長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に学校の先生のお話をしっかり聴くことが大事であると常々話します。先生の言葉の一言一句を聞き漏らさず再現できることが、賢くなることの基本です。
さて、
一般社団法人 萩ものがたり出版の「萩ものがたり」vol.5 「松陰先生のことばーいまに伝わる志」(萩市立明倫小学校監修)からのご紹介です。一年生三首の次は、二年生です。
「松陰先生のことばーいまに伝わる志」P.10 二年生一学期
『万巻の 書を読むに あらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん』
ーーー多くの本を読み、勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人間になることができようか、しっかり勉強しなさい。(全集第六巻P145「松陰詩稿」松下村塾聯 松陰読本P50)
「松陰詩稿」に収められた「丙辰秋冬稿」(安政三年(一八五四)秋冬)の「松下村塾聯」の前半部分、松陰二十七歳の時のことば。
全文は「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致を得ん」(原文は漢文)。
松陰の学問態度を簡潔に表したこの句は、松陰自ら筆をとり、久保五郎左衛門が彫って、聯(れん:左右の柱に対句を分けてかける柱かけ)にして松下村塾に掲げられていた。聯の材料は久保家の屋敷に生えていた孟宗竹である。ただし聯の方は「寧」が「安」になっているが、意味は変わらない。
・・・分野を問わず、「万巻の書」(多くの書物)を読み学ぶことは、いつの時代も立派な人になる為の変わらない基本です。活版印刷が普及する前の江戸期までは、貴重な書物は高価であり、学ぶ意欲のある人物は必要に応じて筆写を懸命にしていました。吉田松陰も諸国を行脚しながら、長崎の平戸に来た際には、まず葉山左内の門を叩いて儒学をより深め、その後山鹿高紹について兵学を学びました。五十日余り滞在して数多くの書物を書き写したといわれています。