読書の喜び、つまり読書することの喜びは、年齢を重ねる毎に増して来ます。幼いとき、思春期、青年期、壮年期、老年期を経て、語彙や経験が増せば増すほど、「成る程!」と得心する機会が増えます。読書は、時代や空間を超えて、思索をめぐらすことが出来る人間だけの特権と言えます。
さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「プロローグ 『まえがき』にかえて」に、「漢字によって読書の喜びを知り脳はグングン成長する」という項目があります。引用してご紹介します。
漢字によって読書の喜びを知り脳はグングン成長する
では、どうして幼児期からの漢字教育が望ましいのでしょうか。なぜ、 書けなくてもいいけれど、読めることは不可欠なのでしょうか。
それは読書力を養うためなのです。本を読むためには、漢字が読め ることがどうしても必要です。ひらがなだらけの絵本では、吸収できる内 容には限度があります。与えられた最小限のものはわかるでしょうが、 それ以上の発展はありません。
もし自分で本が読めたり、百科事典で調べることができるだけの漢字 力がついたとすると、子どもの世界は大きく広がっていきます。本が読 めるということは、言葉が増えることにつながります。言葉が増えること によって、表現力や感受性も豊かになります。
私たちが親として、してやるべきことは、子どもに本を読む力をつけ てやることです。幼児期のうちにその能力をつけるための手助けとして 漢字教育を行うことです。そして、そこから先は、子どもが自分から進ん で本を読んで物事を吸収できる力を養う、すなわち「学ぶ」ということの 喜びをわからせてやることです。
その後は、子どもの教育に関しては何もやらないことです。やたらと 手を出すことはかえってマイナスです。そのうちに最初は何でも親に聞いていた子どもが聞いて来なくなります。何でも自分でやりたい子ども は、自分で学習する喜びを知って成長していきます。読書力がつくとい うことは、子どもの世界が広がることにつながるのです。
・・・「ひらがなだらけの絵本」を沢山買い求め読む機会を与えても、不思議なことに、賢い幼児さんは一読したら、その後手に取ることはありません。大人から見て、絵が美しいとか可愛らしい絵本でも、子供に感受性や理解する力がなければ、猫に小判。むしろ、賢い幼児さんは、その年齢からすると背伸びしないと理解できないのではないかというレベルの方を手に取ります。十の内五前後の言葉が読めれば、興味が有れば何度でも手に取ります。
漢字の読めない言葉が読め、知らない言葉を知り、文の流れがわかってくると、賢い幼児さんの知的好奇心は弥(いや)増してきます。