民進党の代表 蓮舫氏の二重国籍問題で話題の所謂「台湾(臺灣)」(現状の正式国名は中華民國)。
学校では政治が絡む時事的なニュースを取り上げることはなかなかありませんが、将来の日本を担う子供達にとっては、ニュースなどで疑問に感じることは、家庭でしっかり応えて頂きたいものです。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、質問があれば、考える糸口を伝え、自ら解決できるよう導きます。
さて、教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 の戦後における活躍について、前提として台湾をめぐる歴史に触れつつ、ご紹介いたします。
明治二十七乃至八年戦役(日清戦争の正式名称※)(明治27年(1894)7月から明治28年(1895)3月)後、日清講和条約が締結され、日本領となり台湾には台湾総督府が置かれていました。
※戦争の正式名称・・・戦争名称は閣議で決められるものです。
日露戦争は「明治三十七乃至八年戦役」、第一次世界大戦は「大正三、四、五、六乃至七年戦役」、
太平洋戦争(国際法ではEast Asia war)は「大東亜戦争」といいます。
(戦後の教科書では、日本国の定めた正式の名称を使うことがありません。)
昭和20年(1945)日本の終戦に伴い、当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入ります。
中国大陸では、蒋介石率いる南京国民政府と毛沢東率いる中国共産党軍との間で昭和21年(1946)には国共内戦が勃発。
ソビエト連邦からの大規模な軍事援助を受けた中国共産党軍が反攻に転じ、南京国民政府軍は各地で大規模な敗北を喫します。
敗勢を挽回できない南京国民政府が崩壊すると、蒋介石を中心とする国民党勢力の一部は、アメリカの援助を受けつつ、拠点を広州、重慶、成都を経て台湾島に移しました。
中国共産党軍は、台湾島を奪取する為、福建省沿岸に位置する金門島を巡り戦いを挑みます。
それを阻止せんとする蒋介石率いる国民党軍の劣勢を挽回する為に、根本博中将が身を賭して日本から台湾に密航をするという壮大なドラマが今回のお話です。
「戦神(いくさがみ)」と呼ばれた男
「戦神(いくさがみ)」と呼ばれた男
https://www.youtube.com/watch?v=uoHzi7tZdrA
そして、「この命、義に捧ぐ」-台湾を救った陸軍中將根本博の奇跡 (門田隆将著 集英社)からの引用です。
平成二十一年、台湾・金門島。
ほんの十五年ほど前まで、外国人の訪問も許されず、台湾人でさえ自由に立ち入ることが出来なかった国境の島。そこは、常に世界が注目し続けた国際対立の最前線だった。
ある時は、万単位の兵士がこの海峡を力ずくで押し渡り、またある時は、この海峡を挟んで数十万発の砲弾が飛び交う戦いが行われた。
(中略)
台湾領でありながら、台湾本島からは百八十キロも離れ、一方、大陸からはわずか二キロしか離れていない金門島。
大陸にへばりつくように浮かぶこの島は、なぜ今も”台湾領”なのだろうか。
そして、金門島と台湾本島との間に圧倒的存在感を持って横たわる台湾海峡は、なぜ今も、中国の”内海(うちうみ)”ではないのだろうか。台湾と台湾海峡を守る為に日本からやって来た謎の男。
その日本人は、敗戦から四年が経った一九四九(昭和24)年、ある恩義を台湾に帰す為に、“命を捨てて”この地に姿を現したのである。第二次世界大戦後、自由主義陣営と共産主義陣営とのむき出しの覇権争いが、世界各地で行われた。
その中でも、質的にも量的にも最大の熾烈な激突が中国大陸で繰り広げられた。国民党の蒋介石と共産党の毛沢東との間で行われた血で血を洗う激戦—いわゆる「国共内戦」は、ここ金門島で決着がついたのである。
それは、誰にも予想し得なかった「国民党の勝利」に終わった。敗走に敗走を重ね、雪崩をうって駆逐されていた国民党軍が、この戦いだけ”大勝利”するのである。それは、まさに「奇跡」としかいいようのないものだった。
そしてその陰に、実は、その日本人の力が大きくかかわっていたことを知る人は少ない。
元日本陸軍北支那方面軍司令官・根本博中將。
終戦後の昭和二十年八月二十日、内蒙古の在留邦人四万人の命を助けるために敢然と武装解除を拒絶し、ソ連軍と激戦を展開、そしてその後、支那派遣軍の将兵や在留邦人を内地に帰国させるために奔走したした人物である。在留邦人や日本の将兵が国民党軍の庇護の下、無事、帰国を果たした時、根本はそのことにかぎりない「恩義」を感じながら最後の船で日本に帰っていった。
しかし、今度は国民党軍が共産党軍との戦いに敗れ、絶体絶命の存亡の危機に陥った時、まさかその日本の元司令官が「自分たちを助けに来てくれる」と台湾の誰が予想しただろうか。
「義には義をもって返す」
軍人でありながらヒューマニズムの思想に抱かれ、生涯、その生き方を貫いた戦略家。
戦後、大転換を遂げた価値観によって混乱の波間を漂い続けた日本で、なぜ彼のような軍人が存在しえたのか。
「命」を守り、「義」を守った陸軍大将。
彼のしたことは、その偉業から六十年を経た今も、決して色褪せることはない。
だが、同時にそのために多くの命が失われたのも、また事実である。
六十年前の出来事は、現代に何を問いかけているのだろうか。
・・・根本博を始めとする日本人軍事顧問団の作戦指導により国民党が勝利し、台湾は引き続き国民党が支配することになりました。中国共産党は台湾を奪取し全土を統一する機会を逃し、その結果が今日における中華民国と中華人民共和国との間の「二つの中国」か「一つの中国」かの争いです。
歴史を踏まえれば、現在の混沌とした国際情勢、日露の所謂北方四島返還と平和条約締結交渉、米国の大統領選挙、英国のEU離脱問題、中近東の不安定化等々への様々な関心や興味が尽きることはありません。