は死を決意し、この手紙を書いたのだ。
・・・幼いときより、厳しく躾けられ、懸命に学問をしてきた松陰は、誠意と熱意の人です。「嘸々」とは、嘸(さぞ)、「直接見聞していない他人の心中・状態についてこうに違いないと思いやる意を表す。きっと。さだめし。さぞや。」の意。
「親思う心にまさる親心」と、よく聞かされた言葉です。その意味合いをわかる頃には、親が年老いたり、亡くなってしまっていることがあります。子を思う情の深さが濃いのが日本人の親なのです。
尚、吉田松陰の実母が杉瀧子です。→教科書に載らない歴史上の人物 7 杉 瀧子https://rashinjyuku.com/wp/post-137/